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自分を片付ける

年明けから転職エージェントと面談しているんですが、社会人歴も10年を過ぎると、全く新しいことをするのは難しいらしい。



ビジョンというか希望というか、カウンセリングのような話は聞いてくれるのだけど、結局、今いる会社の今やる職種と似たり寄ったりな感じのところが良いのではないか、という結論。



ちょっとだけ勇気を出して、思いもよらなかったような仕事を見てみるのも...と言い出してはみたものの、その歳で新しいこと始められますか?厳しいでしょ?と諭された。



並べられた求人の、似たり寄ったり(失礼!)な仕事内容に、自分の今までの人生がこれくらいの幅しか持っていなかったことに、軽い絶望を感じた。



あちらも仕事なので、打率を考えたらそうなのだろうが、私が欲しいのは、転職出来るかどうかを高める打率ではなく、今後の人生の幸福度を高める打率だ。



私の今までの人生に何らかの意味を見出してもらっているのは大変ありがたいことなのだけど、肝心の本人がそう思っていないのだから、彼らの(半分以上お世辞の)褒め言葉は、私の中の空疎な部分にかすりもしない。



私が就職した2010年代前半は、まだSNSもそれほど広まっておらず、思い返せば説明会のトピックと言えば、東日本大震災後の対応と、アジア、アフリカへの海外進出が多かったと記憶している。
それから随分社会も変わり、時間も経過した気がするけれど、それでもたった10年内のことなのだという社会変化の加速度に意識が朦朧としてしまう。



世の中見渡せば色々な仕事があるのだが、私の手元に並べられるのは、なんというか、極々一部分の範囲のもので、自分の人生の範囲がこれだと示されているのだとすると、これではいかんという思いになる。



可能性というキラキラした言葉を使う歳でもないのだけど、自分の人生がこの範囲であったんだと納得させるには、まだまだ人生の余白があり過ぎる。



その余白をきちんと埋めていくのか、それとも愚痴で満たしていってしまうのか、そういう分岐的な歳なのだと思う。



ありがたいことに、相変わらずゲイとして出会いには恵まれていて、しかし、今は自分のことを片付けなければ、他人を優先することなど無理なのだと考える。
まあ、自分を片付けられたことなどない気がするが。



元来怠惰な自分なので、なんとなくで過ごす時間を減らさなければと思っている。
今年33歳になるけれど、32より33って感覚的にやばい度がめちゃくちゃ上がる気がする。



だから、今年は趣味的なことも控えて、自分のことにフォーカスしないとなと。



周りの友人達の中では、一番堅実というか硬過ぎる人生だと思っていて、友人達からは10年続けること自体が凄いよなんて言われるけれど、今まで出来てきたことが少な過ぎて、これから出来ることが無さ過ぎて、怖過ぎる。
ても、今のままいるのも、もっと怖過ぎる。



そんな恐怖と闘うしかないのは結局自分だけなんだなと思う。



そんなことを思っていながらも、そろそろ新年度の異動やら採用やらが決まりつつあって、職場に若い男が複数人来るらしいので、ちょっと期待している自分もいる。



自分を片付けるなんて言っておいて、そんなことを思ってしまう性は、いつまで経っても片付けられないのだなぁ。

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