近代ベトナム史への興味のきっかけ

 今から25年前、20代でベトナムに渡航して、今までずっとホーチミン市で暮らしました。子育てがひと段落して、さて何しようか? と悩む暇なく、ずっと考えていた≪戦前の日本とベトナムの繋がり≫を掘り起こす作業を数年前からやっと始めることが出来ました。初めてベトナムの地を踏んだ1990年代前半は、日系企業はまだまだベトナム進出に慎重でした。長い鎖国状態から解かれたベトナムに、外部との接触の自由がやっと徐々に回復して来たそんな頃です。今のベトナムからは想像できないですが、少し前に一時本当にそんな時代がありました。

 あの頃のベトナムの人々の笑顔を、今でも鮮明に思い出します。
 まだ外国人が珍しかった当時、私が日本人と判るとどんな人も目がキラキラ輝き満面の笑みで、「日本人か?!」と握手を求められ、「私は日本人が好きなんだ。日本人は本当に最高だ!」と褒めちぎられました。まるで年来の旧友との再会、ずっと以前からの親友、家族にでも接するような親しさでした。私は戸惑いました。≪日本人だから≫という理由だけで、そうすることが当然かのように、常に誠心誠意全力で助けてくれる。これは、一人異国にやって来た当時の私には誠に有難かったですが、だんだんと、この背景には単なる親切以外の何か特別な背景がありそうだ、否、あるに違いない、と感じながら長い間ベトナムで暮らしてました。

 サイゴン(=ホーチミン市)に暮らして大分時間が経った頃、ある時はっと気付いた瞬間がありました。
 ベトナムの人々は、私の後ろに誰かを見ている。初めて会ったんじゃない、ずっと昔から『日本人』を知っているんだと。
 ドイモイ政策で鎖国が解け、漸く久々に再会出来た日本人の子孫に対して、律儀に『恩返し』している。けれど、何故? 当時の私には、歴史知識が不足していました。「一体お爺さんたちは、ベトナムで何をしたんだろう?」それが、私がベトナムの歴史に興味を持つきっかけでした。

 戦後世代の私は、当然の如く、殆ど戦前の事など知りません。20代の頃なんて外国に憧れるばかりで、自国の先人の歩みや偉業なんか全く無関心でした。だから、20年前にベトナムに来て、当時のベトナムの人々に何を聞かれても、何も答えられない。しかも、恥ずかしいとも思いませんでした。。。
 そして、当初ベトナムの人々は、あけすけに私が日本の戦前を語るのは無理だろう、と好意的に見てくれていたようでしたが、私の無知が本物であり、歴史記憶喪失者だと判るとがっかりして、段々と興味が薄れて行くようでした。
 21世紀に入って、ベトナムも若い世代が活躍し初め、戦後の日本に歩調を合わせて、現代日本と日本人をビジネス相手国の一つとして冷静に見ていると思います。ですから、今から20年前のように、手放しの親日家のようなベトナムの人もすっかり陰が薄くなりました。しかし、当時を知る私の頭には、あの頃のベトナム人の笑顔と、私の『記憶喪失ぶり』にがっかりする姿がいつまでも脳裏から離れなくなり、少しずつ、日本とベトナムの戦前史や歴史書を読んだり、調べたりするようになったのです。

 戦前とは、当然ですが大東亜戦争の事です。
 学生の時分は、歴史が大の苦手で、暗記が得意な人が羨ましい、前後の辻褄が合わないと猛烈ストレスを感じる体質の私は、歴史勉強が本当に苦痛でした。卒業して歴史勉強から解放されることを心待ちにしていた学生でしたので、この年齢になってわざわざ歴史勉強をするとは夢にも思っていませんでした。
 私が先日初めて出版した『ベトナム英雄革命家 畿外候彊-クオン・デ候 祖国解放に捧げた生涯』ベトナム英雄革命家 畿外候彊㭽 - クオン・デ候: 祖国解放に捧げた生涯 | 何 祐子 |本 | 通販 | Amazonですが、このベトナム語冊子との出会いは本当に不思議なものでした。日越沢山の先人先達らが、あの世から代わる代わる私へ訴えて,、正にリレーの如くに働き掛けてくれ、平凡な主婦の私が柄にもなく翻訳を始め、出版を志すことになりました。夜中寝ていると、ふと「そうだ!」と飛び起きてPCを明け、明け方までパチパチする事が多く、私の娘は、当時の私のその姿と私の背後に、唯ならぬものを感じていたそうです。。。 
 それを含む数々の不思議なエピソードは、いづれ忘備録としてどこかに纏めてみたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?