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完璧じゃない君じゃ許せない

バドミントン部でした、中学だけですが。
バドミントン部でしたが、スマッシュが打てません。

本当は陸上部に入ろうと思っていたけれど友達がバドミントンにしようって言ってきたからそうした気がする。
ちなみにその友達に、「実はわたしは陸上がやりたかったのにあなたにバドにしようと言われたからバドにした」と後から言われて意味が分からなくて仲違いしたのはまた別の話。

そんなこんなで始めたバドミントンは全然上手くならなくて、しかもそこまで熱中できなくて、でも走るのが好きだったから基礎練にはちゃんと取り組んで体力だけはあった。ラケットの使い方は全く上達しなかった。
基礎打ちは楽しかったけれど、スマッシュ練習が苦痛。わたしはスマッシュが打てません。怖くて。相手に向けて攻撃的にラケットを振り下ろすことができなかった。スマッシュ練習、シャトル出しをしているとどうしてもスマッシュが身体に当たるし当ててしまう。速くて避けられないし、怖い。

1年生のとき、練習中に同級生のラケットが当たって目の上あたりを切る怪我をした。血が怖いわけではなかったけれど、ポタポタと流れ落ちる血を見て震えた。怖いと思った。ラケットで人が死ぬかもしれない、殺してしまうことができる武器なんだ。そんな風に一度思ってしまったら気持ちを取り戻せず、それ以降はスマッシュを打てなかった。今思えばあんな狭い空間でラケット振り回してたら怪我もするよな。スマッシュを打てないからドロップ(ネット前に落ちるやつ)を練習した。パワーが無理ならテクニックを磨こうと思った。

でも中学生の頃の自分が一度怖いと思ったことはずっと怖くて、2年生の時、受験勉強を理由に部活を辞めたいと顧問の先生に言ったら「3年生になったら最後の中体連があるし、最後まで頑張ってみようよ」と言われた。
結局部員が多くて最後の中体連には出られなかった。
先生は義務教育で継続力だとか仲間意識だとかそういうものを身につけて欲しかったのだろう。でも、子供だから。目先に吊るされたご褒美が急に無くなったらやる気も無くなるし、嫌になる。
そこから『公式戦出られなかった組』という部活に行かなくても文句を言われない免罪符を受け取り、部活にあまり行かなくなった。親に申し訳ないから部活をサボって勉強は頑張った。誰にも迷惑や心配をかけないいい子でいたいから、「最後まで頑張ろう」と餌を吊るしてくれた顧問の先生とも仲良くしたし、勉強でもちゃんとそこそこの成績を残した。あなたの言葉でわたしは絶望してないですよ、とアピールするかのように。

過呼吸になるまで練習を追い込んだり、肉離れとか怪我をしながら頑張っている人たち横目で見て「何かに一生懸命になれるっていいな」と中学生ながらに思った。試合に出られなくて泣いている部員を見て、純粋な尊敬と、わたしはそうはなれないからという冷めた目で見ていた。中二病だった。一歩引いて周りを見ている自分に酔っていた。
あの時怖かった経験を共有して、相談もして、それを忘れることが出来るくらい一緒に頑張って練習をすればよかったのかもしれない。怖かったことは誰にも話せなかった。怪我のトラウマは時間が経っても怖くて、未だにほとんどの人に話せていない。
ひとりで抱えた怪我のトラウマを、出来ない、頑張れない理由にしてしまった。


今もそうかもしれない。仕事を頑張ってみたけれど結局挫折し、頑張れなくなった。頑張りたい気持ちはあるけれど、ダメになるのが怖い。人にも頑張って欲しいと思う一方でその後どうなるのかの責任を取れないから、かけるべき言葉が分からない。
何事にも『正解』の回答をしようと言葉を探す。地雷を踏まないように、ジョーカーを引かないように。
忍耐力を身につけてしまったわたしはこれからも『完璧にやらなければいけない』『こういう存在でいなければいけない』『求められる自分でいなければいけない』そんなあるべき論や理想だけは高く、この完璧主義と現実とのギャップが自分の首を絞め続けるのだろう。

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