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30代最後の誕生日に、自分のことを振り返ってみた

こんにちは、
glorious day coffee(グロリアス デイ コーヒー)という自家焙煎珈琲豆の販売を行っているYutoです。

本日、誕生日を迎えて、また歳を重ねました。
気づけば30代最後の歳になり、年々、一年が早く感じるのは私だけでしょうか?笑

誕生日ということもあり、自分のことを振り返ってみた。
(誰が興味あるねん!ってツッコミもあるが、そういうツッコミには気づかないフリをして徒然に書きたいと思います笑)

目次
■今までの振り返り
 小~中学性時代
 高校時代
 大学時代
 社会人時代~現在
■30代最後の歳の抱負
 ①家族との時間を大切にする。
 ②企業に依存しない働き方をする
 ③やりたいことをして、人生を楽しむ。
■まとめ

■今までの振り返り

いよいよ30代も最後の歳になり、自分の改めて各年代に何をやってきたのかを振り返りをしてみた。

<小~中学性時代>
小学校から中学校まで、自分はバスケットをやっていて、何気にバスケ中心の生活をしていたのかもしれない。
結構何でも器用にできる方だったが、バスケットという1つのことに打ち込むことができたのは、忍耐力や継続力を高められた良い経験だった。

そして、中学時代の最大のイベントは初恋。
中学性の付き合うと言っても、手をつないだり一緒に帰り道を帰るぐらいの付き合いだったが、好きな子と付き合うことができて、それなりにキラキラした楽しい青春時代だったのかなと思う。

この当時は、いいことばかりではなく悪いことも。
両親が不仲で家庭内別居をしていて、家の中では常に喧嘩が絶えかった。
子供ながら、夫婦関係は破綻していると気づき始めて、5年間ほど両親が家の中で話さないのをじっと何もできずに傍観していた。

夫婦とは、植物みたいな関係だと思う。
愛情をこめて大切に育ているとしっかりと根を張って大きく育ってくれる、それとは反対に、世話をして大切に育てないとすぐ枯れてしまう。
家庭内別居という辛い時期を経験したことによって、自分の子供には、同じような辛い思いをさせたくないと思うことができたのは良かったと思う。
夫婦関係は、お互いに大切に育てないといけないなと改めて思う。

<高校時代>
高校時代は、最悪の時代と言ってもいいだろう。
高校と同時に、両親が離婚して、母親側についたが、思春期と反抗期に突入したため、母との関係がうまくいかず、学校にもほぼ行かなくなり、高校を中退してしまう。

母とは毎日のように喧嘩をして、お互いを傷つけあう言葉の応酬。
どんどん言葉はエスカレートしていき、お互いに感覚と心がマヒをしていく。
母としては、親父との離婚後に、今度は息子に大変な思いをさせられることになるとは夢にも思わなかったのだろう。。

高校を中退して、何をして良いかわからない日々。悶々としていた。常に将来がどうなるか不安だったが、その感情をどう処理してよいかわからない。

壮絶な親子喧嘩を繰り広げている中でも、母は自分のことを心配をしてくれて、大検を受ける学校や大学受験の予備校まで出してくれた。

「財産は残せないが、学だけは残せるように」と言っていたのを思い出す。

今になって、女一人で頑張ってくれたことが骨身に染みる。

よく考えるとあのまま高校中退のままだったら、
今頃まともに生活が出来ていたのか、、
今のような安定した生活が出来ていたのか、、
と思うことがあり、母には感謝しかない。
(ただ、母とは性格が合わなく、今でもあまり会わないですが、、笑)

<大学時代>
大検も取り、大学受験も一浪をしましたが、無事に東京の大学に合格。
大学時代は、自分で生活費を稼ぐことを条件に一人暮らしを始める。
最初は、友達や当時の恋人の家に転がり込んで迷惑を掛けながら暮らしていた。その後は、アルバイトでためたお金を元に自身で家を借りた。
アルバイトと学校の両立で大変だったが、大学生活を楽しんでいた。

大学へ行って良かったのは、一生の友人に会えたこと。
常にお金がなくランチをケチって食べなかった時に、それを見かねた友人がランチを奢ってくれた。
今でも常に助けてくれる友人に会えたのは私の一生の宝物。

あとは、サーフィン・DJ・自転車・海外旅行・料理など、色んな事にも挑戦できたものとても良かったかな。

<社会人時代~現在>
就職活動の時に、アルバイトでずっと料理をやっていたこともあり、料理人になるか会社員になるか迷ったが、結局、周りに流されて会社員になることを選択。
CM制作会社→リクルート→大手IT企業と転職を重ねて、良い時も悪い時も経験しながら、一応大手IT企業でマネージャーとして勤めてながら、副業で自家焙煎珈琲豆の販売を行う。

社会人になって、一番大きな出来事は、やはり結婚と娘が生まれたこと。
今まで、自分のことだけ考えて暮らしていたのが、家族の為に何をするのか良いかを考えて暮らすように。
自分の中の優先順位が変わり、家族と過ごす時間が一番になった。

仕事で色々と経験を積んでいく中で、会社に振り回されている上司や先輩を見ていくうちに、企業に依存しないようになりたいと思うように。
まずは副業から始めて、徐々にビジネスを育てていきたいと思うようになり、自家焙煎珈琲豆の販売を行うことに。
まだまだ小さくこれからですが、よりもっと多くの方に自家焙煎珈琲豆を楽しんでもらえるように、グロースしていければと思っています。

■30代最後の歳の抱負

30代最後の歳として、目標を持って1年間を過ごせればと思い、ちょっとざっくりした抱負ではありますが、3つを決めました。

<抱負>
①家族との時間を大切にする。
②企業に依存しない働き方をする。
③やりたいことをして、人生を楽しむ。

①家族との時間を大切にする。
やっぱり一番の抱負は、家族と大切にして、家族と過ごす時間を大切にすることです。
最後に自分を助けてくれるのは家族ですし、自分も家族を助けられる存在でありたいと思う。
まだ、娘は3歳ですが、子育てをしても、あと残り17年しかできないと考えると、一日を大切にして過ごさないと、あっという間に時間が過ぎてしまうと思う。
過ぎた時間は戻ってこなく、あの時家族で過ごしとけばよかったなと思っても、時間は戻ってこない。
後悔をしないためにも、家族と一緒に過ごす時間を大切にしたいと思う。

②企業に依存しない働き方をする
働くということは、人生最大の課題だと思う。
好きなことだけやっていても生活ができなければ意味がないし、お金だけを求めていても働く意義を感じられないと仕事をするのが辛くなる。

企業に依存しないためには、自分のビジネスをしっかりと育てていくことが大切。
それが、自分にとっては自家焙煎珈琲豆に販売だと思う。

企業に依存しない=自分自身で価値提供が出来る ということだと思うので、多くの方に価値が提供が出来るように頑張りたいと思う。

③やりたいことをして、人生を楽しむ。
人生は思ったより短い。
日本人男性の平均寿命は81歳ということですが、気づけば人生も折り返し地点に来ている。

気づいたら、何もやっていなかったな~っと思いたくないので、やりたいことにはどんどんチャレンジしていき、人生を素敵なものにしていきたい。

■まとめ

誰が私の人生の振り返りに興味があるのだ。っと思いながら、徒然書いてみました。

振り返りながら、自分は「家族・仕事・やりたいこと(知的好奇心)」の3つのことで構成されていて、至極シンプルな存在だと気づきました。

この3つを大切にしながら、生活をシンプルに丁寧にしていくことで、自分にとって良い一年になるのではないかと思考をめぐらすことができました。

今まで以上に、多くの方に喜んでもらえるように、美味しい自家焙煎珈琲豆を提供することから、改めて始めていこうと思います。

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