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パリ・オペラ座の日々1993~1994:12 月24日 16区の素敵なお宅でクリスマス・パーティー


12月24日

ここ数日の過密日程ですっかり疲れ果てて、日中は家でゆっくりした。夕方から出かけて、義母にプレゼントを届けつつ、16区のサンドリンヌさんのお宅で開催されるクリスマス・パーティーへ。グレゴワール夫妻が欠席だったのは残念だけど、シングー他の韓国組と日本人のクラスメートも何人か集まって楽しいパーティーだった。パリ大学で日本語を学習しているパトリック君、パリで法律を学んでいるハジメさん夫妻、ギリシャから留学している人とか、いろんな人がいて会話も凄く楽しい。

16区の高級住宅街なのに、サンドリンヌさんのお宅はすごく広くて廊下で迷子になるくらい。個人宅なのにミニテルがあるのがすごい。お父さんは弁護士ということでした。

パトリックと競うようにワインをガンガン飲んでたら、フラフラに酔っぱらってしまって結局お暇したのは午前4時頃(!) タクシーに乗ってガラガラのシャンゼリゼを通り抜けたら、イルミネーションがあまりに綺麗でちょっと泣けてきた。今この瞬間の美しさ、大切さが胸にグッときた。

タクシー 50F


日記中に出てくるサンドリンヌさんは、パリ大学で日本語を学んでいる学生さんで、語学学校のFIAPに通っている時に、日本人がたくさん在籍しているクラスの見学にいらしていた方でした。その時、授業の合間にいろいろなアンケートに答えたりして、何度か顔を合わせているうちにみんな仲良くなって、ノエルの時にはぜひパーティーに来てください…みたいな約束になっていました。この時はもうFIAPでの授業を終えていたんですけど、約束通りにクリスマスイブのパーティーに参加することにしました。

ずいぶんフランス語が話せるようになっていた時期でしたし、集まった仲間もFIAPで気心が知れた人ばかりでしたら、すごく楽しい一夜でした。

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よく知られていることですけど、パリの西側の16区というの「超」の付く高級住宅街です。サンドリンヌさんから渡された住所へと向かうと、それはそれは立派なお宅でした。アパルトマンの一部なんですけど、玄関からサロンまでの廊下の長いこと!(笑) そして家の中に当時最先端のネット端末「ミニテル」がある!!! お父様が弁護士ということだったので、かなり裕福なご家庭だったんだと思います。

サンドリンヌさんは、フランス人らしからぬとてもソフトな人当りの方で、たしか二世代前に日本人の血が入っているんです…と聞いた記憶があります。日本文化への関心も高くて、すごく知的な印象でした。

パーティーには、同じくパリ大学で日本語を学んでいるパトリック君とか、日本から法律の勉強で留学していたハジメ君とか、FIAPの仲間もたくさん来ていました。ワイワイと盛り上がっているうちに夜は更けて、結局お開きになったのは午前4時!!! タクシーを呼んでもらって帰宅の途に就きました。

日中だったらパリの中心街は混雑がありますから、ペリフェリックと呼ばれる外周道路を経由してヴァンセンヌの森方面に向かうのですが、深夜でしたからシャンゼリゼを真っすぐ突き抜けてバスチーユ方面に向かいました。この時車の窓から見た誰もいないシャンゼリゼのイルミネーションの光景がすごく美しくて、ちょっと涙が出そうなほどでした。


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たいした目的意識も無いまま、夫婦で職を捨ててパリまでやって来て、いったい何やってんだろ?俺たち。。。みたいな気持ちになることもたくさんありました。でも10か月くらいが経過して、フランス語もちょっと分かるようになって、だんだん友人もできて、こうやって深夜まで遊んでパリの街をタクシーで走ってる…そんな思いが頭をよぎって、なんだか胸がいっぱいになりました。この瞬間の気持ちは今でもはっきりと覚えています。

オザケンの「二度と戻らない美しい日にいると ♬」ってのはこんなことなのかもしれませんね。まあこの曲が出るのは1993年末よりはだいぶ後ですが(笑)(1995年11月リリース)




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