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「パルテノン・スキャンダル ~大英博物館の略奪美術品~」


石膏像図鑑の原稿を貼る記事が淡々と続くと自分でも飽きてくるので、コラム的な内容も少し書いてみます。パルテノン神殿にまつわる石膏像を紹介中ですので、関連した書籍をひとつご紹介します。

(手元にあるのはシンプルな表紙なんだけど、今アマゾンで販売されているのはアクロポリスの絵が描かれているものみたいですね。)

この本とても勉強になります。

ずいぶん昔ですけど大英博物館は3回も行ったことがあるし、もちろん訪問するたびにこの”エルギン・マーブル”(現在はパルテノン・マーブルと呼んでいます)と呼ばれるパルテノン神殿から持ち去られた壮大なコレクション群をありがたく鑑賞してきました。なんと素晴らしいギリシャの遺産だろうと。

かつてパルテノン神殿の破風や天井付近を装飾していた彫刻群が、19世紀初頭にイギリス人の大使エルギンによって”略奪”され、英国に持ち去られて、大英博物館に展示されている。その頃の自分はこんな風に理解していました。でもこの本を読むと、ことはそう単純ではないことがよく分ります。

この大理石彫刻群について我々日本人が一般的に認識しているのは、

①エルギンは帝国主義の勢いに乗じて、ギリシャの神殿からギリシャ人にとって大切な遺産を奪った。これはひどい行為だ。
②ただ、ギリシャっていう国はG7みたいな国々に比べると、文化・経済の発展に於いて未熟な部分があるんで、立派な英国の、立派な大英博物館内の、立派なパルテノンギャラリーに、人類共通の偉大な遺産であるパルテノン彫刻が展示されているのは、そんなに悪いことにも思えない。少なくとも、これ以上彫刻が傷まない環境なので喜ばしいような気もする。

こんなところではないでしょうか。

新聞などで、”ギリシャから彫刻の返還要求がなされて、それを英国側が拒否”というニュースが再三報道されますが、私も含めて、対岸から眺めている多くの日本人にとっては、”これはデッドロックの問題だし、結局現状維持だよな~”っていうのが正直な感想だと思います。

ところがこの本を読み進むと、当事者であるヨーロッパの人々にとっては、このパルテノン神殿の彫刻群をめぐる動きというのは、現在進行形で激しく動き続けている大きな政治問題だということがよく分ります。

また18世紀末~19世紀にかけて、オスマントルコの支配下にあったギリシャ地域に於いて、どういった背景で英国人のエルギン卿がパルテノン神殿に近づき、どんな情熱をもって人類の至上の遺産といわれる彫刻群を持ち去ったのか。そのあたりが詳しく語られています。

そもそも”持ち去った”という表現だと”置き引き”みたいな響きですけど、相手は数十メートルの高さにはめ込まれた数百キロの石の塊です。一体の彫刻を地上に降ろすだけでも、想像を絶する苦労だったと思います。さらにそれを陸路で運び、船に積み込み、遠路はるばる英国まで持ち帰る。いったいどうやって?

それには想像以上の苦労があったようです。彫刻群をパルテノン神殿から運び出し、それらが英国にすべて到着するまでに、なんと10年の歳月がかかってるんです!彫刻を積み込んだ船が途中で沈没し引き上げるのに4年もかかたり、マルタ島で途中下船して6年も留め置かれた荷物があったり。

当事者のエルギン卿は、ギリシャからの帰途にフランスでナポレオンによって3年間も幽閉される身となり、ひどい健康状態(梅毒が疑われた)のうえに、さらに妻子にも去られて。

やっと彫刻がイギリスに到着しても、破産寸前のエルギン卿には彫刻群を維持・管理してゆくだけの資産が無い。彫刻群を略奪していた当時から、英国内でもエルギンに対して、”恥ずべき行為である”という非難が巻き起こり。さらに英国の美術専門家たちからは、彫刻群に対して不当に低い評価を与えられたり(「これはギリシャ彫刻ではなく、ローマ時代の彫刻だ」などの、まったく見当はずれの批判)。とどめは、最後の望みをかけた国家による彫刻群の買い上げが、非常に低い価格でしか成立しなかった。

(トホホな男、第7代エルギン伯爵トマス・ブルース)

もう、これでもかってくらいの踏んだり蹴ったりのエルギン卿。ばちが当たったと言えばそれまでですが、当時のトルコ支配化のギリシャでは、まだまだ政治状況が不安定で、仮にエルギンが奪わなかったとしてもどこか他の国が手を出したかもしれません。

また、17世紀にベネチアVSトルコの戦闘で発生した大爆発で、すでにパルテノン神殿は壊滅的な被害を被っており、何もせずに放置しておけばさらに崩壊・流出が進んだ可能性は十分にあります。

(1896年のパルテノン神殿の様子。エルギン卿の略奪から100年後の姿。ほぼバラバラですが、色味の違う大理石がはめ込まれているので、これでも修復がかなり進んだ状態ではないかと思います)

そう考えると、破風彫刻やメトープ(欄間部分のレリーフ)が、ああいったクオリティーで現存しているというのは、エルギンがいればこそという見方もできます。

(浅浮彫のフリーズ群 全体では160メートルもある図像で、大英博物館はその50パーセント以上を所有)

(東側破風の彫刻群 これらは完全な丸彫り彫刻。構図、身体の動き、布ひだの表現・・・、こんなにボロボロになっていても、あらゆる面で古代ギリシャ文化の頂点の作品であることは一目瞭然!)

そういった過去の複雑な経緯を語ったうえで、では現在、そしてこれからの”パルテノン・マーブル”はどうなるのか?どうしていったらいいのか?ということも、最新の情報を交えて詳しく語られています。

そして、この問題を深く考えてゆくと、たくさんの有名な美術館・博物館(特にヨーロッパ、アメリカの国家的規模で運営されているもの)が収蔵している古代遺物の帰属問題に行き当たります。”国家”というものの枠組みが成立する以前の世界で作られ、主に18~19世紀に列強諸国主導で発掘され管理されてきた古代遺物が、いったい誰に帰属するものなのか?これは当事者である、ルーブル美術館、大英博物館、メトロポリタン美術館などの”立派な”美術館にとっては大問題です。

作品を作った祖先の人々を継承する民族に帰属するというのも一つの意見でしょうし、合法的に発掘物を購入しているんだから現在の美術館のものだという意見もあるでしょう。難しい問題です。

この”パルテノン・スキャンダル”の本が出版されたのは2004年なんですけど、その時建設中だった新アクロポリス博物館は、2004年のアテネオリンピックと同時開館の予定が遅れに遅れ、最終的に2009年にオープン(これだからギリシャが英国になめられちゃう)。素晴らしい施設が完成しています。

そして最上層に乗っかっているガラス張りの部分。これが”パルテノンギャラリー”といって、パルテノン神殿とまったく同じ方位で建設されていて、内部にパルテノン神殿と同じ配置でその彫刻を再現展示可能な施設です。内部に神殿が再現されるような考え方で、破風彫刻やフリーズはすべて”外側を向くように展示されています。明るくて近代的で素晴らしい展示環境ですね。

準備は整っているんです。現在は、ギリシャ側が所有している彫刻群のみが展示されていて、英国側から残りの彫刻達が帰還する日を待ち続けています。あるレリーフの下側はギリシャに、上半分は英国になんていうものもあります。本当はすべてが一か所に収められるべきもであることは明らかです。問題は”どこで?”すべてが一体になるのかですね。


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