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「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例素案」の問題点を徹底的に整理

香川県によるゲーム依存症対策に違和感を覚える方が多くいらっしゃいますが、パブリックコメントのような形で意見を伝えるためには、論点を正しく整理する必要があります。

ちなみに、このパブリックコメントですが、ゲーム事業者であれば香川県民でなくとも提出可能だそうです。

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というわけで、ゲーム製作者は他人事ではありません。

ここでは、本条例に関する議論の土台を整理し、論理的に本条例案の問題点を指摘することで、パブリックコメントを送る方々にとって参考にして頂きやすい資料を目指します。

また、社会がゲーム依存に対処する手段として、行政ではなくゲーム製作者としての研究や開発、ゲーマーとしての意識を含めた対案を示します。条例による制度化、という強い規制に対しては最大限に慎重であるべきです。

以下、論理的になるよう意識して書いておりますので、読みにくい部分もあるかもしれませんが、この問題を放っておけない人は、どうか、お付き合いいただければ幸いです。


ゲーム規制派であれ擁護派であれ、次の命題を受け入れてください。この命題(双方が目指す世界)がズレていると、今後の議論がすべて無駄になります。可能な限り多くの賛同を得るため、次のように設定してみました。

命題:人権を可能な限り制限しない形で、ゲーム依存による社会的な損失を最小化せよ

規制派は、ゲーム依存による社会的な損失を最小化したい。
その手段としてゲームの時間制限を含む条例案を制定したい。

擁護派は、ゲームという文化的活動を行う権利を侵害されたくない。
そのために依存可能性のあるゲームも含む活動を条例で制限されたくない。

両者の言い分を可能な限り実現するには、上記の命題が最も適切であると考えます。

この時点で万が一、いや、ゲーム依存を消せるならゲームをやりたい人の人権は考慮しなくてよい、とか、いや、ゲームを好きなだけやるためなら依存症患者が出ても構わない、という過激派は議論が成り立ちません。残念ながら私はそのような方に対してこれ以上何も言うことはできません。この命題に賛同いただける方のみ、今後の議論を参考にしてください。

仮定:「ゲーム依存」とは

ここでは、条例案に沿った以下の定義を採用します。

ゲームにのめり込む事により、
日常生活または社会生活に支障が生じている状態。


命題を2つの条件に分けます。

1,ゲーム依存患者を治療、および予防する。

2,人権を可能な限り制限しない。

以下、条例案がこの2つの条件を満たしているかどうかを判定します。


1,ゲーム依存の治療、予防に対して適切であるか

本条例の実行が「問題なく行われると仮定」すると、「ゲームが原因となって日常生活に支障をきたす」事に対する対策としては十分です。なぜなら、ゲームを平日60分や休日90分を基準とした時間に制限されれば、そのプレイ時間では他の日常生活に支障をきたし得ないからです。

1-(1)内発的な動機を妨げてしまう問題

一方で、このルールを遵守させる過程が、自主的な判断(他の趣味も勉強もやりたい、という気持ち)による内発的動機づけではなく、権力による規制(親が、行政が、そのように指示するから)による外発的動機づけになってしまうために、モチベーションの剥奪が起こり、「本当他のこともしたいのに」という気持ちがあった場合でも、「本当はもっとゲームがしたいのに」と考えを変えてしまう原因にもなりかねません。

本条例を推進してきた国立病院機構久里浜医療センター院長 樋口 進氏のコラムにおいて(ですら)も、強制的な措置は逆効果であることが指摘されています。

まず、物理的にスマホやWiFiを取り上げることはしません。患者は、どのような手段を使ってもゲームを続けようとしますので、単に取り上げるだけで成功することはほとんどありません。むしろ、暴言、暴力などの反撃にあって、周囲が大変な思いをすることになります。目標は彼らに自分の問題を理解してもらい、自らゲーム時間を減らす、または完全に止めるように決断させ、それに向けて努力するように導いてゆくことです。

1-(2)ゲーム依存が共存症である可能性

より根本的な問題としては、ゲームによる依存をなくしたところで、結局別のものに依存したり、日常生活、社会生活そのものに別の問題を抱えたままで、改善につながらないという場合も考えられます。すなわち、ゲーム依存はあくまで症状であって原因ではないという場合です。

次の資料では、インターネット依存における研究で、「共存症」という観点から重要な指摘をしておられます。

「インターネット依存」研究の展開とその問題点 小寺 敦之 東洋英和女学院大学『人文・社会科学論集』第 31 号(2013 年度) (PDFファイル)

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これはネット依存についての論文ですが、ゲーム依存に関する研究にもほとんど同じことが言えます。学力低下やひきこもり、睡眠障害を引き起こす他の社会的要因を矮小化させてしまい、本来の疾患を見逃してしまう場合があるので、ゲームとの明確な因果関係が示されないままに規制を行うことは、危険にもなります。

この観点については、明確に共存症の方が多いのか、ゲームが原因の方が多いのか、判断できる資料が無いため、ここでは結論を出しません。

1,結論

以上を踏まえた上で、1,ゲーム依存の治癒、予防に対して最適であるか、という観点からは、

1-(1)内発的な動機づけを妨げないように十分注意すべきであること。現在の条文における「基準とする」という文言においても、基準を変えても良いのか、その際に子供の自主性は担保されるのか、等の観点が盛り込まれるべきであること。

1-(2)共存症を含めた研究を十分に行うべきであること。ゲームが原因と明確に言えない場合は、依存に対する対処そのものとして間違っていることになるので、条例制定の前に多角的な視点からの検討がされること。

少なくともこの2点の問題を解決する必要があります。

そのため、本条例案は、ゲーム依存を治療および予防する、という観点からも適切とは言えません。


2,人権の制限範囲を最小化しているか

次に、制限範囲を最小化すべきという観点です。

これについては、規制派から誤解されると議論が進まなくなるので、前段として「なぜ制限を最小化すべきか」を論じておきます。

なぜ不必要なまでに規制してはいけないのか

極端な話をすると、例えば、全てのゲームの使用、製造を完全に禁止すればゲーム依存は消え去ります。しかし、当然ながら、本条例案でもそんな事はせず、ゲームの製造販売を認め、1時間までなら使用を認めるというのは、「依存症対策に不必要なところまで制限するのは良くない」という共通理解があるものと考えます。

不必要なものまで規制をしてしまうと、幸福を追求するための人権が制限される、ゲームによって得られる良い部分も切り捨ててしまう、ゲームという産業を衰退させてしまう、など、ゲームを遊ぶ個人の幸福や成長のみならず国益にも反してしまいます。これは規制派、擁護派ともに賛同いただけるでしょう。

しかし、この「対策に不必要なところ」の範囲の認識が、ゲームを知っている人と知らない人で溝が大きいという事が条例案からは読み取れます。この点を順を追って指摘します。

問題となる条例素案の第18条を引用します。

1 保護者は、子どもにスマートフォン等を使用させるに当たっては、子どもの年齢、各家庭の実情等を考慮の上、その使用に伴う危険性及び過度の使用による弊害等について、子どもと話し合い、使用に関するルールづくり及びその見直しを行うものとする。
2 保護者は、前項の場合においては、子どもが睡眠時間を確保し、規則正しい生活習慣を身に付けられるよう、子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピュータゲームの利用に当たっては、1日当たりの利用時間が60分まで(学校等の休業日にあっては、90分まで)の時間を上限とすること及びスマートフォン等の使用に当たっては、義務教育修了前の子どもについては午後9時までに、それ以外の子どもについては午後10時までに使用をやめることを基準とするとともに、前項のルールを遵守させるよう努めなければならない

ここでは対策の「対象範囲」「制限時間」という2つの観点から、それぞれが不要に大きくなっていないかどうかを検討します。

2-(1)ゲーム全てを対象とすべきではない

素案では、まず「コンピュータゲーム」がその規制の対象となっています。なお、コンピュータゲームの定義はとくにされておらず、修正案で「オンラインゲーム」の定義が加えられたものの、あくまで制限はオフライン含めた「コンピュータゲーム」が対象となっています。

修正前の案では「スマートフォン等の使用」となっていた部分が修正によって少なくとも「コンピュータゲーム」に狭められたわけですから、県議会の立場としては、これによって「対策に不必要だった制限を取り払った」という認識かと思われます。

大山一郎議長
依存症が特に強いのは、このオンラインゲームをはじめ、ゲームでありますので、そちらに特化したほうが良いのであろう、ということで、改定いたしました」

しかし、ここでゲームをほとんどご存知ないであろう方々と、普段からコンピュータゲームに親しむ我々との大きな溝が浮き彫りになったと言えます。なぜなら、全ての「コンピュータゲーム」が依存症に繋がる、という認識は、普段からゲームに接する者たちには到底同意を得られない認識だからです。ここでは、特定のゲームタイトルなどの例示はしませんが、我々の遊ぶほとんどのゲームにおいて、依存のリスクは極めて少なく、クリアして終わる、あるいはハマる事すらなく途中でやめる、という場合もあります。

条例素案が「コンピュータゲームは一様に依存を促し、誰でも依存症につながる可能性がある」との間違った認識をしているのに対し、現実のゲームタイトルは非常に多様であり、依存症対策として全てのゲームを規制することは不必要である、との社会の認識と乖離しています。

では、ゲーム全てを規制するのは間違っているとして、何が規制の対象として「必要最小限」であるのでしょうか。この点について、私は先日別のnoteで厚かましくも多様なゲームの話をしてゲームデザインから依存に向き合うべきである、という話をしましたが、

これを推し進めると「依存性の高いタイトルは規制しても良い」とか、「自分の(あるいは議員の)気に入っているゲームは規制されない」といった、検閲的な行為にも繋がりかねず、そのような事態は私としても意図した所ではありません。弁明させていただくとすると、個別のゲームに関する依存性の対策は、ゲーム製作者、ゲームデザイナーがやるべきであり、行政による規制とは別の話を混ぜてしまっていました。

タイトルを指定して規制するなどということは、検閲に当たりますので、個別タイトルではなく、何らかの明確な基準を設ける必要があります。

2-(2)規制すべきゲームの基準は設定可能か

例えば、条例素案にも「オンラインゲーム」の定義がありますが、

(定義)
(3)オンラインゲーム インターネットなどの通信ネットワークを介して行われるコンピュータゲーム

では「オンラインゲーム」という基準が最小限の適切なものであるかというと、全くそうではありません。ここでもゲームの多様性がまだまだ大きく、オンラインだから依存性が高い、との判定はできません。オンラインでありながら依存性とは無縁のゲームも数多く挙げることができますし、オンラインの対戦ゲームに絞ったとしても依存症に繋がる事例は確率的にはごくわずかです。

先ほど紹介した「インターネット依存」研究の展開とその問題点という論文からも、「全ての人が依存するわけではない」「過度な利用も多くの人にとってほとんど問題行動にならない」「必ずしも薬物依存に見られる症状に帰結するわけでもない」という、ネットやゲームへの依存と薬物依存との根本的な違いが指摘されており、そのような多様性を含む対象に依存症というモデルを当てはめることが、いかに難しいかを説明しています。

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一方で、インターネットの特定のコンテンツや、特定のアプリケーションが依存に重要な役割を果たしている可能性がある、との言及もあります。

では、どのようなゲームのシステムや表現が、高い依存性に繋がり、規制を敷くべきと言えるほどに危険性があるのでしょうか?もし、そこに何らかの明確な基準が見いだせる事が実証されたのだとしたら、ゲーム業界としての自主規制や、ひいては行政による規制に繋げるための重要な証拠となるはずです。

しかし、そのような要素を端的に見出すことは、非常に難しいでしょう。なぜなら、それほど簡単に誰でも依存させられる仕組みがあったとすると、多くのゲームがそれに倣って作られているはずですが、実際は、ゲーム業界は未だに多くの人を魅了するための表現やシステムの開発に四苦八苦し、答えを見出せていないからです。

ただし、一昔前にあった「コンプガチャ」等、ゲーム業界が「端的な要素」を、見出してしまった事例もあります。このように、明確にあるシステムを使うと大きな被害額(当時のスマートフォンゲーム業界の利益)に繋がる、という要素が見いだせたのであれば、業界としても、行政としても、規制に繋げることに一定の理解ができます。「コンプガチャ」は「生活に支障が出るほどのお金を使わせる」ことに対して端的に有効な手段でしたが、「生活に支障が出るほどの時間を使わせる」ことに関しては、実は、それほど端的な方法が見つかっていない、というのが現状です。これが見つかった場合、業界も含めて規制の議論が進みやすくなるでしょう。

このように、依存の明確な原因が見いだせていない状態では、対象とするゲームの定義が不必要に広がってしまい、法規制としては人権を過度に規制してしまう、国益に反してしまう等の問題に繋がります。

2-(3)時間による規制をすべきか

(1)(2)までで十分に問題点は指摘できましたが、重ねて、時間によって制限することの妥当性にも疑問があることを付け加えておきます。

久里浜医療センターによるゲーム障害(WHOが規定するところのGaming Disorder)の調査によると、平日にゲームを6時間以上プレイする場合でも、日常生活に支障が出ていると答えるのは僅かに12%。逆に、1時間未満のプレイであっても、2%は問題があるとも答えています。

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これは、参議院議員山田太郎さんによる動画にて解説されておりました。この調査を論理的に解釈するのであれば、長時間のゲームプレイは、ゲーム依存のための十分条件でもない(9割近くが平日6時間プレイしても問題ない)上に、必要条件ですらない(1時間未満でも2%が問題を感じる)事がわかります。

ゲームプレイ時間が多いほど問題を感じる割合が多くなるという当然の相関だけをもって時間による規制をかける論理には、6時間プレイしても問題ない9割や、1時間未満でも問題のあるプレイをしてしまう2%の事例を無視しており、大きな矛盾を抱えています

前段(1)(2)の論点と合わせると、この調査では、これが何のゲームであるか、どんなシステムであるかも調査項目に含まれていないために、6時間以上やっても満足感を持って終えられるゲームと、1時間未満でも授業中に開いてしまう状態をまるで区別できていないという点も問題です。

ゲーム依存に関して意味のある調査・研究を行うには、それがどのようなゲームであり、何のシステムによって依存に近い行動が現れるか?という観点を導入しない限り、意味のあるデータを見出すことは難しいでしょう。

2,結論

以上を踏まえた上で、2,人権の制限範囲を最小化しているか、という観点からは、

2-(1)および(2)から、ゲーム全てを対象とすべきではなく、対象となるゲームを定めようとしても、その条件を端的に表すようなシステムは解明されておらず、適切に規制対象を絞り込む事ができない。そのため、ゲームシステムも含めた依存の研究が進み、特定のシステムが高い確率で依存を引き起こす因果関係が結論されない限りは、法的な規制はすべきではない

2-(3)から、利用時間だけでは依存との因果関係が無いと結論づけられたため、上記のシステムに関する研究を推進させることを対案として推奨するとともに、時間のみによる規制をするべきではない

このように結論します。

以上のように、本条例案は、人権の制限範囲を最小限にするという観点からも、著しく論拠に欠け、不適切です。


まとめ

以上の1,2,より、本条例案が複数の観点から不適切であることが示されました

それぞれの観点において、規制が必要な場合の条件も合わせて設定しておりますので、その全てを満たす場合に、改めて議会としては規制条例をご検討いただきたいと考えます。

その条件をまとめると次のようになります。


ゲームを条例で規制するための必要条件は、

1,ゲーム依存の治癒、予防を適切に行うために

1-(1)子供の内発的な動機を蔑ろにしないように自主性を担保した条文に変更し、

1-(2)共存症を含めた多角的な原因調査を行ってゲーム以外の根本的な問題への対処を先んじて施し、

2,人権の制限範囲を最小限とするために

2-(1)(2)規制対象とするゲームを適切に絞り込むための端的な条件を設定するため、ゲームの中の「どのようなシステム」が「高い確率」で「全てのプレイヤー」を依存症に導く「因果関係」を持っているか、という研究を行い、そして、もし、そのような明らかに依存症を引き起こしやすい特定のシステムが見つかった場合にのみ、そのシステム含むゲームに対して、という明確な条件を設定する。

2-(3)一定時間以上プレイしなければそういったシステムによる依存を防げる、というエビデンスがある場合は、時間による規制を行う。時間に関係ないのであれば、そのシステムを持つゲーム自体に規制をかける。


ここまで揃ってようやく、条例や法律といった強い権力によって特定のゲームプレイを規制すべき条件が整ったと言えるでしょう。


全国的な流れ

現状の香川県議会とその調査に協力した規制派は、あまりにもゲームに対する理解が乏しく、明確な因果関係をつかめていない状況ですので、間違った規制条例を広めないためにも、ゲーム業界も協力して、何が日常生活や社会生活に影響を及ぼすほどの依存を引き起こしてしまうのか、についてのより詳細な研究が行われることを願います。

幸い、CESAがすでにゲーム障害に関する調査・研究を打ち出しています。

また、本日(1/22)の国会における安倍総理大臣の答弁においても、国としては、関係省庁とゲームを供給する側の関係団体と協議の上、依存症対策を進めるとの認識が示されました。

このように、国全体としては、ゲーム業界も含めた調査・研究を踏まえた上で適切に対処しよう、との流れがあります。各都道府県においても、特別に事情が異なることは考えにくいため、拙速な条例制定はやめるべきです。


法律による規制以外の対策

条例案が不適切であることは十分に示しましたが、これによって、ゲーム依存に対する対策を何もしなくて良いという結論を導いたわけではありません。あくまで、不適切なのはそれを法律や条例といった強いルールとして採用することであり、ゲーム業界や、ゲーマー、その周囲のコミュニティ等は、より柔軟に、この問題に対処できます

本筋から離れてしまうので簡単な例示にとどめますが、条例案でもあった時間制限は、すでに各ゲームメーカーがそれを補助するための機能を提供しており、CESAでもその活用を促しています。

さらに、オンラインゲームを遊ぶ時に何に注意すれば良いのか?スマートフォンで遊ぶ時に何に注意すれば良いのか?といったことに関しても、CESAが啓蒙活動を行っております。

このような取り組みは、まだ一般に広く知られてはいないかもしれませんが、この機会に議論の参考として広く周知されると良いでしょう。

また、我々ゲーマーやゲームコミュニティも、ゲーム依存に近い状態になってしまった場合、自分や周りがそれを見つめ直す意識が大切です。好きなゲームを好きなだけプレイすることは幸せなことですが、終わった後に後悔していたり、他の活動を蔑ろにしすぎて迷惑がかかっている場合は、本当にそのゲームをやりたい理由を説明できるか?他のことを終わらせてからプレイする方がより満足度が高いのではないか?友達を誘う時に断りづらいような雰囲気になっていないか?等、注意することでゲーム依存を防止し、ひいては社会からの無用の誹りを防ぐことができます。

何がゲーム依存と因果関係があるのかがわからない現状だからこそ、遊ぶ方、遊ばせる方がそれぞれ自主的に注意を促すことが、過度な規制を生み出さないためにも重要です。


条例素案全文に個別指摘

最後に、条例素案を引用し、画像として掲載させていただきます。これまでの議論において、細かくて書いていなかった点についても少しずつ指摘しておきます。

香川県議会のホームページから、条例案の内容を引用します。

https://www.pref.kagawa.lg.jp/gikai/hodo/pabukome_020123.pdf

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第1条(目的)”次代を担う子どもたちの健やかな成長と、県民が健全に暮らせる社会の実現” ←この中に、ゲームをプレイして得られる成長や社会的意義が含まれていることを願います。

何度も引用しておりますが「インターネット依存」研究の展開とその問題点という論文においても指摘されているように、

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ネットと同様、ゲームでの体験や対人関係は、現実世界より劣っているという差別的な前提によってこうした依存症が研究されている背景があるため、このバイアスを認識したうえで修正することが必要です。

前文より

”…問題まで引き起こすことなどが指摘されており” ←因果関係を示した研究は本当にあるのでしょうか。

”…大人よりも理性をつかさどる脳の働きが弱い子ども” ←論拠は何ですか。

”…大人の薬物依存と同様に” ←薬物依存とは多くの点で違います。

同論文において指摘されているように、ゲームは薬物と違い、「全ての人が依存するわけではない」「過度な利用も多くの人にとってほとんど問題行動にならない」「必ずしも薬物依存に見られる症状に帰結するわけでもない」です。また、安易に「依存」のラベリングを転用することで、例えば赤ん坊の育児なども同様の観点で「依存」となってしまうなど、度を超えた広範性を持ってしまいます。規制したいものを何でも「依存」としてしまうことは、本当の薬物依存などに軽いイメージを与えてしまいかねません。

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”…子供時代が愛情豊かに見守られることで、愛着が安定” ←岡田尊司氏の著書からこういった概念を援用しているものと思われますが、私は読んでいないので意味がわかりませんでした。

”…何事にも積極的にチャレンジし、活動の範囲を広げていけるように” ←ぜひとも、ゲームプレイを通した活動や、ゲーム開発にも積極的に広げていけるように願っております。

なんと、香川県でも48時間でゲームを作るイベントGlobal Game Jamの会場が準備されているようです。もし、48時間のうち2時間しかテストプレイができないとすると、大変ですね。。(※実際は、まったくテストプレイができないチームも多いと思いますが、頑張ってください)

第2条(6)"スマートフォン等 インターネットを利用して情報を閲覧(視聴を含む。)することができるスマートフォン、パソコン等及びコンピュータゲームをいう。" ←スマホとPCとゲームを一緒くたにスマホ等とくくるのは、かなり乱暴に思えます。定義は自由にしていただいて構いませんが、これらを総合して何かを論じることは難しいのではないでしょうか。

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第3条(2)”…ゲーム依存症が、睡眠障害、ひきこもり、注意力の低下等の問題に密接に関連することに鑑み” ←「ゲーム」とこれらの障害の因果関係は証明されていません。あくまで、「ゲーム依存と診断された人」が「睡眠障害やその他の問題を同様に抱えていた」という関係で、母集団がまるで違います。この点を間違えないようにしてください。

第4条(3)”…ゲーム依存症に陥らせないために市町、学校等と連携し(中略)子供と保護者との愛着の形成の重要性について、普及啓発を行う” ←岡田尊司氏の講演機会を増やしたいからといって、条例文にまで特定の人の思想を反映しないでください。第6条の(2)、第8条の(3)にも同様の表現が見られます。

第4条(4)”…ゲーム依存症に陥らせないために屋外での運動、遊び等の重要性に対する親子の理解を深め” ←屋外での遊びによってゲーム依存が防げるという有意なデータはあるのでしょうか。これは先程も指摘したとおり、ゲームでの体験は、現実世界より劣っているという差別的な先有的態度の問題なので、そのような偏見を無用に助長しないよう注意してください。

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第7条”ネット・ゲーム依存症対策に関連する業務に従事する者” ←これには、ゲーム開発者は含まれているのでしょうか?協力という意味では、含まれるべきと考えます。一方的に制限を課される関係ではいけませんが。

第8条(1)”県は、(中略)国に対し、他の依存症対策と同様に” ←他の依存症と同程度に確実で明確な基準を作れてからにしてください

第8条(2)”eスポーツの活性化が子どものネット・ゲーム依存症につながることのないよう” ←難しい問題です。eスポーツが世界中で認められれば、それこそ現在のスポーツ選手を夢見る子どもと同様に、ゲームに本気で取り組む子どもも認められて然るべきです。しかし、競争である以上、eスポーツも世界で活躍するには厳しい世界です。ほとんどのゲーマーは自分には難しいと感じているはずです。そこに安易な夢だけを与えて、時間やお金を搾取するような構造が生まれないようには注意すべきでしょう。

第11条(1)”ゲームのソフトウェアの開発、製造、提供等の事業を行う者は、(中略)ネット・ゲーム依存症対策に協力するものとする” ←すでにゲーム開発者の間では、開始時に「香川県民ですか?」との選択を迫り、はいを選ぶとゲームが遊べない、といったジョークすら飛び出しています。

問題が多い現状の時間規制に協力することはありえない事ですが、ゲーム依存に対する正しい理解のための研究であれば、協力します

第11条(2)”著しく性的感情を刺激し、甚だしく粗暴性を助長し、又は射幸性が高いオンラインゲームの課金システム等により依存症を進行させる等子どもの福祉を阻害するおそれがあるものについて自主的な規制に努めること” ←依存症との因果関係が明確に示された場合は、自主的に規制するべきでしょう。現状そのようなシステムは見つかっておらず、性表現や暴力表現などに至っては明らかに無関係です。このような記述は、端的にゲームに対する無理解を露呈してしまっています。依存に関わるシステムは別のところにもありますし、ゲーム以外にも原因はありえます。

第11条(3)”端末設備の販売又は貸付けを業とする者は、その事業活動を行うに当たって、フィルタリングソフトウェアの活用その他適切な方法により、県民がネット・ゲーム依存症に陥らないために必要な対策を実施するものとする” ←はい。SIEも任天堂も対応しています。

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第12条”ネット・ゲームに関する正しい知識の普及啓発” ←正しい知識とは何でしょうか。県議会におけるゲームの認識が著しく間違っていることを受け止め、正しい知識を身に着けてください。そのために、私はこのように情報提供をしておりますし、時にネットを活用したりゲームを体験することも大切です。

第13条”ネット・ゲーム依存症の予防等に関する知識を深めるために必要な施策を講ずる” ←是非、ゲーム業界にも協力させてください。

第16条”ネット・ゲーム依存症に関し十分な知識を有する人材の確保” ←ここにも当然ゲームの専門家がいるべきです。

ゲームを知らない人が依存症の研究と称して、全てのゲームを一緒くたにして、プレイ時間のみを比較する等の非常に意味の薄い研究を進めてしまっては、いつまでも因果関係が見えません。

バイアスを受け入れ、協力すべき

今回の条例案を推し進めていた久里浜医療センターの樋口進氏による参考人意見書には、中国でのゲーム依存対策が効果検証がされていないのに実施状況を良好と評したり、ゲーム業界による調査実施を引き合いに出しながらも「方法にバイアスが入る可能性」とコメントするなど、ゲーム業界を敵視している事が見受けられます。ゲーム依存解決のために協力しようという場合に、このような敵対的姿勢は不適切です。

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また、そもそもの根拠としているWHOのゲーム障害認定も、この久里浜医療センターが牽引して資金をつぎ込んで実現させたものであることを、高らかに宣伝されています。

我々にとって、この収載はまさに感無量といえるものです。なぜなら、この動きは当センターがWHOに強く働きかけて始まり、WHOに技術的、経済的に協力を続けて、実ったものだからです。
そして、この問題の深刻さ、問題の拡大を目の当たりにし、WHOのコラボレーションセンターとして、ゲーム障害をICD-11に収載するための動きを牽引してきた私どもとしては、複雑な思いがある。

依存症対策、研究では国内随一の専門性を持っているらしい久里浜医療センター。確かに、アルコール依存などに関しては歴史のあるセンターのようですが、ネット・ゲーム依存に手を広げるにあたって、それら対象への理解を深めていない点が多くあります。ゲームの中身を何ら調査項目に入れていない事からもそれは明らかですが、

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ゲーム業界におけるeスポーツに関する研究を「バイアスのかかった現状」と切り捨てている事からも、敵対姿勢が伺えます。しかし、利益的な相反が明らかでないことは、依存症を扱う医療センターとしても同じ事ではないでしょうか。

互いが互いに「相手はバイアスがかかっている」と言って無視することは無益に他なりません。私は、バイアスはあって当然と考えるべきと思います。お互い、自分はバイアスしている可能性がある、との前提に立った上で、依存症の専門的知見と、ゲームの専門的知見を合わせない限り、ゲーム依存に関しての研究は前に進まないのではないでしょうか。

私の論理展開において、依存症に関する何らかのバイアスによって間違った認識をしてしまっている点がありましたら、是非ご指摘ください。

問題の第18条

こちらについては、最初に十分な文量で反証したので、ここでは大きく取り上げません。ただ、表現として気になる点を挙げると、

”基準とする”という事は、60分や90分といった時間制限を独自に変更して2時間、3時間、制限なし、という事も「家庭のルール」としてしまえば問題ないという解釈なのかどうか。

以下の四国新聞の記事を信じるのであれば、「平日60分」などは、その基準であって、家庭の問題には踏み込んでいない、というような表現をされていますが、これが、解釈の多義性を利用して、表向きには何もしていないことを装って、実際は60分として圧力をかける、という都合の良い運用がなされる事があってはなりません

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四国新聞に関してはかねてより議会との癒着が懸念されており、この紙面をそのまま信じることは危険です。

また、

”子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピュータゲームの利用に当たっては”という表現も多義的に取れます。これを、表向きは「依存症に繋がらないゲームは問題ないとしている」と取らせることもできますが、一方で、「コンピュータゲームは全て依存につながりかねないので同じだ」と主張することもできます。このような言葉の綾を利用して都合よく規制しようという事はあってはなりません。

万が一、このような間違った条例が施行される場合があったとしても、この解釈は明確にすべきであると考えます。それによっては、家庭の問題として無視すべきか、それとも撤回させるべきか、という動きが変わってきます。

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以上となります。非常に長い記事になりましたが、お読みいただいきまして、本当にありがとうございます。あなたのその懸命な姿勢こそが、問題に真摯に向き合うために必要です。

どうか、この間違った状態のまま条例案が通ることのないように、パブリックコメントや、議員への連絡等を通して、意見を表明してください。

1/23追記:私はこのようにしてE-mailでパブリックコメントを送信しました。以下のツイートから一連のスレッドをご覧ください。

テキストでコピーする場合は、こちらのGoogleDocsから全選択すると楽です。

ご意見、ご感想は
著者Twitter:@geekdrums
まで頂けるとありがたいです。




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