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FE風花雪月の紋章xタロット本から読み解く、大アルカナの構造分析

(↓のアカウントから記事を移転してきました)
https://note.com/geekdrums_diary/n/n3c40da521557

「ファイアーエムブレム風花雪月を300時間で3周してからが本番だった話」の派生で、長くなりすぎたのでアルカナ・タロット分析だけ別記事に分けたものです。

FE風花雪月をクリアした後にネットを探してたらここ最近読んだ文章の中でぶっちぎりで一番面白いブログ↓にたどり着き、タロットやアルカナの持つ面白さに触れるきっかけとなりました。

なんぼでもリンクを置いておくからとにかく読んでくれとしか言えない。

しかしこのブログを読んで「なるほど~マジか~ほんとに全部こうやって繋がってたのかよ~~」っていう感動を得られるのはFE風花雪月をクリアした人だけなんだ(キャラのアルカナ解説記事なら1ルートでも十分と思われる)(他にも色んなネタバレ記事があってそれは3ルートクリアしたほうがより良くわかる)。

というわけで、FE風花雪月クリアして、その背景にあるアルカナの元型が気になってきた方は、是非、以下の同人誌を読んでみることをおすすめします。¥6,300しますが、350pの分厚い内容と、美麗なタロットカードがついてきます。

そして、本記事では、そのぶっちぎりで面白い文章を書かれているブログをオススメするに飽き足らず、私自身が「何かこの……アルカナの中には人間の本質に迫る構造がありそうで、もっと抽象化したらそれが浮き彫りになりそう」という直感から、勝手ながら自己流のアルカナ構造分析を行った結果を記します。

※あくまでもFE風花雪月のアルカナに関する同人誌を1冊読んだだけの素人が考えた独自解釈です。間違っても「タロットの本当の意味はこれだった!!」みたいな話ではありません。そもそもタロットの歴史は(これも本を1冊読みかじった程度の知識ですが)紆余曲折で、いろんな解釈とかバージョンとか数字も絵柄も含めて膨大な文化資産があります。ここではそういうのを全部削ぎ落として「俺はこう捉えてみたらなんか腑に落ちる理解ができたし、これを使うと世の中の流れや人生の流れをパッと噛み砕くのに便利かもしれない」という意図の整理がしたかっただけなのでご承知おきください(大量の予防線)。


22枚=1枚の愚者+21枚の物語

まず22枚ってのがそもそも微妙すぎる数なんですが、これは実際の所1+21に分けることができ、1ってのは「0番目」の「愚者」のカード。トランプのジョーカー、ワイルドカード、何者にもなれる、という特性上「主人公」に当てられるタイプのものです。

3段階の整理

愚者以外の21枚がメインの?大アルカナで、これは3*7に大きく分けることができるそうです。

「学習の段階」

1,魔術師
2,女教皇
3,女帝
4,皇帝
5,法王
6,恋人たち
7,戦車

「均衡の段階」

8,力
9,隠者
10,運命の輪
11,正義
12,吊られた男
13,死神
14,節制

「実現の段階」

15,悪魔
16,塔
17,星
18,月
19,太陽
20,審判
21,世界

となります。

これが人間の一生や世界の流れにも対応させることができ、確立された価値観を「学習」し、現実のものと「均衡」をはかりながら、また新たな価値観の世界を「実現」していく、という流れになっています。

私はこの3*7の割り方が(この人の本を読んだので)しっくり来ていますが、タロットには多層的な読み解き方が織り込まれており、数字のイメージにも意味が宿っていることから、10個ずつとか5個ずつで分ける方法もあるようです。

7段階の整理

3*7の割り方で、大きな3段階と直行する7段階がどういう概念に対応するのか?を考えてみた仮説が以下になります。

1,内なる欲望と向き合う段階

1,魔術師
1+7=8,力
1+14=15,悪魔

2,自らの信念を選択する段階

2,女教皇
2+7=9,隠者
2+14=16,塔

3,他人任せになる段階

3,女帝
3+7=10,運命の輪
3+14=17,星

4,自他に通じる基準を探す段階

4,皇帝
4+7=11,正義
4+14=18,月

5,他者に信念を押し広げる段階

5,法王
5+7=12,吊られた男
5+14=19,太陽

6,壁に直面して生まれ変わる段階

メモ:自他の境界をはっきりさせる?

6,恋人たち
6+7=13,死神
6+14=20,審判

7,相反するものを調和させる段階

7,戦車
7+7=14,節制
7+14=21,世界

以上の流れを、段階ごとの起承転結2周回分で整理したイメージが以下になります。3で転機が来て、4でもう一度探索し、6でまた壁にぶち当たり、7で一旦の答えが出る、という流れが繰り返されているように見えました。

なぜこのように整理できるのか?ざっくりと説明してみます。

1,内なる欲望と向き合う段階

この段階では各ステージの出発点ということで完成には程遠く、人間の様々な弱さと向き合っています。学習したくない、均衡を取りたくない、実現したくない、そんな初期状態ですが、ここで向き合う力こそがこの後のため、そして社会のためにも必要になります。

1,魔術師は、「学習」の段階なので「何でもできる」という欲望と向き合っています。

アルカナを人生に対応させた場合、一番最初の「1」なので完全に赤ちゃんの状態になります。また、1から5あたりは赤ちゃんに対応するというよりは、それを生み出し育てる親や支配者の性質に対応していたりします。

魔術師は「奇跡を起こす存在」「トリックスター」であり、多才であらゆる事を可能にする才能や意思を秘めています。

8,力は、「均衡」の段階で「自らの内なる獣」と向き合っています。

「力」っていうと強さ、パワーみたいな意味が浮かんできますが、大アルカナの「力」は「堅忍」「忍耐力」といった精神的な強さを表し、重要な徳性の一つとされます。

対応するブレーダッドの紋章を持つのはディミトリ。たしかに怪力で猪突猛進というパワータイプでもあるのですが、フェリクスにさんざん「猪め」と指摘される自らの獣性を飼いならして「自分がやろうとしていることは、本当に望まれていることなのか」と向き合おうとする力が彼の持つ本当の意味での強さでしょう。

15,悪魔は「実現」の段階なので、「私にはどうせ何もできないから、何も実現せず、このまま楽にしていたい」という欲望と向き合っています。

対応する獣の紋章を持つマリアンヌは、完全に鬱でゲーム中もずーーーっと「私なんて……」と言ってプレイヤーをやきもきさせますが、そんな彼女にド正論で「自分を動かして改善しないとどうにもならないぞ!」って言うことは、逆説的に、「どうしようもない境遇の人間は、自分を動かしていない怠惰な人間である」という公正世界仮説のような偏見に繋がりやすいです。

解説記事は以下より。1,魔術師と8,力については書籍版のみの書き下ろしとなっています。

マリアンヌや、先程のディミトリもですが、こうした「欲望」に溺れるキャラクターが必要とされるのはまさにそうした「弱者」に光を当てるためだったりします。社会を動かすのは正論であっても、それで全てが救済されることはなく、不運により生まれる弱者にはそれに寄り添う存在が必要になります。そんな時に、自らの欲望の多さ、バランスの無さ、怠惰な気持ちなど、内側の弱さと向き合った経験こそが、彼らの魅力となるのです。

2,自らの信念を選択する段階

この段階では、欲望と向き合った末に自分の内側から「こうしたい」「こうあるべきだ」といった信念を選択しています。これから先に様々な困難が待ち受けていますが、まず何はともあれ進むためには自分の信ずるものを選び取る必要があります。

2,女教皇は、人々が心の奥底で望んでいるが、まだ実現していない「本当はこうあるべき」という啓示を受け取ります。奥底に「隠されていたもの」を「暴く」というのもこの段階に共通しそうです。

対応するセイロスの紋章を持つのはレアエーデルガルト。いずれも民衆の内なる声を代弁し、見えていなかった新たなる秩序を顕現させます。同じ紋章を宿していながらも、それぞれが顕現させる世界がまた違うというところが、この作品の面白さでもあり、アルカナのループ構造と美しく対応している部分でもあると思います。

9,隠者は、他者や俗世のことに気を取られず、自らの真理を探究する、自己研鑽、といった意味があります。その名の通り「隠す」という性質のある隠者ですが、「選択をした後である」という事も重要になります。

対応するグロスタールの紋章を持つリシテアが、この後出てくる「恋人たち」アルカナのリンハルト君との支援で「……君はもう選択しているからね」と意味深な言葉を残されます。「恋人たち」は自ら選択をする段階で、そこで選択した後、自らの生きる意味や価値はこれであるという確信を持っているのが隠者の段階であり、リシテアは「他のことを投げうって努力しまくって両親を安心させなきゃ」と確信しています。

あとグロスタールと言えば、ローレンツ=ヘルマン=グロスタールがこの「隠者」に対応するんですが、どこが?なんで?っていうのは是非以下の記事を読んで下さい。

「選択している」というのは、先程の「女教皇」そして次に紹介する「塔」にも共通します。こうした特徴は、とにかく手を動かして活動して世界を変える!自己研鑽して強くなる!という意味では非常に強力な反面、それが裏目に出た場合、つまり、自ら確信していた価値観が間違っていたり、他の誰かにとっては迷惑だったり、そういう場合に行き過ぎてしまうというトレードオフがあります。

16,塔ではその選択してしまった事によるトレードオフの負の側面が鮮明に描かれています。塔は人間の作り出したものが天に届こうとする様、ある種の傲慢の表れですが、カードにはその塔が天からの雷で破壊される様子が描かれており、盲信が破壊され、偽りの庇護の下から開放される、といった意味があります。

対応するカロンの紋章を持つのはカトリーヌ。カトリーヌは「雷霆」を操るのもカードに描かれる雷と対応するし、レア様を盲信し、そして最後に「白きもの」から「村を焼きなさい」と言われて「えっ……」となるのもまさに塔が破壊される様に対応します。リシテアもカロンの紋章を持っています。リシテアは「2つの紋章を宿したものは長生きできない」という確信から生き急いでいますが、リンハルトとのエンディングではそれを覆すことに成功し、幸せな家庭を築きます。「塔」には「それまでの盲信が破壊される」ことによって「開放されて楽になる」といったプラスの捉え方があります。

これは私が自分で辿り着いたエンディング

3,他人任せになる段階

この段階に共通するのは「無秩序」「無条件」「自然」であり、自分の力だけではどうしようもない、他者の要因に焦点があたります。これには良い面も悪い面もあり、「なんか知らんけど助かった」「なんか知らんけど死んだ」というように運次第で捉え方が変わります。タロットには正位置と逆位置がありますが、そこでの意味の捉え方も「逆の意味」ではなく「(同じ性質が)裏目に出る」といった形で、カード自体には良いも悪いも両面含まれた状態になっています。

3,女帝は、「女の皇帝」って考えるとレアのほうのイメージですが、そうではなくて「母性」「母親的な役割」で、子供や他者に対して「無条件で」「無償の」愛を注ぐ、という意味があります。

対応するドミニクの紋章を持つのはアネットで、お菓子を焼いて配ったり、予測不能なドジをしたり、といった特徴に表れています。母親にはグレートマザーとテリブルマザーと呼ばれる2つの側面があり、無条件でお世話をする代わりに、頑張りすぎてしまってヒステリックになったり、といった負の側面もあります。が、アネットはわりと純粋に良いかーちゃん……助かる……的な側面が強いですね。

10,運命の輪は、この世の理たる運命、その運行が、わかっている状態。10という数字もひとつの完成を意味し、この世界が求めているものやバランスという感覚が備わっている……というと、完璧っぽいですが、これにも裏目があります。

対応するゴネリルの紋章を持つのはヒルダです。ホルスト卿という強い兄がいるからこそ、世の中は強さだけではどうにもならないことがある、運命を味方につけないと達成できずに失望されることがある、と知っています。運命を見通しているからこそ、無駄なこともあると知っている、頑張りすぎるのも良くないってわかる。

17,星は、秩序が崩壊した真っ暗闇に、小さな希望を見つける、というもので、真っ暗なのはこの手前の「塔」で全てが崩れたからですね。

対応するのはDLCキャラのハピなので、私は詳しく知らないのですが、夜空に星を見つけるがごとく、小さな幸せを見つける姿勢を表します。

女帝、運命の輪、星、いずれも「無秩序な自然」にさらされて、絶望したり希望を見つける形ですが、その中心となる時制が違うように感じています。「女帝」では自然が持つ抑えきれない流れ、つまり「過去から溜め込まれた大きな力」(あるいは、テリブルマザーが溜め込んでるストレス)で、過去の時制が中心にある感じ。「運命の輪」は現在、まさに今世界で起こっている様々な運命を俯瞰しており、バランスを取ったり諦めたりすることができる。そして「星」は未来、今は何も無くても遠い先に希望がある事は見える、といったように、およそ過去→現在→未来に対応しているように思います。これは前の「女教皇」「隠者」「塔」が選択をするタイミングや、次の「皇帝」「正義」「月」で基準とする中心軸においても同じように解釈できます。

4,自他に通じる基準を探す段階

他者とぶつかって自分だけでは思い通りにならない、と認識した次の段階として、自他に通じるものは何か、という課題が表れます。

4,皇帝は、是非を評価し、それとこれとを切り分ける存在で、理性、合理性、なすべきことを示すものです。ここでの善悪の基準は、「過去」あるいはより広く「普遍」的な立脚点を持ちます。

対応するフラルダリウスの紋章を持つのはフェリクス。まさに合理性の塊で、剣でもってあれとこれを切り分ける、敵もスパスパ切り刻む、そんな奴です。皇帝という存在自体、過去に示された正義にもとづいて継承され、「古き良き秩序」となっていずれは打倒され新たな秩序に道を譲る必要に迫られます。フェリクスはどちらかというと「普遍」のほうで、そりゃ確かにそうだけど……と理論上、理屈上は正しいことを言うものの、それを現実に皆が成し得るかどうかは関係ない、この現地点とあの目標地点を結ぶ最短経路はスパッと直線に決まってる、さっさとそうすれば良い、と言って周囲を置いてけぼりにします。

11,正義は、その直前の「運命の輪」を受けて、「自由にならない運命があったとしても、その時点での正しいことを為さねばならない」という、これまたド正論を提示します。運命が常に揺れ動く中で、その基準を常にアップデートし続ける必要性にも駆られます。

対応するキッホルの紋章を持つのはセテスフェルディナント。「皇帝」の正義と違うのは、その立脚点が「現在」にあり、現実にそれが運用できるか、目的を達成できるか、が重要であり、そのために理想とする権威、彼らの場合はレアやエーデルガルトが、間違った道に進んでしまったという時には冷静に翻って自らが止めるしかない、というその時々の正しい判断を下します。

18,月は、夜明けに向かって手探りで歩く、不安、疑い、といった性質を表し、「未来において基準となる価値観は何か」を探り歩くような状態、と整理することができます。

対応するリーガンの紋章を持つのはクロード。まさに「夜明け」を目指して、世界の常識を「疑って」物語の真実に近づきます。「皇帝」や「正義」のように、過去や現在を基準としていないため、色んな情報を集めて推測はするものの、「まさかな……」と言って判断を保留し、わからないものをわからないままで飲み込んで整理する力があります。是と否、正義と不正をきっぱり分かつのではなく、月明かりでまだよく見えない不明な状態、グラデーションの状態を保ちます。

個人的な話ですが、私自身の性質はこの段階「皇帝」「正義」「月」に当てはまる部分が多い気がしています。合理的で、冷静で、わからない所については保留した表現に留める。

なんかやたらカッコいいな、自慢か、とも見えますが全てのアルカナにはそのトレードオフがあり、この場合、次の段階である「法王」「吊られた男」「太陽」に表されるような「自分を信じて突き進む」ということができていない状態、が私の今の弱点だと感じています。

こうやって文章ばっかりしたためてないで、いいから手を動かせ、と言われそう。ただその逆のトレードオフとしては「目指すべき道、自らの信ずるべき基準」が定まっていない状態で突き進むと、その次に「恋人」「死神」「審判」といったところで壁にぶち当たって方向転換を余儀なくされるわけで。どこまでしっかり考えて、どこから一心不乱で手を動かすか、ということに正解が無いのが人生、この世、そしてそれを反映したアルカナの面白さではないでしょうか。

5,他者に信念を押し広げる段階

この段階に共通するのは「完成」「自己犠牲」「自己欺瞞」であるように感じました。「法王」と「吊られた男」がどうやったら共通化されんじゃい、というのを悩んだのですが、どちらもその前の段階で定められた「基準」に従って、「これに従えばお前たちも幸せになるんだ」と押し広げようとした結果、無理をしたり、嘘を織り交ぜたりする必要に迫られている状況に見えます。

ちなみに、この列全部がDLCキャラに対応していて、本編では綺麗に取り除かれています。私はDLCやってないので(買ったけど……)はっきりとは言えませんが、嘘や欺瞞、といったところが本編とは折り合わず、裏側を描くDLCのほうがまとめやすかったのかなーとも。

5,法王は、手前の「皇帝」に続き、高尚な道徳的、精神的権威で、またそれを誰の目にも見えるようにわかりやすく輝く身なりや轟く名声を持っています。

「皇帝」の正しさは合理的であってもそれを受け入れてもらうにはまだ距離がある段階でした。「法王」はもっとわかりやすく、難しいことは言わんがとりあえず私が正しいからついてきなさい、と納得させるための外面を身に着けています。それが多くの人にとっては救いとなり、一方で難しい判断を省いたことで全員がついていくと取りこぼされる部分が生まれ、欺瞞による犠牲者が出る。そうした、清濁併せのみながら世界を進める力っぽいです。

12,吊られた男は、キリストの受難を連想させ、自己犠牲によって弱者を救うような性質が表されます。

「生と死、上下をひっくり返す」という読み解きからだと、「法王」との共通性を見出すのが難しいんですが、どちらもメインで見ているのが「弱者を含めた全体」であり、そこに救済を広げようとするところで無理が出てきた、という段階と理解するとわかりやすく感じました。この前段階の「正義」では、「お前の言ってることは正しいが、そんな判断を待っていたら見捨てられ追い詰められる弱者がいるんだよ!」ってことにまで手が回らないわけです(自分がその性質の自覚があるので胃が痛い)。いいからやれ。JUST DO IT。

19,太陽は、自由闊達にのびのびと自分の力を発揮する……というと、「犠牲」という感じはしませんが、それは多分(太陽のように)エネルギーが有り余っているからそう見えるだけであって、実際の所放出しているのは自分自身の熱であり、力も、お金も、命も、自分を削って出している。と考えました。

アルカナの最終盤にあたることもあり、「完成」といった側面がより強く感じられます。正直、こうやって7段階の整理をしながらも、その中身は少しずつ左右のカードに影響されていたり、数字自体の意味に引っ張られたりして、必ずしも縦がぴったり揃っているわけではなさそうです。

この段「法王」「吊られた男」「太陽」の解説はいずれも書籍版の書き下ろしとなっています。

2と5、3飛ばしの共通性

5,「他者に基準を押し広げる段階」は2,「自らの信念を選択する段階」=女教皇、隠者、塔と「自分を信じて進む」という面で似ているのですが、それを他者に広げるかどうか、という所で違う、ように思います。

女教皇エーデルガルトはめっちゃ他者巻き込んでるんですが、ただ他の級長との対立を見ると「あなたにはわからないのね、もういいわ」というように、「わからない奴まで巻き込んだり救うつもりはない」という所が違う感じがします。「隠者」や「塔」も、自分は自分の価値観が大切だと思っているし阻害されると怒るけど、それは自分自身のものであって、「あなたもそうした方が良い」とは言わない。

これもトレードオフですが、2,は自他の境界がはっきりしており、自分が救うべき範囲が見えている、逆に言うと見限っている。5,は自他の境界を広げており、救うべき範囲を再現なく広げている(そして無理をしている)と考えられます。

2と5が共通しているのはおそらく、実はこの7段階も内部的に
1=起、2=承、3=転(&一時的な結)、
4=起、5=承、6=転、7=結(=新たなる起)
という3のリズムがあって、2と5はいずれも承=発展させるという性質がある。1と4も「探る」という性質が共通しています。しかし、そのスコープが違う。1,2,3では「自分」が主にその対象だったものが、4,5,6では「他者」を巻き込んで探り、発展し、そしてぶつかります。

6,壁に直面して生まれ変わる段階

6の段階では思いっきり他者にぶつかります。3の段階ではぶつかったのは自然や無秩序、すなわちランダムなものだったのが、ここでぶつかるのは自分とはまた別の秩序、別のルールであり、決定的で避けられない性質があるように思います。

6,恋人たちは、(それまでの女帝とか皇帝とか法王といった)保護者や庇護者から教わるのではなく、自分で好きなものを選び取る段階です。

対応するセスリーンの紋章を持つのはリンハルトフレン。リンハルト君は学者として「好きに研究がしたい」という感じで、フレンは「お兄様は過干渉ですわ!私はもう子供ではないのですことよ!」という感じで自らの選択をしています。

この後の死神や審判と違って、ここではまだ「壁にぶつかった」感はありません。どちらかというと、それまでの女教皇~女帝~皇帝~法王といった「育てる側の視点」が限界に達し、これ以上は育てられる側が自分で選び取るしかない、だから、視点が育てる側から育てられる側に移り変わることをもって生まれ変わる、と解釈するのが良いかと思います。

13,死神は、異質なものと出会い、生まれ変わることを意味します。「死」というのは避けられない性質があり、場合によっては乗りこなせる「運命」とは異なります。

対応するゴーティエの紋章を持つのはシルヴァン。兄マイクランの運命を描いた「ゴーティエ家督争乱」で、プレイヤーに最初のショックを与えるイベントの中心にいるキャラクターです。

「信じていた価値観が崩れ去ってバラバラ」っていうのは「塔」にも共通する(と↓のブログでも対比されている)のですが、(私の都合の良い解釈では)塔は「崩れた後、自由になって進む」という所に焦点があるのに対して、こちらはぶつかった直後でお先は見えていない、「どうすりゃええねん」「どうしようもないじゃん」ってタイミングなのかなと捉えています。

20,審判は、審判される側、裁きを待ち、すべてを捨てて生まれ変わる、という意味があります。

対応するラミーヌの紋章を持つのはメルセデスイエリッツァ。イエリッツァがそのまんま死神騎士という所でも、「死神」には近しいですね。ただ審判はよりその運命が未来に続いているというか、もう今生は審判に任せるしか無いのだから、また来世で幸せになれると良いね~みたいな諦めがある。一方で、それに絶望したり恨んだりしていない。

この段階では、生まれ変わるしか無いということを「受け入れている」というのも特徴的です。3,の無秩序と違って6,の決定的な運命は避けようがなく、乗りこなすとかではなく受け入れるしかない。さらに、恋人たちは「既に生まれ変わった」、死神は「今まさに死んでる」、審判は「これから先死ぬことがわかってる」と、こちらも焦点となる時制が移り変わっているように見受けられます。

7,相反するものを調和させる段階

最後の段階になりました。ここではフィナーレにふさわしく「調和」や「勝利」がテーマになりますが、それぞれそのスコープが違う、ように見えます。7ずつの段階は「学習」「均衡」「実現」と(この方の本では)表されていました。それは言い換えると、「自分の中のバランス」「他者とのバランス」「世界とのバランス」を取っていく流れと捉えることができます。

7,戦車は、1から5で生み育てられて学んだことと、6,恋人たちで自らが選択したことを調和させ、学んだことを活かし、自らの進みたい方向に進むことができる、という状態です。

対応するダフネルの紋章を持つのはイングリット。ペガサスナイトがふさわしいまさに戦車。カッコいい騎士に憧れ、紋章も持って、自分の希望と周りからの希望が合致した状態です。

バランスが取れているというと、弱点がないというか、このカード裏目に出ることなんてなさそう、とも思えますが、そうではないのがタロットの面白いところ。この後のものにも共通しますが、調和はそのまま動かないこと、「うまく行っているこのバランスを崩さないこと」を優先させてしまい、それが後に新たな腐敗に繋がったり、今のバランスで苦しんでいる人を救うのではなく自己責任と片付けてしまうような危険性を孕んでいます。

14,節制は、均衡の段階で得たさまざまな他者の価値観を総合し、慎重にバランスを取っている状態、という意味があります。

対応するインデッハの紋章を持つのはベルナデッタハンネマン。ここでもやはり「動かないこと」が、良い面でも悪い面でも出ています。ハンネマンの研究はすぐに結果が出るものではなく、地道な結果を積み重ねての「準備期間」が続きます。ベルナデッタも、外の世界との接触を恐れ、自らの心のバランスを取り戻そうとしている「回復期間」にいます。この前段「死神」では壁に直面して限界が見えているので、動かずに回復しようというのもバランスを考えた結果です。ベルナデッタが引きこもることも、強い決意の結果なのです(多分)。

21,世界は、その名前の通り世界全体のスコープで全ての調和を見出すという、これまた一見して最強のカードです。

対応する「炎の紋章」を持つのは、主人公、エーデルガルト、そしてネメシスです。「止揚(アウフヘーベン)」がこのアルカナのキーワードとなるように、相対するものを否定するのではなく、新しい一つのものとして融合し、統一するという、フィナーレにふさわしい力を有しています。

「世界」アルカナの詳しい解説は書籍版の書き下ろしです。非常に興味深い&勝手に解説することは憚られるので、以下からご購入してください(俺は本当に回し者じゃないのか?)。


アルカナから見出すトレードオフ

改めて、7段階の整理を振り返ってみましょう。

この21段階全体が大きな螺旋となってループしているのに重ねて、それぞれの段階でも「過去の学習」「現在の均衡」「未来の実現」といったステージがあり、さらにその中でも自らと向き合い、他者と向き合うという順で発展していることを見出してきました。

こういった構造は世界・人間・あらゆる諸問題の中にも再帰的に見出すことができ、このように抽象化・単純化して捉えてみることで、今どういった段階の問題と向き合っており、その次には何を見据えなければならないのか、そして、最後まで行ったとしてもいつかまたそれが「過去」となって「古い秩序」とされる時がくる、ところまで見えてきます。私の場合だと、今は「正義」アルカナの段階っぽいから、この次は「吊られた男」として皆を助けようとして無茶して壁にぶちあたって「死神」になるんだな、って所まで見えてきました!(死)

念のため繰り返しますが「タロットの本当の意味はこれ!!」ってことではなく、もっと複雑な意図が織り込まれていますし、こんなに縦横でパキッと意味が配置されてるんじゃなくて(こうやってパキパキ線を引きたがるのも自分の「皇帝」「正義」っぽいんだよなぁ)、数字や言葉や絵柄の取り方次第で実際はもっと幅広い、含みのある解釈が可能です(そういう広げる方は女帝とか運命の輪みたいな女性的な性質の人のほうが得意そうだなぁ)。

要素を分解してしまうことで、そうした複雑性は失われているのですが、それによっていくつかの本質的なトレードオフが見えてきます。私の解釈では、アルカナが表すのは「何を最も重視するか」「何を最も恐れるか」といった価値観で、それが合わない人や状況というのが必ず存在します。

過去を大切にして変化を厭うか、未来を見据えて何かを切り捨てるか。

人の弱さと向き合うか、自らの強さを押し広げるか。

選択をする余地を残すのか、選び取って突き進むのか。

何かを選び取ることは、そうではないものを捨てることとなり、絶対の正解があるわけではない、というのが、アルカナに宿る意味の深さ、面白さでもあり、またそれが、FE風花雪月のそれぞれのルートのいずれもが単純な正解ではない、という作品世界の奥深さにも繋がっているように思いました。

最後に、FE風花雪月のそれぞれのルートでいかにその価値観の違いが配置されているかをまとめてみたいと思います。以下は全部大きなネタバレなので、クリアしてない人は基本的に読まないほうが良いと思います。











FE風花雪月の3エンディング(ネタバレ)

最後に、FE風花雪月で描かれた3ルートそれぞれのエンディングがいかに違った視点からの正しさを提示しているのか、についてまとめたいと思います。すべてのエンディングに言及するので、当然ながら全部ネタバレです。


(ちなみに、これ自体もネタバレだと思って伏せてましたが、私はちゃんと3.5周というか4エンド見てます)

どのエンディングも、表向きは主人公先生の助力によって応援していた国がフォドラを統一し、めでたしめでたし、統一するのはどこの国でも良い、という元も子もない解決にも見えます。……じゃあ結局何を選んでも変わらないのか、主人公が強いだけでそれを味方につけたほうが勝つ?味方ゲーじゃん?っていうと、(戦争というゲームの結果としてはそうなんだけど)そういうわけじゃありません。実は、エンディングで迎えた状態が「いつまで続くのか」という所では、それぞれかなり違っている(ように予想される)のです。

青獅子ルート

黒鷲や金鹿を遊んだ方なら、「闇に蠢くもの」という奴らが暗躍していた事は覚えているかと思います。青獅子ルートでは、最後に覇骸エーデルガルトと戦ってエンドなので、闇の勢力の本拠地シャンバラでの戦いはスルーされています。

このルートはわりと保守的というか、「今までの世界を守ることが大事だ」ということ(=過去)を優先した結果として、いずれぶつかるはずの本質的課題を先延ばしにしています。おそらくは、第二第三のエーデルガルトのように「紋章社会なんてクソだ!」っていう奴に闇に蠢くものが手を差し伸べて……という事件はそのうちまた起きる予感がします。

黒鷲ルート

黒鷲の帝国ルートでは、闇に力を借りた状態で清濁併せ呑みながらフォドラを統一し、「まだ力を借りるわ……しばらくの間は、ね」という感じで「もうちょいしたら汚い部分を掃除しますよー」と仄めかしていますが、倒し切るところまでは行ってません。

このルートは急進的なリベラルというか、「とにかく今の汚い世の中はまずぶっ壊さないと救われない!」ということ(=現在)を優先した結果として、本質的な問題にも手にかけられる所まで来ていますが、すぐに全部解決ってわけじゃないのと、やはり戦争による犠牲者は大きい。変化を急ぐことによって救われた人と、巻き込まれて死んだ人がいる、という形です。

金鹿ルート

そして最後の金鹿ルートは、シャンバラを攻略してその後さらに目覚めてしまった邪王ネメシスまでも敵に回します。つまり闇の本丸にもトドメを刺した状態。これにて完全解決と言って差し支えないでしょう。

しかしこれにも、代償がなかったわけではない。ゲームなんで一応3ルートとも同じようなステージ数でクリアにはなってますが、ネメシスの最終マップの難易度はだいぶヤバくて、本質的な課題に向き合うというのはそれ相応の準備とリソースが必要であったことは否めません。

また、他のルートよりもレスター諸侯同盟は歴史も浅いし政治基盤も皆で仲良くって感じでこれは現代的な価値観からすると理想っぽいですが、やはりフォドラ統一という大仕事を突然任されたときのその準備が整っていたとも考えにくいです。クロード君ならうまくやるかもしれませんが、王としてその地盤だったり覚悟をしっかり持っていたディミトリやエーデルガルトと違って、国内の政治基盤を安定させるのにはしばらく時間がかかるんじゃないでしょうか。つまり、未来に向けて大きな不安材料は消せたけど、現在の安定というものをある程度犠牲にしている&今後しばらくそれが続く。

いつまた不安定になるのかの違い

まとめると、これら3つのルートはいずれも「一時的な平和」が訪れますが、それが再び不安定になるまでの期間とその大きさがそれぞれ違います。

(なんか無理やりまとめたけど、戦争の波が2回あるのでちょっと無理があるかもしれない図)

黒鷲では、すぐ後で、残った不安を解消する必要がありますが、その後安定が訪れます。
金鹿では、一番大きな不安は取り除きましたが、再び安定するまでは時間がかかります。
青獅子では、今は安定していますが、いつかまた、だいぶ大きな不安が襲ってきます。

こうした時間的なタイミングやスケールの違いが存在し、急ぐこと、先延ばしにすることのそれぞれのメリット・デメリットがある、というバランスの取れた設計になっていたと思います。

今苦しんでいる人にとってはすぐに解決してほしいし、今幸せだという人にとっては先延ばしにしてほしい。

今頑張れるというなら今すぐ取り組みたいけど、余裕がない人にとってはそんな問題に手を付けてほしくない。

現実の政治的問題もこういったトレードオフが複雑に存在しており、「私は今まさに困ってるのにどうして動かないの!?」という事がままあると思います。当人からすれば、自分の正しさは疑いようもない。しかし、「正しさ」というのは常に一面的であるために簡単に進めることはできず、反対意見を言う人を悪魔や獣と言って退けるのではなく、別の時間軸、別のスケールで見たらどういった点が相手から見ると不安なのか?といった冷静な切り替えが必要になります。

……とかいってバランスを取ろうとする所もまさに、ザ・正義。観察する余裕があるからそんな事言う。しかし余裕がない人からすると「うるせーーーいい加減にしろーーー」って変革を起こす動きが求められるのかもしれない。あなたは今、どの立場に共感していますか?

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