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語学キャリアが長くなってからの学習継続

2021年にnoteを書き始めた段階でベトナム語はすでに5年勉強していたのだけど、それからあっという間に2年半が過ぎて学習歴も8年に入ろうとしている。中学校から大学の教養課程(2年生)までがちょうど8年なので、期間だけで言えば学校教育での英語学習と同じくらいの長さをベトナム語の勉強に費やしている。

とはいえ、学校教育で毎日数コマ課されていた英語学習と違ってベトナム語の学習は仕事や家事育児の合間になんとか続けているので、ありし日の英語みたいな学習スピードは望むこともできない。去年8月に受験した国際ベトナム語能力試験の結果もA1だったので公式的な記録でも初級レベルにとどまっている。

私自身の生活は娘の育児を中心として回っており語学以外の部分ではベトナムとの接点が少ないこともあって、とりわけ生活に関する基本単語が全然覚えられていない。しかも年齢を重ねてきたせいか単語学習だけを純粋にやり続ける素直さもなくなったな、と強く感じる。

現状をこのように書き出していくとベトナム語学習は完全にマンネリ状態に見える。確かに8年間も勉強を続けているのに「ベトナム語会話」とか「ベトナム語基礎単語」のような語学本のレベルを大きく越えられていないとなると、これ以上やっても無理かなと諦めムードになってしまうのかもしれない。

「純粋な語学」の賞味期限はせいぜい5〜6年

私の経験上、外国語の文法や語彙を覚えることを目標とした「純粋な語学」の賞味期限はせいぜい5〜6年であり、それを越えてしまうとやる気が急激に減衰してしまう。普段マンゴスチンを食べない生活をしているのに「ベトナム語でマンゴスチンって何て言うんだっけ?」というのを10回以上繰り返していると徐々にウンザリしてくる、と言えば想像できるだろうか。周りの生活とはあまり接点のない語学だけをやろうとすると、なかなか定着しない文法や語彙を覚え直す作業を繰り返すだけになってしまう。

私のベトナム語も完全にこの状態に入ってしまっており、語学の訓練を純粋に進めるだけでは心理的苦痛が正直大きい。そのため最近では「語学の本を開くことをやめて自分の専門分野に関する文献を読むこと」だけに集中するようにしている。これこそがマンネリ語学に対する私の解決法だ。

今読んでいるベトナム語研究の論文

私自身の専門は言語学なので、この記事をお読みの方の中には「言語学の論文を読んでいるのは語学とほとんど変わらないのではないか?」と感じる人がいるかもしれない。しかし、言語学ではマンゴスチンも身の回りの生活用語も全然出てこないどころか、「名詞句の構造における中心となる名詞を特定し、その機能を分析することは…」みたいに普段の生活から遠くかけ離れた概念や術語だらけの世界である。

しかし、今の私にとっては「当たり障りのないベトナム語生活会話」を繰り返し練習するよりも100倍楽しい。
語学はどうしても単語や文法の知識の刷り込みを続けなければならず「覚えられないことが苦痛」になりやすいのだけど、内容に焦点を当てて論考を理解するという営みは「著者のメッセージを正確に読み解く」という点で(年齢とともに低下する)記憶力に頼る必要もない。分からない単語や文法をその都度調べればいいし、それよりも内容を理解して吟味することの方が大切だ。

もちろん論文ばっかり読んでいてもベトナム語の純粋な語学スキルは落ちてしまう。でも、そういうのはベトナムに行く機会が出てきて補いたくなったら補えばいいと思う。やっぱり楽しいのが一番だし、結果的には自分にとって興味の向く方向に進めていくほうが遠くまで到達できるだろう。