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エゴン・シーレ展雑感

日本における西洋美術の展覧会の将来性も見えてくる内容でした。

概要

2023年春、4月9日まで東京都美術館で催されていたエゴン・シーレ展は、会期の初めに学生は無料という大盤振る舞いも話題になりました。非常にありがたいことです。今年の西洋美術の展覧会としてはかなり大きなものとして、注目を集めていました。

来場者が「エゴン・シーレ展というよりはシーレとウィーン世紀末の美術展」だったと皆言う通り、シーレ以外の作品がとても多かったので、タイトルがやや誘導的ではないかという意見もありました。

1986年のエゴン・シーレ展のカタログ

私は図書館で、1986年にかけて日本を巡回した「エゴン・シーレとウィーン世紀末展」は今回の展覧会と全く同じコンセプトかつ、レオポルド・コレクションからのものが中心というところまで一緒のカタログを見つけました。つまり37年前に全く同じコンセプトでやっているわけです。今回はその比較を通して、この年月をどう捉えるかを今回は考えてみます。

共通点と違い

シーレ《ほおずきの実のある自画像》1912年

キービジュアルになっているこの作品は、1986の際も出ています。間違いなくシーレの自画像の中では傑作で、端正でありながら筆の蠢きが全面に這う生々しさを湛えています。しかし本当はこの作品はセットなのです。

シーレ《ヴァリーの肖像》1912年

共に奔放な生活を過ごしミューズになった恋人のヴァリー・ノイツェルの肖像と、本来は対になるものです。1986ではこちらも展示されていました。しかし今回はシーレの自画像だけです。

つまり何が言いたいかといえば、三十数年前の展覧会には来ていた作品が今回は来ていないということです。シーレ作品は今回は50点来ておりその数はほぼ変わりはありません。《ほおずきの実のある肖像》など共通してきたものも複数あります。しかし、その質的なところでどうしても今回は下がります。もっといい作品やシーレを俯瞰するためには重要な作品が、かつては来ていました

それが特に顕著に表れるものとして、シーレ以外の作品の選出にあります。代表的なところとしてはクリムトの紹介です。今回は風景画数点と素描だけでした。しかし1986年は

クリムト《死と生》1911年 1916年改作

このクリムトの代表作も来ていたのです。またクリムトの油彩は8点、素描10点が来ています。彼らに並ぶ巨匠ココシュカは油彩だけで7点も来ています。つまり昔の展覧会の方が遥かに豪華だということです。

カタログの内容は前に質問箱で答えたように、近年のカタログの文章はただの紹介であって、学術性に関していえば昔のカタログの方が充実しているわけです。今回もまさにその通りでした。面白いのは1986年はこのコレクションを創ったルドルフ・レオポルト氏が執筆していますが、今回はその息子のディダード・レオポルト氏が書いています。

しかしその書きぶりは全く違うものです。1986年はゴリゴリの学術書です。時代背景から精神史的なところまで含めたエッセイは非常に読み応えがあります。これを読むと今回のカタログのエッセイは離乳食のようです。もちろん図像の明細度は今回のカタログが確実に上回っていますし、買う価値はあると思いました。

感想

やはりうーんというものを感じました。それは昔のシーレ展を知っているからというわけではなく(当然生まれていない)、2019年に相次いで行われたオーストリア国交樹立150周年記念の一連の展覧会に比べて、というものです。単純に来日した作品に「これは凄い」という作品が少なかったのは事実としてあります。

上にも書いたようにシーレだけでなく、他の画家の作品も来ていましたが、それらがちょっと頂けない水準でした。当時のシーレとウィーンの美術的背景を理解するための補助として並んでいた、というより、シーレの作品を飾れないので量を増すというためのもの、という印象をどうしても受けてしまいます。あくまで「エゴン・シーレ展」で「エゴン・シーレとウィーン世紀末」としなかったのは、その辺りの質を隠すためかと勘繰ってしまうほどです。

要は悲しいですが輸送費や保険料の増加と日本の美術館の経済力の衰退を、見事なまでに反映しています。鑑賞経験の浅い私たち学生からすればおおっとなるにはなるのですが、長年見続けている美術愛好家の方々なら年々物足りなくなっていくのではないでしょうか。

何十年ぶりの〇〇の個展です!と言っても、その前の展覧会の方が、日本に金があったということもあって、いい作品が来ていることが多いという感想を持つことになります。日本における今後の西洋美術の展覧会の未来を感じる内容の変異を感じてしまいました。

展示の構成もやたらジグザグでした。特に撮影可能な風景画ゾーンに入る前の通路は特設の壁があり、狭くて人が詰まっていました。しかしそこの壁にも作品が掛かっていましたから、じっくり観ることができません。狭く次の通路に行くためのところなので、後ろから続々と人が来ますし、わざわざここで区切る必要はなかったと思います。

良い点

面白かった点良かった点としては、シーレの言葉が展示空間上の壁に書かれたり、本人の写真が大きく載っていたので、「人間シーレ」の雰囲気が掴みやすかったと思います。狂気の天才のイメージから相当問題のある人間と思われていますし、実際その気配はありましたが、言葉と本人の写真が出ることで、100年前に生きた人間としての親近感を感じられました。

今の時勢と響きあうものを感じる言葉

実際Twitter上ではシーレの言葉をたくさん写真に撮ってあげているのを見かけました。それらは多くの人の胸を打つものだったと思いますし、画家への人間的な親近感を覚えさせるものとして、良かったと私は考えています。

この展覧会のキャプション面での親しみやすさから、シーレに興味を持つ人は確実に増えたでしょうし、学生無料期間にはたくさんの高校生や大学生が来ていました。とても素晴らしい試みですし、シーレの芸術が日本人にとってより親しみのあるものになったのではないかと思います。

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