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私なりの経験

ここのところだいぶ寒くなってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

私はおかげさまで相変わらず、たいへん元気に過ごしております。

さて今日は、最近になって気付いたことを書いてみようと思います。

私はどうもヘソ曲がりなところがあるんでしょうか、よくも悪くも少数派であることがほとんどで、多くの人が何でもなく通過してきている経験ができていないことが多く。

これはよくカウンセラーから指摘されるのですが、人と関わることについては特に、大人であれば当然持てているはずの認識を持てていないらしいのです。

だから正直、人と出会う機会があっても、どのように関係性を築いていけばいいのか分らないし。

たまたまうまく関係性が築けたとしても、どのようにそれを保っていけばいいのか、まったく想像もつかないところがあります。

こういったことが起きるのは、もちろん私のパーソナリティによる部分もあるのでしょうが、やはり経験値の不足が大きいようです。

それでいま、「イタいことをあえてする」という課題をこなすことで、この経験不足を補おうとしているのですが。

でも、よぅく考えてみたら…。

多くの人がしてきた経験ができなかったということは、多くの人ができなかった経験を、私は経験できたってことでもあるんじゃないでしょうか?

確かにカウンセラーの言うとおり「行動」ができないと現実は変っていかないというのは事実でしょうが、逆に行動できなかったことによって経験することができたこともあると思うんです。

いちばんに思い当たるのは、頭の中だけでイメージする力が付いたこと。

これは、ややもすればイメージしただけで満足してしまい、なかなか行動に移すことができないという悪い面もあるけれど。

「すべての現実はイメージするところから始まる」という考えかたに立てば、役立つ能力を身に着けることができたという、立派な経験のひとつだと思います(自分で言うのも何だけど…)。

そして最近になって気付いたことは、私と同じように、多くの人にはできた経験ができなかった人たちの感じていることが、感じ取れるるようになったこと。

もちろん私はカウンセラーではないので、メンタル改善を指導することはできませんが、気持ちを理解したうえでそばにいるだけで伝わるものってあるような気がするし。

こうやって文章にするだけで、伝わってゆくエネルギーっていうのも、あると思います。

だから多くの人より、楽しい経験はしてこられなかったかもしれないけれど。

そのぶんきっとこれから、役に立てられることもあるはずだって。

いまは、そんなふうに思っています。

ホームページをつくったので、ぜひ、見てみてください。

naotadano.com

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では、また見に来てくださいね。

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