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気付いてしまうと、戻れない

100日間チャレンジ(いまでは110日間)の、40日目。
私、ヨガもアーユルベーダもやったことないんですけど。
なぜか惹かれて、銅製のボトルを買ってみました。
そして昨夜、寝る前に入れておいた水をいま、飲んでみてるんですけど。
やっぱあの、独特な十円玉の匂いはしますよねぇ…。
ただ、なんか水がまろやかになった気がするし、身体によさそうな感じもあるので、しばらく続けて様子見てみようと思います。
なんか変化が出てきたらまた、お知らせしますね。

一つひとつ上げたら、キリがないくらい、世界じゅうでいろんなことが起きてます。
しかも、それらみんな、互いに有機的に影響し合っていて。
いまは徐々に徐々にではありますが、引っくり返りに向け、着実に動き始めています。
この日本では、いったいどれくらいの人々が、それに気付いているんでしょうか?
それでも、いまとなってはだいぶ多くの人たちが、この社会のおかしなところに気付いてきてるのは間違いないと思います。
ところが、みなさん盛大に迷いまくってるんですよねぇ。
「おかしい」と気付いたことが、あまりにも規模が大きく、大胆すぎて。
いやいや、そんなはずないでしょ!って、否定したくなっちゃう。
なぜなら、感じた疑問をそのまま口にしようものなら、途端にマジョリティから弾き出されるんじゃないかと恐くなるからです。
下手したら「頭おかしい」とまで、言われかねない。
だからあわてて、反証を探し始めるんです。
たとえば「日常がとどこおりなく流れている以上、これからもずっといまの社会が続いていくに決まってる」とか、ね。
私もかつては同じように感じていたので、そう思いたい気持ちはよぅく分ります。

だけどねぇ、一回でも気付いちゃうともう、気付く前の自分には戻れないんですよ。
だって、日常の中の様々な場面で「これ、おかしいよね?」が次々、出てきてしまうからです。
その都度「そんなはずないでしょ!」で否定しても、気付いちゃうものは仕方ない。
さらに「あれも」「これも…」とリンクし始め、疑いはどんどん深まってゆくばかり…。
だから、否定するにもエネルギーが必要になってくるんです。
つまり、気付かないでいるだけでエネルギーを消耗するようになっちゃう。
なんか私、いまの世の中、そんな人ばっかりのような気がします。
だからみんな、揃って疲弊してる感じがしてならないんですよねぇ。

ここまで言っといて突然、昨日の話に戻るんですけど。
私、気付きっていうのも実は、感覚の一種だと思ってるんですよ。
たとえば「これ、おかしいでしょ」で言えば、違和感ですよねぇ。
他にも、納得や腑に落ちる感じなんかがあると思うけど、どちらも考えるものじゃなく感じるものでしょ?
「スッキリしたぁ」っていうのも、もちろんそう。
ってことは感じてる主体って、昨日も言ったとおり頭じゃなく、こころ、すなわち本来の自分なんですよ。
だから、どんなに否定したって勝てっこない。
なぜなら感じることは、どうしたって止められないから。
なのでねぇ、私はもう日本人の多くが、この社会のおかしさに気付いていると思ってます。
ただ、ムダに否定して、エネルギー消耗してるだけ。
もちろんそれも個人の自由ですから、何も言うつもりはありませんが。
「ご苦労さまです」とだけ、言わせてもらいます。

では、今日はここまで。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。

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