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平野貞夫 私は見た! 田中角栄の涙

田中角栄の涙

 私は衆議院事務局で働いていた頃に田中角栄さんと知り合い、以来、深く哀しい、しかし人間的な付き合いをしてきました。田中さんが最も畏怖すると同時に頼りにしていたのが、田中政権時代に衆議院議長を務めた前尾繁三郎でした。私は前尾の議長秘書を務めていたので、この時も田中さんと随分付き合ったものです。前尾議長の時代に金脈問題やロッキード事件が持ち上がったわけですが、その裏側にも全て立ち会いました。

 角さんとのエピソードを上げていけばキリがありませんが、中でも、彼が首相を辞めた後に、砂防会館の事務所で会った時のことが印象に残っています。当時、田中さんはもう一度総理になりたいと考え、国民の理解と支持を得るために過去の政治活動の実績と経過を発表しようとしていました。それで私に白羽の矢が立ち、1万ページにも及ぶ「田中角栄国会発言録」を作ることになったのです。

 私が田中さんの事務所まで「発言録」を届けにいくと、田中さんは元気のない様子でソファに座っていました。しかし、「発言録」の1ページ目を読むなり、急に元気な顔になりました。そこには彼が1年生議員だった時に、本会議で行った次の発言が収録されていました。「議員は一人というも、これが背後に15万5000人の国民大衆があって、この発言は、まさに国民大衆の血の叫びなのであります」。

 田中さんはがばっと顔を上げ、「平野君、君は落ち目の政治家を元気にする運命を持っているな」とダミ声を張り上げました。そして、「前尾さんだって、議長になる前は色々あって元気がなかった。議長になってから、君が一生懸命世話をして元気になって、名議長と言われるようになった。今度はわしの番だ。この『発言録』はわしの再起に役立つ。これからも頼むよ」とまくしたてたのです。

 しかし、「発言録」を見ながら思い出話をしているうちに、再び気弱な顔になってしまいました。私は田中角栄のそんな姿は見たくありませんでした。そこで席を立とうとすると、角さんは私の両手をギュッと握り締め、「ありがとう。よろしく頼む」と涙ながらに頭を下げたのです。それが私の見た田中角栄の最初で最後の涙でした。

田中角栄とはいかなる政治家か

 最近、田中角栄をテーマにした本がたくさん出版されるようになっています。しかし、どれもあの時代を懐かしむような内容に留まっており、田中角栄という政治家の本質を捉えているとは言えません。

 田中角栄の本質とは、戦後の日本にデモクラシーを確立させようとしたことです。日本は明治時代より官僚というエスタブリッシュメントによって支配されてきました。しかし戦後になって、農地解放をはじめ民主主義を定着させようとする動きが出てきました。田中角栄は、いわばその地割れの中から顔を出した政治家なのです。

 もっとも、デモクラシーはヨーロッパ人がヨーロッパ人のために作った制度なので、そのまま日本に適用することはできません。日本向けにアレンジする必要があります。角さんが凄いのは、それを本能的に実践しようとしたことです。

 例えば、特別豪雪地域法の議員立法がそうです。これは豪雪地域の被災対策や防災対策のために補助金を支給する制度です。当時、東北・北陸地方は異例の豪雪に見舞われ、山間地域のお年寄りは生命の危機にさらされていました。この時、私は災害対策特別委員会の責任者だったため、豪雪地域の調査を行い、口頭報告書を作成しました。

 この調査報告書が田中さんの逆鱗に触れてしまったのです。私は報告書の中で、豪雪地域の多い日本海側のことを「裏日本」と表現しました。これは当時の慣用語であり、国会でも各省庁でも使用されていました。

 しかし、角さんからは「表日本の人間は東北や北陸を裏日本と呼んで差別している!」と怒鳴りつけられてしまいました。「表日本」は「裏日本」を犠牲にすることで繁栄してきました。「裏日本」の山間に振った豪雪が水力発電を通して電気になり、「表日本」の都市や工業の繁栄を支えてきたのです。田中さんは民主主義を民衆主義と理解していましたが、私は彼の指導によって民衆のための政治を学ぶことができました。

 角さんはこうした試みを通して、デモクラシーを日本人の思考や精神、文化の中に定着させようとしてきました。しかし結局のところ、角さんの試みは失敗に終わりました。彼は人を評価する際に学歴や家柄といったものを一切無視しましたが、日本の支配層はまさに学歴や家柄によって成り立っています。角さんはそうした仕組みを壊そうとして戦い、そして敗れたのです。それが角さんの一生だったと思います。

 支配層と民衆の戦いは、今日も続いています。それ故、我々は今こそ田中角栄という政治家の本質を知らなければなりません。いや、日本人だけでなく、世界の人々が知るべきです。私は幸運なことに角さんと身近で接してきましたから、それを後世に伝えることが八十才となった私の役目だと思っています。

(『月刊日本』2016年4月号より)

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なお、7月2日に、弊社より、平野貞夫(著)『田中角栄を葬ったのは誰だ』を出版いたします。昨今の「田中角栄本」とは全く違う切り口になっています。Amazonでも予約可能です。ご一読いただければ幸いです。

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