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原発と科学的社会主義

福島第一原発における処理水放出をめぐる左派の非科学には、嘲笑を覚えずにはいられなかった。

処理水放出問題の本質は、処理水の「安全性」にはない。処理水放出によって風評被害を受ける漁業関係者の損害にあるのだ。処理水の安全性は科学的に証明されている。たしかに、海洋放出という方法をとった政府には疑問も残る。しかし、漁業関係者のさらなる風評被害を最小限にとどめるためには、「汚染水の海洋放出をやめろ」という強い言葉で処理水の安全性に疑問を呈し、海洋放出を停止させるのではなく、科学の担保する処理水の安全性をアピールすべきであろう。

かつて、マルクスは「科学は歴史を変える」とのべた。原子力の平和利用にかかわる科学技術に関しても、左派が何が何でも「反原発」で反対する、という態度は非科学的である。原始共産制は農耕革命によって打破され、封建制は産業革命によって打破された。生産様式が変革し、社会が変革する背景には、科学技術の発展があるのだ。したがって、資本主義の矛盾をなくす立場にとって、国家の人民への横暴という形で利用されない限り、科学技術の発展はすべて歓迎すべきである。

ただ、現時点で、原子力発電の利用は、その安全性の観点から推進すべきではない。そもそも、原子力発電所を都心ではなく、地方にしか作ろうとしない時点で、原発の安全性に疑問が残ることは言うまでもない。たしかに、原子力発電所は大量の冷却水を必要とするが、都心に作ろうと思えば東京湾沿いに作れるのだ。電力消費の多い都心に原子力発電所を設置し、都心における電力消費を賄えば、輸送コストを低減し、効率的な電力供給を可能にする。都心あるいはその周辺に原発を建てようとしない時点で、原発は安全ではないということをそれ自身が証明しているのである。

しかし、原子力の平和利用に関する研究・開発を進め、安全性の高い原子力発電の仕組みを整えることは必要だ。原子力発電は二酸化炭素を排出しない。火力発電を原子力発電に置き換えることで、二酸化炭素の排出量を削減し、地球温暖化を抑制できる。この見解は、環境活動家のグレタ・トゥーンベリも示している。左派はアレルギーかのように原子力発電に反対するのではなく、安全性が担保された次世代型原発の開発、運用を支持するべきである。

その際、次世代型の原発は皇居に置くべきであろう。原発の安全性に関してよく言われるのが、「原発での死亡者数と交通事故での死亡者数を比較すると、前者のほうが少ないから、原発は車よりも安全だ!」という詭弁である。もっとも、前者のほうが数は少ないのだが、ひとたび事故が起きれば、事故が及ぼす人体や環境への悪影響は圧倒的に前者のほうが大きい。したがって、原発を皇居に置き、万が一事故が起きれば、天皇や皇族が被曝するという状態で原発を動かすべきだ。皇居では御料車のセンチュリーが走っている。原発の開発を進め、右派が皇居での運用を容認するレベルで安全な次世代型原発が誕生すれば、それを運用すべきだ。

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