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人名反応とクロスカップリング

化学反応には人名がついているものが数多くあります。
日本の高校化学までで登場するのはごく僅かですが、大学以降ではこれでもかと言うほど沢山の人名反応が出てきます。

特に有機合成化学を仕事にしている人は、膨大な数の人名反応を扱うことが多いと思います。
僕も一時期、有機合成化学を仕事でやっていましたが、あまりにも多くの反応を扱うため、新たに有機合成反応や人名反応の本(分厚いです...)を購入して勉強しました。有機合成は専門外でしたが、そんなことは言い訳になりませんw

反応の開発者に敬意を評して名前が付けられているのですが、困ったところもあります。
知っている人以外は、その反応がどんなものかサッパリ分からないんですw
化学を専門としていてもです。
化学をやっていない人からすれば、難解に感じるだけかもしれません…。

アセチル化反応、水素化反応などは、化学をやっていればどんな反応か予測できます。
しかし、ウィッティヒ反応、ピーターソン反応とか言われても何の反応か皆目見当がつきませんw
有名な反応でも、長く触れていないと反応名をみただけでは思い出せません。
と言っても、全ての反応に具体的な名前を付けるのは大変なので、人名をつけるのはある意味合理的かもしれませんね。

高校ではハーバー・ボッシュ法を習いますが、どんな反応か覚えている人はほとんど居ないと思います。
ドイツのフリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが開発した、窒素と水素からアンモニアを合成する反応です。
ハーバー・ボッシュ-アンモニア合成法とかなら、ある程度分かるんですけどね (^^;)

ところで、2010年のノーベル化学賞クロスカップリング反応でした。
皆さんは覚えているでしょうか。
リチャード・ヘック(米デラウエア大学 名誉教授)、根岸英一(米パデュー大学 特別教授)、鈴木章 (北海道大学 名誉教授)の3氏が受賞しました。
*リチャード・ヘック氏は2015年に亡くなられました(84歳)

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リチャード・ヘック 米デラウエア大学 名誉教授(Wikipedia)

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根岸英一 米パデュー大学 特別教授 (Wikipedia)

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鈴木章 北海道大学 名誉教授 (https://www.eng.hokudai.ac.jp/suzuki/?p=1)

特定の2つの物質を結合させるのがカップリング反応です。
炭素どうしを繋ぐ、化学において極めて重要な反応の1つです。
同じ物質を結合させるのがホモカップリング、異なる物質を結合させるのがクロスカップリング(or ヘテロカップリング )です。
炭素と炭素を結合させるのは容易ではありません。
そのため、高温・強塩基性などの過激な条件でないと反応が進行しませんでした。
しかし、そのクロスカップリング反応を穏やかな条件で確実に進行させる反応が次々と発見されます。
さらに、パラジウム触媒を使うことで、ベンゼン環どうしを自在に繋ぐことが可能となります(それまではベンゼン環どうしの炭素ー炭素結合は困難でした)。

受賞した3人は、以上のクロスカップリング反応の発展に大きく貢献しました。
特に、鈴木クロスカップリング最も使われているクロスカップリング反応と言えます。穏やかな条件で簡単に反応を行うことが出来、研究から応用まで幅広い分野で活用されています。
鈴木クロスカップリングの凄いところは、水分と酸素が存在する環境でも反応が進む点です。
通常、水分(湿気)や酸素は化学反応を邪魔してしまいます。
反応を開始させる試薬を不活性化させてしまうんです。
そのため、使用するガラス機器を十分に乾燥させ、反応容器に窒素やアルゴンなどの不活性ガスを充満させながら操作を行わなければなりません。
途中で酸素や僅かな水分を混入させるのもNGです。
ところが、鈴木カップリングは水分も酸素も問題としません。
むしろ、水を溶媒として使うことも可能です。
水分や酸素を混入させないための高度な実験テクニックや高価な機器を必要としないんです。

以下の反応式は、鈴木クロスカップリングの一例です。
あまり難しく考えなくても大丈夫です。パラジウム触媒によって、ベンゼン環を持つ二つの物質が結合しているだけです。

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鈴木クロスカップリングの一例(「化学と教育」67巻3号【高校生のためのクロスカップリング実験】p.130-133)

以下の動画が分かり易いと思います。

クロスカップリング反応は多くの医薬品や機能性物質の開発に使われ、私たちの生活を豊かにし、多くの命を救ってきた素晴らしい技術なんです。
それだけに、ノーベル化学賞にクロスカップリング反応が選ばれるのは確実視されていました。
ただ、貢献した人があまりにも多いため、受賞者の予想はバラバラでした。
もし受賞者の枠が3人ではなく10人だったら、10人の有機化学者が選ばれていたと思います。

そして、受賞した3人が発見・開発した反応は人名がついています。

溝呂木-ヘック反応
根岸クロスカップリング
鈴木(-宮浦)クロスカップリング

人名の後にクロスカップリングと付いているので、これだと分かりやすいですね。

ちなみに、溝呂木(みぞろぎ)- ヘック反応は二人がそれぞれ別個に発見した反応のため、こう呼ばれます。1971年に東京工業大学の溝呂木助教授が、1972年にヘック氏が論文を発表しています。
しかし、溝呂木助教授は日本化学会のマイナーな論文誌(Bulletin of the Chemical Society of Japan)に投稿していたため、その業績はほとんど知られませんでした。一方、アメリカの著名な論文誌(The Journal of Organic Chemistry)に投稿したヘック氏の業績は注目を集め、最初はヘック反応と呼ばれていました。ただし、ヘック氏は溝呂木助教授の論文を知っていて、投稿した論文に参考文献として記載しています。
また、溝呂木助教授は若くして亡くなられています。

2010年のノーベル化学賞発表時は、鈴木さんと根岸さん二人にフォーカスされ、溝呂木 - ヘック反応がスルーされていたのはとても残念でした。
日本人ばかり取り上げられるのはいつものことですが......

クロスカップリング反応には日本人の名前がついたものが多いです。
熊田・玉尾・コリューカップリング
右田・小杉・スティルカップリング
高知・フュルスナー クロスカップリング
薗頭・萩原クロスカップリング
檜山クロスカップリング

反応を呼ぶときには人名を使います。
「この合成は鈴木でやろう!」
「昨日やった根岸なんだけど...」
「これは溝呂木?」
「鈴木の方が良いな」

慣れないと違和感を感じますw

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