武士論を検証する (8):分割主義

 さて日本を統一した秀吉は新しい中世王です。彼は全国を分割します。家康に関東の地を与え、伊達氏に仙台の地を与え、そして自らは近畿地方を所有しました。その分割、分与は本領の安堵であり、あるいは新しい領地の安堵でした。秀吉はその大名を評価し、相応しいと思った土地を与えたのです。それが時には本領であり、時には新しい領地でした。そのための国替えもありました。それは秀吉の保護であり、彼等との契約の厳しい履行でした。
 一方、大名たちの仕事はその与えられた領地を彼らの領主権をもって支配することです。大名は領国内の領民(武士と農民)を支配し、領国を豊かな国にしようと奮闘します。そうして江戸時代、260名の大名たちは全国津々浦々に君臨し、その地と領民を隈なく耕したのです。大名と領民は運命共同体を形成し、独自の富や文化を蓄積していきました。それは分権制の賜物です。日本は大きく発展したのです。
 一方、古代国は中世国とは違います。古代国においては国全体が耕されるということはありません。何故なら、国は分割されず、古代王が独占しているからです。古代国はいくつかの行政区分に区分けされていますがそれはあくまでも行政的な分割であり、国土、国民、国家権力の分割ではありません。
 それぞれの地方は古代王の代理人である地方長官によって支配されます。彼は地方の富を集め、それを都に送る。つまり地方は富が収奪されるだけの地であり、それゆえ貧しく、寂しい。そこには独自の文化は育ちません。古代国にあっては古代王の住む都だけが富むのです。古代の中央集権体制は実に哀れです。
 さて明治維新とは国家体制を分権制から中央集権制へと切り替えることでした。国土、国民、国家権力の一局集中です。江戸時代、領地、領民、領主権として全国にバラバラに分散していたものを一つにまとめ、国土、国民、国家権力として再び一元化することです。200年以上に渡り十分に開墾された各領国の土地と人とが一体化するのです。国家力の集中は日本進出を試みる西欧列強に対峙する強力な力となりました。ですから藩籍奉還や廃藩置県は待ったなしに行われたのです。(明治維新の起こった理由、成功した理由、そして革命の意義については別稿で説明します。)
 さて中世の分割のお話に戻りますが、中世王は国土だけではなく、国民をも分割していました。国土の分割に伴い、国民も又、それぞれの領国へと分割されていきました。例えば、江戸時代、伊達藩には<伊達の領民>が生息し、加賀藩には<加賀の領民>が生息する。ですから日本人は自らを大名領国の領民として認識していました。日本国の国民としての国民意識は大層、希薄化していたのです。(そしてこの分裂していた国民意志を統一するために明治維新の革命家たちは王政復古を、すなわち古代王という権威を活用したのです。)
 さらに中世の日本人は領民の他に身分制という形の国民分割をも経験しています。それは仕事に基付いた区分けです。桃山時代、国民は公家、寺僧、百姓そして武士の四つに明確に分けられました。さらに百姓身分は江戸時代、農民と商人とに分割されます。すなわち江戸時代には五つの身分が出そろっていました。(尚、この中世の身分制は古代の身分制――インドのカースト制や朝鮮半島の身分制など――と全く違うものですが、これについては別稿で説明します。)
 ところでこうした国土、国民の分割は頼朝や義満や家康が一堂に集まって取り決めたことではありません。彼らは知り合いではないのですから。そして偶然に起こったことでもありません。そんな偶然など起きるはずがない。それでは何故、彼らはそろって国土、国民を区分けし、しかも時代を経るごとに細分化していったのか。
 それは分割主義の存在です。分割主義は頼朝たち中世王を根底から支配していた。それが分割主義に則っているということにも気付かず、頼朝たち中世王は国土、国民、国家権力を700年間にわたり、様々に分割し続けていたのです。そして世界でも稀な、精緻で、見事な分権国を構築したのです。その点、頼朝たちは分割主義の手先でありました。実に個人は歴史という大きな流れの中の一滴です。
 分割主義の源は本領安堵です、そして本領安堵の源は主従関係です。そして主従関係は双務契約の上に成立します。つまり双務契約から中世のすべてが始まっていたのです。
 そして双務契約は歴史的な観点から次のように把握されます。すなわち双務契約は分割主義を携えて<専制思想>を見事に粉砕したということ、醜悪な専制主義を葬り去り、分割を繰り返し、<廃県置藩>を実現し、そして(民主主義へとつながる)平等主義を芽生えさせたことです。それは歴史の大きな進展です。人類史の見地から眺めればこの一大変革は人類がよりよい国家体制と幸福を追求した貴重な一歩であったといえます。
 筆者はこの変革を<中世化革命>と呼びます。それは日本の歴史を画した最初の革命です。古代から中世への歴史的移行です。武士が専制主義を否定し、そして封建主義の世界を形成したのです。日本の国家体制は中央集権制から分権制へと変わりました。そして武士は古代王朝を保護下に置き、古代王を日本国の象徴と化しました。
 中世化革命は現代化革命と対を成す。現代化革命は封建体制を民主体制へと切り替えた革命です。明治維新です。すなわち日本の歴史はこの二つの革命を節目として<古代―中世―現代>と段階的に発展してきたのです。(この二つの革命については別稿で詳述します。)   

―――(9)へと続きます。

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