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10.難病者がはたらくということ(青木志帆)|私たちのとうびょうき:死んでいないので生きていかざるをえない

「私たちのとうびょうき」は、弁護士・青木志帆さんと新聞記者・谷田朋美さんによる往復ウェブ連載。慢性疾患と共に生きる二人が、生きづらさを言葉に紡いでいきます。今回は、青木志帆さんの担当回です。

ちょっと季節の変わり目で、谷田さんの体調が整わなかった関係で、2回続けてアオキがお送りします。こうやって、体調を崩した時にカバーできる体制があると、安心して倒れられますね。

安心して倒れられるといえば、大人の難病者にとって、医療費とともに切実な問題が「どうやって働くか」ということではないでしょうか。前回、「限られた条件の中でも、将棋盤という限られたリングの上で輝く二階堂晴信がまぶしい」というお話をしました。でも、みんなが「あこがれる」ということは、みんながみんな、そうはいかないということの裏返しでもあります。あんなにわかりやすくてハデなフィールドで、倒れるまで全力投球できる人は多くはありません。

変わりゆく難病者の関心事

さて、私は、難病者であることをまったく隠さずに弁護士をしている関係で、「難病」をテーマとして、人前でお話することを依頼されることがよくありました。2015年ころは、それこそ難病法が成立し、難病者にまつわる法律が大きく地殻変動を起こした時期だったこともあり、とにかく医療費助成制度(特定疾患制度から指定難病制度へ)がどう変わるのか、何が問題なのか、自分は助成を受けられるのか、外れるのか、といったことが強い関心を持たれていました。

一方、難病者が生活上困るのは医療費もさることながら、「病人であること」による差別です。私が学生のころに苦労した点は、第7回「私の病気を理解して」? に書いたところです。こうした苦労に対して、「きちんと学校や職場で対応しなければならない」というルールである、障害者差別解消法、障害者雇用促進法が、2014年に成立したり、改正されたりしていました。私たちは医療費以外の部分にも目を向ける必要があると考え、私は医療費助成制度のテーマで受けた講演でも、半分は難病者差別の話をしていました。

2023年春に市役所を退職してだいぶ久しぶりに難病関連の取材やら講演の依頼をいただきました。すると、その大半が「難病者と“はたらく”(就職差別)について聞きたい」と言われるのです。

難病法ができ、(問題はありつつも)医療費助成を受けられる対象疾患が増えたことで、当事者たちの関心事は、「医療を受けつつどうやって生活をしていくか」に移ってきているということなのでしょう。そして、それはとてもよいことだと、ひとり感慨にふけるのです。私たちはようやく、病室から社会に目を向け、どうやれば健康な人と一緒に参加できるのかということを考える余裕が出てきたことの証左なのですから。

難病者と「はたらく」

難病者やがん患者といえば、告知を受けたと同時に自分も同僚も上司も会社もショックを受けて、反射的に退職してしまうことが多いと言われています。しかし、現代医学の進歩は目覚ましく、本人が当初想定した以上にケロッと治ることも少なくありません。

ここでいう「ケロッと」の意味は、「病気にかかる前とまったく同様」という意味ではありません。みんな、難病だ、がんだ、と言われると、「死ぬ一歩手前の状態」を想像します。ところが、完璧に治りはしないものの、家で天寿をまっとうするまでの待ち時間をじっと待っているにはヒマすぎるくらいの体調には戻ります。そこで、「あれ? 私、働けるんじゃね?」ということになるのですが、再就職がこれまたとんでもなく大変です。

死にそうではないとはいえ、まったくの元気でもないので、いろいろと配慮の必要なことを抱えての再出発になります。これを、採用面接時に面接担当者へ話そうものなら、みるみるうちに面接担当者の顔から血の気が引いていき、「この会社に入ったらどういうことをしたいですか」ということを聞かなければならないはずの時間、病気のことを根掘り葉掘り聞かれ、後日必ず「お祈りメール」(「今回はご縁がありませんでした。今後のご活躍をお祈り申し上げます」という不採用通知のスラング)を受け取ることになります。

よし、そしたら面接時に病気の話をしなければいいんだな、ということで面接時に黙っていたとしても、採用後になかなか言い出せずに「健康な人のふり」をし続けるはめになります。よく聞くのが、「通院のために有給休暇を取りたい、と言い出せない」というもの。通院を我慢して働き続けられるわけがないので、短期的には収入が得られますが、中長期的には体調を崩して退職せざるを得なくなります。これは詰む。マジで詰む。

難病者本人からすると、感覚的に「5程度の配慮を得られたら、100の働きをすることができそうなのに、その「5」がないために戦力がゼロの人としてカウントされてしまっている」と感じます。これは、能力があるのに、ただ「女性」というだけで、社会における活躍の場から排除、制限されてしまう、女性にとっての「ガラスの天井」にも似た感覚です。

このジレンマを解消するための教科書的な回答は、「難病者側は必要な配慮を伝えること」「採用するほうは、その配慮の実現可能性を真摯に検討すること。配慮ができそうなら、『病気だから』だけで不採用にしないこと」という感じになります。

ちなみに、雇った後で難病者や障害者になった場合には、どのような合理的配慮をすれば働き続けられるか、会社側がちゃんと確認して、できる合理的配慮を検討する義務があることになっています。というわけで、働いている最中に病気になった場合は、石にかじりついてでも辞めないほうが、あとあと働き続ける環境を整えやすいのです。

もちろん、私は根拠もなくこんな話をしているわけではありません。現に、障害者雇用促進法は、障害者雇用率制度の対象であるかどうかにかかわらず、すべての障害者(慢性疾患者含む)につき、この枠組みできちんと採用を検討することを会社の義務としています。

ところが、障害者雇用促進法で合理的配慮のルールができてからというもの、「どんな障害(病気)にどんな合理的配慮をすれば世間から怒られないのか(事業者側)」「どんな合理的配慮であれば要求できるのか(当事者側)」ということを探るのに必死になっています。

しかし、このルールの神髄は、配慮してほしいこと、会社に入ってやりたいこと・できることは一人ひとり違うので、それをお互い対話していい感じの着地点を見つけなさい、という「プロセス」を示した点です。「病気がある」というスペックだけで、その他の要素を一切知ろうともせず一律不採用にするなんて、なんともったいないことでしょう。

法律家の無力、当事者の威力

こうして、対話にならずに一瞬で不採用になる話ばかりな現実を前に、「法律では、それはやっちゃいけないことになっているんだ」と患者本人にいくら説いても全然説得力がありません。それでも、弁護士の肩書なのでそう言わざるを得ない、この無力感。

講演の後、客席から、「実際不採用になるんですよ。どうしたらいいんですか」と遠慮なく言われると、「そしたら、一緒に会社を訴えよう!」としか答えられません。でも、当事者はそんなことを求めていないことなど、百も承知な私は、「あ、そうですか……」と苦笑いしながら去っていく聴衆を、なんとも言えない思いで見送るのです。

難病の先人たちは、職人芸のように就職してこの現状を生き抜いてきた人ばかりです。すなわち、最初は病気をクローズにしてとりあえず採用してもらうのです。そして、働く中で同僚や上司の信頼を勝ち取り、徐々に病気に伴って必要な配慮を伝えていく。

もちろん、「経歴詐称」と言われて、解雇されそうになるリスクはあります。でも、そう言わせないだけの居場所を獲得してから、徐々に必要な配慮を伝えていきます。相当なコミュニケーション能力を要しますが、これぞ先人の知恵というものでしょう。元気な人からは、「そうは言っても、病気なんて外から見てわからないし、ちゃんと配慮するためにも本人から言ってくれなきゃわからないじゃないか」ともよく言われます。でも、私にしてみれば、「安心して病気を開示できる社会を用意するほうが先でしょうよ」と思います。

ぶっちゃけ、こんな方法は、法律家の正攻法からすればまったくお勧めできません。でも当事者としての私は、こうした生き方を否定することができません。法律や判例上、経歴詐称で解雇できるのは、その会社の業務に重大な影響を与える事項を黙っていたときに限られます。すでに戦力として働くことができているのであれば、少なくともあなたが病気かどうかなんて些事なので、会社の業務に重大な影響を与えるとは言わせない状況になっていることでしょう。

能力主義の世界への架橋としての合理的配慮

ただし、この戦略は、いずれ配慮を受けられればきちんと戦力として働けることが大前提です。実は週に3~4日程度の勤務がちょうどいい体力なのに、背伸びしてフルタイムで採用してもらっちゃいました、みたいな場合は、「会社の業務に重大な影響を与える」として解雇と言われても反論できません。そう、「自分が戦力として働けるだけの合理的配慮」が何なのかを自分で説明できるようにしなければなりません。まずは、このさじ加減を自分で理解しておく必要があります。

これ、口で言う以上にストイックな作業なので、「そこまでしなくったって、ゆるりと生きていけばいいじゃないの」と言いたくもなります。でも、人が本能的に持っている向上心というか、「能力を発揮したい」という思いを、病理的にも、社会的にも、「病気」が邪魔しているのです。

これって、けっこう悔しいことで、みんなが二階堂晴信を見て、言語化できないハラハラを感じるのも、このあたりにあるような気がしています。これを能力主義と名付けるかどうかはさておき、自分が持っている能力を発揮できる世界への架橋として、合理的配慮の考え方は実に使い勝手がいいのです。合理的配慮がないころは、悔しい思いをしながら家で寝ているしかなかったのですから。とはいえ、自分仕様の合理的配慮の中身を探すことを一人でする必要はなくて、そのお手伝いをしてもらえると、助かるのです。

青木志帆(あおき・しほ)……弁護士/社会福祉士。2009年弁護士登録。2015年に明石市役所に入庁し、障害者配慮条例などの障害者施策に関わる。(2023年3月に退職し、現在は明石さざんか法律事務所所属)。著書に『相談支援の処「法」箋―福祉と法の連携でひらく10のケース―』(現代書館)2021、共著に日本組織内弁護士協会監修『Q&Aでわかる業種別法務 自治体』(中央経済社)2019など。


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