1082_マレーシア③

ちゃんと伝えるべき言葉を相手に伝えると、足りないものもなく、また悔いもなく、満たされたような気持ちになる。言葉にしたことで、力を持つようになり、それに驚く自分がいる。

その言葉の強さに、しっとりとした充実感に包まれて、軽い悟りを開いたような、何もしなくても、心はホカホカで、ひとりでに心地よい時間が流れていくようだ。

こういう気分を味わうために、随分と長い時間をかけて、これまでの人生、まわり道をしてきたかのように思う。でも。それも全て必要な時間で。必要なことばかりで。

その時々の自分には、決してわからないけど、でもあれは、今この時を迎えるための熟成期間として、必要だったってことなんだろう。

今、大人が当たり前のように、この二本の足でちゃんと立っているのは、赤ちゃんが地べたを這い回っていたときが、必ずあるのだからだろう。

その積み重ねで、今がある。言葉もそう。空っぽで空虚な言葉から、中身がぎっしりに詰まった言葉になるまでに、確かにその過程がある。

愛している。感謝している。ありがたく思う。信じている。今ここ、その一瞬一瞬を生きる。そんな言葉たちが文字面だけ存在しているわけではくて、自分の中で今はちゃんと生きていて、呼吸して、今はその息遣いまで感じることができる。

その全てに、自分の中の宇宙の中心を据える。誰にも決められない、自分自身として存在していることを決める。

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