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あまりのあるわり算

 算数の授業研究だった。

 「チョコレートが🔲こあります。4こずつふくろに入れると、何ふくろでできて、何こありますか?」という3年生の「あまりのあるわり算」である。教師が板書した問題文のまちがいをきちんと指摘できる子どもと素直に受け入れる教師の暖かで微笑ましい関係性がある学級だった。式しか言えなくても発言がつながっていく教室だった。

 🔲=17のときは、17÷4=4あまり1という式となり、4ふくろと1こあまることになる。でも、「あまりは5だよ」という人はなんでそう考えたのかを子どもたちは考えた。17÷4=3あまり5と考えたのであり、子どもたちは具体物で17÷4=3あまり5を示したり、問題文に戻って、4こずつふくろの入れるとと書いてあるので、5こは4こより大きいから、入れるだけ入れることが必要だと指摘したりしていた。

 被除数を変数にした問題に取り組み、式で違いを表現したり、具体で表現したり、問題文に戻ったりするなかで、あまりは除数よりも小さくなるというきまりに子どもたちは気付いたのである。

 続けて、子どもたちは、🔲=18のときと、🔲=19のときに取り組み、式と答えを並べることで、あまりが1、2、3、0と繰り返されることを確認する。
 17÷4=4あまり1
 18÷4=4あまり2
 19÷4=4あまり3
 20÷4=5
 21÷4=5あまり1
 22÷4=5あまり2
 23÷4=5あまり3
 24÷4=6

 じゃあ、25÷4、26÷4は?とはならなかったのだが、割る数を変えてみたいという意見が出された。あまりは除数よりも小さくなるというきまりに戻ったのである。たとえば、🔲÷5だったら、4,3,2,1,0と繰り返されるのかという子どもたち自身で調べたい問いが生まれたのである。この問いが生まれてきたプロセスの共有がなかった点が悔やまれた。

 教師が子どもたちに問いをもたせるしかけではなく、子どもたちが自ら問いをもつしかけになっているか。教師が子どもに働きかけることによって子どもに問いを所持させるのではなく、子どもの行為が組み合わさることで問いが生成するのかどうかを事後検討会では検討したのである。算数の授業は、小刻みに問いが変わる。子どもの思考の変化を示す小刻みな問いが重要なのか、素朴に持つ疑問から調べてみたいリサーチクエスチョンに変化することが重要なのか。あるいは、一つずつ割られる数が増えるように並べ替えるのではなく、あまりが割る数より小さくなることを多角的に表現し合う行為が積み重ねることで、リサーチクエスチョンは生まれるのかといった点が検討されたのである。

 「自律的な学び」とは何か。自律的な学びを豊かにする問いの生成のあり方はどうあるべきか。そのさい、いろいろな子どもが一つずつ発言することをつなげていく授業ではなく、重要な内容をみんなが多角的に発言するような子どもの学びがある授業が問いを生成するのではないか。学び合いの質が授業の構成を規定するのではないか。学習集団づくりの授業としても検討する点が見いだせた授業研究となった。



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