日記#30

優しさとはなんなのだろうと思う。

受け取り手に感謝されるようなことをするのが優しさなのか、それとも渡す側が優しさという事象に満足できれば優しさとして成立するのだろうか。
時に真実はどうしようもなく残酷だ。そこにしかないからそこに優しさはない、ちゃんと残酷に返ってくる。
だから逆説的に嘘は優しい。
その人に対しての配慮があった上での嘘の真実だからだ。きっとそれも優しさになるのだろう。
つまり、優しさは嘘とも捉えられる。

ただ都合良く優しくするのもされるのも気持ちが悪い。相手の尺度で推し量られてそれを強要されるなんてただの欺瞞にすぎない。
相手の気持ちをわかろうともしないお前や自分を理解して相手を巧く使う君や真実と同居することを諦めて嘘に生きるあなたも全員偽物だ。

他人からしたら一緒くたにされるようなものでもちゃんと一つ一つ掬い上げたい。
周りの声とか世間体とかどうでもいい。
人と向き合いたい。人と話したい。そういう人に用がある。
どれだけダンボールがでかくても中身が詰まってなかったら中身はすぐ壊れる。その程度のものに興味なんてないし、ただ空虚な空間にイライラするだけだ。
隙間を埋めるようにもっと詰めていきたい。

話がいつも寄り道し放題だ。
乱文失礼しましたってこういうときに使うんだろうな。
乱れて捻れて今日もやってます。
捻くれてすみません。

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