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龍馬暗殺?

「竜馬がゆく」坂本龍馬をドラマチックに書き上げた司馬遼太郎の名著ですね。
私も夢中で読んだものです!すっかり竜馬の魅力にハマって・・・・
そんな歴史好きな私は、この龍馬暗殺という歴史ミステリーをずっと勝手に?あれこれ 想像しては事実に照らし合わせて調べてみたりしたのですけれども、 さっぱり結論に至らない。最近は半ば諦めムードで龍馬は神格化されたままでいいのではないか?などと歴史好き! などと言うには お粗末な結論を持ったりもします。が、 やはり どうしてもいくつか気になる点があります。
そこで 又色々調べてみると1周回って 頭ごちゃごちゃになってしまうので、もっとシンプルに 現代の 我々の行動にちょっと置き換えてみたらどんなもんだろうかと思ってノートに書き出してみて気づいたことが いくつかあるわけです。
まず第一に 龍馬が潜伏していたとされるのは醤油問屋の近江屋。
なぜ龍馬はほとんど 真向かいに自身の所属の土佐藩邸があったのに そこには 身を寄せることができなかったのか?この時 龍馬はいつ 命を狙われてもおかしくない状況にあったわけですから土佐藩としても 龍馬に此処いた方がいいと伝えたという記述もあるはありますが ・・ではなぜ龍馬はそれを断ったのだろうか?具合も悪かったということですから藩邸にいれば 襲われることもなかったはずなんです。
これは私の想像ですが 龍馬が断ったのではなく何らかの理由をつけて 土佐藩邸 の方が 龍馬の居住を断ったのだと思います。
第二に、この日龍馬は風邪をひいていた。朝方に何度か外出し 夕方には戻って少し熱っぽいので2階の部屋で休むと告げて それからは外には出ていない。誕生日のこの日ー
龍馬を訪ねて土佐の同志が何人か来ているし夜には陸援隊の中岡慎太郎が龍馬を訪ね おそらくは政権を朝廷に返した後のこれからの日本について、土佐の関わりについて 喧々諤々なのか 和気あいあいなのか? 囲炉裏を挟んで話をしたのでしょう 。腹が空いたということで 好物の軍鶏鍋を食べると言って小僧に軍鶏 肉を買ってきてくれと頼んでいる。
それからまもなく人が訪ねてきた。 10時か11時頃。そんな夜遅くに来訪者が来たとしたら?やはりちょっと 身構えると思うんですよね !現代の我々でもそんな時間に誰だって? そうなるでしょう?
なのに二人共まるで来訪者が誰か明確に分かっていたかのように通せと下僕に伝えています。直後 わずか数分の間に中岡慎太郎も 龍馬も切られてしまっている。 龍馬は横に払った刀が額に当たって脳髄が飛び出るほどの重傷を負ってほぼ即死。 中岡慎太郎はなぜか絶命せず重症だけれども2日から3日 生き延びたとされている。 おかしなことだらけだと思うんです 。
武士は戦った相手を半殺しにして生かしてなどおかない。
面がバレてしまうのだから必ずとどめを刺していたのに。 龍馬や 中岡 よりも手練れと思われるこの殺戮者たちは 龍馬は仕留めているのに 中岡 は生かしておいている。刀を振りを回せば プロ級の達人が2人揃っていて大概の侍には負けないほどの腕を持っているのに何故か あっさりと切られてる。2人が暗殺されたこの部屋は身長170cm の龍馬が立ったら頭が 天井スレスレ だったと言われています もちろん 刀を振り上げることすらできないそんな状況 さえもこの殺戮者たちは分かっていたということになります!又、龍馬は日頃からピストルを懐に持っていたはずなのにこの日はそれも所持していない。中岡慎太郎も 脇に刀を配置していない 。二人共どうぞ斬ってください!と言わんばかりだ。ありえない状況なのです 全てにおいて 侍である所業を逸脱しています。 誰が来るか分かっていてあいつらは俺たちに危害は加えない!もっと言えば 仲間が来た!若しくは来る段取りになっていた? そう考える方が筋が通るというものなのです。電話もないのですから あそこにいるぞ なんて簡単に知らせが入るわけもありません 夜は侍はそれでなくても危険ですから あまり出歩かない 。それはやはり非常に近しい人間でないと行えないと思うんです。じゃあ結論はどうなんだ? と言われたら確信的なものは私も言えません。 ただ、この時誰が一番 龍馬を殺したいほど憎んでいたか?
第三に、この事件の直前に龍馬の船と紀州藩の船の衝突事件というのが起きている。紀州藩の船と衝突して小ぶりの船だった 龍馬の船は転覆沈没させられこの時に万国公法というのを持ち出して相手方に保証金を 莫大に払わせしかも 自分たちの船には実は積んでいなかったとされる 多くの積荷の弁償代までふっかけて請求し何億という金をどさくさに紛れてぶん取っている。この海上衝突事件、まるで龍馬サイドが正論のように書かれてる本が多いですけれども これ冷静に見たら いちゃもんをつけて圧倒的優先航行の幕府側近の紀州船を逆転、悪者に仕立てている。しかも万国公法と言っても、
事故は日本の海ですあまりにも無理がありすぎる。
それでもそれを押し通すだけの海援隊の龍馬には何か、底知れぬ 力が あったとしか言いようがありません。
私はシンプルに 龍馬は軍事フィクサーとしての役割で長崎のグラバーと繋がっていますので 大きな権力 これを 後ろ盾に持っていたと思います。そう考えればこの無理強いな 逆転勝利がグラバーを通してありえたのではないかと思います。
人のいい 龍馬の歴史的に作られた 人物像とは異なり 現実には 彼はかなり危険な人物であったと考える方が納得がいきます そう考えれば 龍馬を生かしておいたらこの日本において自分たちの立場が何かと危うくなると考えた輩がかなりいたことが考えられるし 紀州藩の人間は誰よりもまさに 龍馬を亡き者にしようと考えても何ら不思議はないと思います。
最後にそういう状況証拠を考えれば シンプルに、辱めを受けた 紀州藩の差し向けた超一級の腕前を持つ 殺戮者によって龍馬は切り殺されたと考えるのが妥当ではないかというのが現状 私の精一杯の拙い歴史の知識から導き出せる 答えです。
元より 歴史を知る上で過去を紐解いても意味のないことだということは 十分にわかっていますから、この意見も一つの意見に過ぎません。あくまで 想像の域を出るものではありませんので反論されてもお答えする考えは一つもありませんが そんな風に考えるのもまた 歴史ロマンの一端ではないかと思うのです!
長々書き連ねた たわいのない想像の話を最後までお読みください ありがとうございました!

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