素人が源氏物語を読む~葵04~:満ちたら欠けてゆく月

葵上の死後、服喪期間中の光源氏は、喪失感から抜け出せない様子です。自分の死後に誰か美しいひとがこんなふうに悲しんでくれたら、という読者のファンタジーを満たして余りあります。でも、そんなに悲しむほど、好きだったの? という疑問を禁じ得ません。

◆素人読者の期待

光源氏って、火葬が済んだら帰り道に淋しげな風情でアピールしてワンナイトかましちゃうくらいの、チャラい男なんじゃなかったっけ? そんなに悲しむなんて意外だし、やや不審にすら見える。そんな見立てが失礼なのか名誉なのかも、平安のセンスはまるで分かりません。

もと頭中将、葵の巻の時点では三位の中将になっていますが、彼も「あやしう」と言ってます。

◆御代替わりが葵上の魅力を見つけさせた

光源氏はゆくゆくは美貌と権勢と財力を誇るスーパーダーリンになるような男なのに、大事にする女は何故か「可哀相」な感じの女ばかりです。

後年、光源氏がデザインした豪奢な居住空間「六条院」も、後ろだての無い女ばかりを住まわせますから、養護系の施設のようでもあるのです。後ろだてがあったら男の用意した空間に足を踏み入れる理由はほとんど無いのかもしれませんが……。

藤壺は可哀相ではないかもしれないけど、身分が足りなくて自分を残して横死した憐れな桐壺更衣を重ねて見てる可能性もあります。

葵上が悪阻で苦しんでいるときには験者に勤行させるし、生霊に乗り移られたりしながらも出産した後の弱ってるときには「僕の正妻がカワイイ」とお世話します。薬湯を飲ませてあげたりして。それを見て「いつ慣らひ給ひけむと、人々あはれがり聞こゆ」(光サマったら、ああいうのいつの間に知ってらっしゃったのかしらね、素敵だわ、って皆で話した)とあるので、スーバーダーリンにケアされるのは女の子たちの憧れだったのかも。まあ、弱ってるときに優しくされたい、ってファンタジーは今でもありますよね。

この辺を読むと、古文参考書に書かれてたことは何だったのかと思えてきます。初歩的な古文参考書の知識だと、平安時代は高飛車な女が理想とされた、ことになっているのです。日頃の葵上なんて超クールで隔てがあって、完璧な訳ですよ。それなのに、頭中将の常夏の女にしろ、やつれてる葵上にしろ、この人たちの頼りなげな女へ傾倒って、何なのでしょう。

あるいは双方を両立させるならば、高飛車さんとは落とすまでの過程を楽しみ、馴れ親しむのは気楽な女、ということなのかなあ。

光源氏は可哀相な女が好きっぽいという意味では、葵上との距離が縮まったことと御代替わりは、やっぱり関係あるのでしょう。新しい帝は朱雀帝。その母親は弘徽殿女御で、その父親は右大臣です。葵上は左大臣の娘だから、時勢の変化を感じて多少は心細くなったりしたんじゃないですか? 家の様子も少し変わってくるでしょうし。そういう微妙な変化をキャッチした光源氏が「あれ、なんか、いつもより塩対応じゃない」って接近していった、という感じなのでは。藤壺や空蟬には強引に行けたのに(強引にならねば成就しなかった)、正妻には強引にならなくてもよかったけど時期を見計らう必要があったんですね。

◆あの望月

六条御息所の生霊が出産間際の葵上に乗り移って「祈祷をゆるめてよ、源氏の大将に言いたいことがあるから」と言わせたシーンで、満月を思わせる描写があるんです。

「御腹はいみじう高うて臥し給へるさま……白き御衣に、色あひいとはなやかにて、御髪のいと長うこちたきを、引き結ひてうち添へたる」

ここは、白と黒なのに色合いが華やかって、どんな感じなの? というのが先ず分からなかったです。それに妊婦の腹部って、いみじうって書くほど高いかなあ。ここは単に臨月っぽさを出そうとしてる表現なのでしょうか。光源氏が臨月の女性に対面するのが初めてだからしょうがないのですかねえ。なんだか身体から離れそうなほど高いんじゃないかという気がしてきました。

白く満ちた球のような腹、寝るとき用に結ばれてはいるけれど豊かな黒々とした髪。白い球体と、広がるべき黒。もしかしたら、これは望月を思わせたかもしれない。それなら、白と黒でも華やかさもある。すみません、素人が読むのは妄想することに似ているんです。

だとすると、この望月は誰のものなんでしょう。ようやく光源氏の優しさに満たされた葵上のものでしょうか。此処から先は翳ってゆくかもしれない左大臣家のものでしょうか。あるいは、これから正妻に死なれ父とその七光りを喪い淋しい須磨へと下っていく光源氏でしょうか。

◆生霊は何だったのか?

センセーショナルに言おうとするなら、葵上の死は光源氏というセレブの正妻が愛人の生霊に殺された事件です。しかし、生霊というものが絶対的に信じられているわけでもなく「葵上はいずれにせよ、ああなってしまわれたでしょう。なぜ、六条御息所のあのような場面を私だけが見聞きしてしまったのでしょう」と六条御息所を疎ましく思う自分を諌めるようなことも書かれています。

軽く優雅だったお遊びが、重たく現実に侵入してきたから、罪悪感が幻を見せた、という読みの可能性は残されています。

そういう可能性はある、という程度にとどめておくのが、一番おもしろそうかな、と思っています。

◆何かを捨てて

光源氏の人生では、喪失と獲得が結び付いているように見えます。

実母を亡くしてのちに藤壺が父の妻としてやってくる。臣籍降下したことで、父帝から気兼ねなく愛される。貴族仲間を得て、行動範囲の境界線が薄れて中の品の女たちと出会う。空蟬に逃げられて軒端の荻と束の間の恋をする。夕顔に死なれて、うんと先に玉鬘を養女に得る。北山では病を落として若紫を見初める。

この巻では、葵上を喪い夕霧を得て、左大臣との関係が薄くなって紫上をある程度ちゃんとした妻として得る。

それだけなのかな。彼は十代的な何かをなくしたのではないかな。社会的に見ても、今回初めて父親になったし。 庇護してくれるひとがいなくなって、父親にはなったものの日常的に父として子を育てる訳じゃない。すごく宙ぶらりんな感じになりました。自由とも言える。この自由な時間を、彼はどう過ごしていくのでしょうか。

◆葵、いったん終わります。

葵の巻について最初に書いたのが6月下旬。2ヶ月くらい、葵で足踏みしてる。

葵は、手塚治虫先生で漫画化してほしいようなコミカルな場面もあったりします。大人数でドタバタしてる感じとか、出てくる身分の層の厚さだとかが、これまでの巻とはレベルが違う感じなんです。それはそれで書きたいけど、わたしもそろそろ先に進みたいんです。レディ・ロクジョウや紫上については、先の巻でも書けるでしょう。未練残しつつも、先に進みます!

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