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素人が源氏物語を読む~賢木02~:古文が読めなくても読みやすい部分は◯◯◯◯だ

文学にも歴史にも詳しくないし、古文は読めない。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」ってのを思い出して、あれは暗に日本語のことを言ってたのかな、そんな筈が無いけど、時々そう思う。

源氏物語を読みたくなっちゃって、とりあえず読破したいので現代語訳って選択肢しかなかった。

で、読み出すと、現代語訳だと凄く素敵な感じだけど、この訳とあの訳は雰囲気が違うから、そもそも古文だとどうだったのかな、って思うようになる。

流れを頭に入れとくために読んだ角川ビギナーズクラシックの、古文と現代語訳がついてる抄訳バージョンの文庫本に運良く載ってればいいけど、ほぼ載ってない。ぶ厚い文庫本換算で10冊くらいあるのが、フツーの厚さの1冊になってるんだから。

でも、古文だけだと、現代語訳バージョンのどこの部分なのかが絶対に分からない自信があるから、どっちもついててフルバージョンのやつを時々見てる。

読めないなりに眺めてて、今の時点で思うのは、古文になったときに理解度が3つくらいに分かれる。

1「やっぱ無理、わかんない」
2「現代語訳が頭に入ってるから、すごーく時間をかけて眺めたら分かる」
3「割とナチュラルに読める」

今日は3について書こう。源氏物語で、古文を知らなくても読みやすいのは、ズバリ、風景描写でしょう。

これは、個人の実感ですが、理由はあります。おそらく前提とされる知識がもっとも少なくて済むからでしょう。だから試験には出ない。でも、まあ、楽しいじゃん。時空は違っても同じ月を見れるくらいには、ひとつの世界の片隅どうしなんだな、っていう淡い繋がりを感じられる。

賢木の巻から、斎宮が伊勢下向の前に潔斎している寂れた地の描写をお届けします。光源氏御一行が野の宮あたりに着きましたところからです。


はるけき野辺を 分け入り給ふより、
いと ものあはれなり。

秋の花 みな おとろへつつ、
あさぢが原もかれがれなる虫の音に、
松風すごく吹きあはせて、

そのこととも聞きわかれぬほどに、
ものの音ども たえだえ きこえたる、

いと えんなり。

ここにはかかってる言葉とかあるけど、古文ではかけるテクニックが使われがち、って知ってれば分かると思う。そこまでわからなくっても、伝えようとしてる雰囲気はわかる。個人的には、かける、ってすごく素敵だとは思わないんですけどね。でも、当時はそういうのがなんだか楽しかったんだろうなあ。エッシャーの騙し絵みたいだもん。全部の秘密を暴けなくても、付き合い長くなるうちに理解が深まる、ってのもいいじゃない。

風景描写のなかでも、寂しげな風景ってのは、特に読みやすいです。たぶん華やかな風景っていうのはイベント絡みだったりして、前提とされる知識の量が増えてしまって、ちょっと難易度上がっちゃうんです。

と、いうわけで、そういう箇所を読むのは、試験の役には立たないけど、全く歯が立たないってほど分からない訳じゃないってことが確認できます。

チャオ。



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