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素人が源氏物語を読む~賢木01~:大臣の娘たち

賢木の巻は、六条御息所が娘と一緒に伊勢に行く決断をしたところから始まります。

◆六条御息所は、なんであんなに諦めが悪いんだろう?

六条御息所って、母なのに恋する乙女です。そういうケースの感じの女のひとなのかなあ、という思いも読み解きに加わりそうですが、いちおう保留にしときます。

葵上の葬式があって、年が明けて光源氏と紫上が結ばれて、その年の秋です。娘の斎宮と一緒に伊勢へ下向することにしました。まあ、前から伊勢へ行くだの愛されていたいだの引き止めてほしいだの、定まらなかった心がようやく決まったんでしょう。

葵上、つまり光源氏の正妻が亡くなったあと、いつ頃なんでしょうか、次の正妻は六条御息所なんじゃないかと巷の噂になったこともあるとか。六条御息所と光源氏のあいだには、彼女の生霊が葵上を殺したという秘密がありますから、お二人は「それはない」とお思いだったでしょう。

忙しい平安貴族の男の通いが途絶えがち、という面はあったでしょうが、彼女と同じような扱いをされたのが他の女だったら、もっと前に距離をとる決断ができたでしょうに。空蟬と間違えられて一夜をともにした軒端荻なんか、ポーッとして「いつでもオッケー」みたいなサイン出しといて、早々に結婚したじゃないですか。あれは身分が低い方の貴族だったから、だけでしょうか。

この辺の諦めの悪さは、身分の高さゆえなのでしょうか。

令和の庶民の私には、貴族社会というものをリアルにイメージできません。源氏物語を読むにあたって致命的なギャップです。意味不明な異世界をサクッと理解したくてダラダラ色々読んで得た乏しい知識で理解できたのは、こうです。そういう社会では原則的には身分が高いほど貴い、美しい、正しい、愛される、許される。

六条御息所は、東宮妃になる前は大臣の娘でした。大臣の子、というだけで、有形無形の優遇を受けたことでしょう。のみならず、いずれ国母となって家を栄えさせるかもしれない娘であれば、どれだけ宝物扱いされて生きてきたんでしょう。ままならないことが、人生には時々あるってことを、そんな女の子はいつ知るんですか? この世界に通らない要求があることを、恋をするまで知らなかったとしても不思議ではないでしょう。

ああ、いいですね、設定。なに不自由なく育ってきた上流階級の少年少女が、恋をして初めて思いどおりにならない他者と出会って執着する。こういう流れで読むと、時代も階級もまるで違う彼らのことを理解しやすい気がします。しかも、みんなそれで読めてしまいそうで、それは怪しいところです。

◆大臣の娘たちと、光源氏

賢木までの巻に、大臣の娘は4人出てきます。出てきた順に見ていきます。

◆◆弘徽殿大后

桐壺巻から桐壺帝の弘徽殿女御として出てきます。右大臣家の娘で、朱雀帝の母です。父親存命中に息子が帝に即位したのですから、4人の中で最も成功したと言えるでしょう。

桐壺更衣が亡くなられて桐壺帝がブルーに沈んでいらっしゃる頃には聞こえよがしのように弦楽パーティーを催したり、藤壺入内の際には弘徽殿女御にイジメられるかもと怖れられたりしています。

気が強くて怖そうな感じに描かれがちですが、彼女にも可愛らしいとこはあるんです。母なき子になった光源氏を、帝がしょっちゅう連れ歩いてる頃には、さすがの彼女も光源氏を可愛らしい子だとお思いでした。それだし、賢木の巻で桐壺院のご病気が酷くなられたときにはお見舞いに行きたかったのに、院には藤壺中宮が張りついてるからと行きにくくて行けなかったんですよ。右大臣家には非常にパワフルというイメージがあるのに、藤壺が皇女だから遠慮しちゃったんですね。身分社会って、厳密なのですね。まあ、お見舞いに行きたかったっていうのは、情の話か遺言を考慮しての話か分かりませんが……。

帝のとこに入内して、男の子も生まれて、人生って割とイージーモードじゃない? と思ってらしたであろうところへ、身分が低くて雑魚レベルと思ってたであろう女に帝の寵愛を奪われちゃうんです。その女が死んでせいせいしたかと思ったのに、おそらく忘れかけたころに藤壺が来るんですよ。それで帝の寵愛を再び奪われるのです。そうして、藤壺のことを強烈に意識してゆくのです。

もっとも成功した「大臣の娘」ですが、なかなかしんどそうですね。

◆◆葵上

こちらも桐壺の巻から出てきます。今度は左大臣家の、一人娘です。右大臣家からもいずれ東宮妃にと請われていたのが何の縺れか、東宮の弟、臣籍降下した光源氏の添臥の妻となります。

ここで、分からないのはーー、家の娘としては帝や東宮のキサキになるのが、その時点での最高のライフコースになります。しかし、一世源氏の光は世にも美しい男だと評判なのです。個人の人生としては、どっちが好ましいんでしょうねえ。平安時代も『舞姫』みたいに家が重んじられて個人の思いなんて重視されない世の中だったんですかね。

自分で選べない人生の、帝や東宮のキサキになって家からのプレッシャーを背負って様々な女と寵を奪い合う日々と、身分は劣るものの美しい男の正妻になって育った家で夫を待ってるのと、個人としてはどちらが好ましかったのか? まあ、選べないんだから、納得するか不満たらたらでいくかしかないんですが。

最初の夜は「さっき儀式を終えたばっかの、昨日までは歴としたコドモだったヤツじゃん」とお思いだったでしょう。十代の、物凄い勢いで大人びていく姿を、たま~に通ってきたときに目の当たりにするんだから、早送りビデオを観てるような感じだったんじゃないですかね。その貴重な時期を目撃してた、っていう意味では、美しい男の一番美しく変わっていく時期の最初から最後までを舞台袖から眺められたのが葵上かもしれません。愛されるより目撃したいタイプの読者に最も羨ましがられそうです。

左大臣家の子は葵上も頭中将も美しいけれど光源氏には見劣りしてしまうように書かれているんですよね。光源氏は左大臣家の子どもたちに、そんな敗北を初めて与えた男なんじゃないですか。

最後には無事に出産もしますし、まあ、懐妊がきっかけで生霊が誘われて死んでしまう訳ですが、葵上の人生として子もなさずに死んだら完全放置プレイと世間に思われる人生な訳で、そりゃあ虚しかろうと思うのです。

◆◆六条御息所

桐壺帝のご兄弟が東宮だった頃に東宮妃となられ、後に伊勢の斎宮となる娘にも恵まれ、しかしその東宮は帝になることなく亡くなられた。

大臣の娘で東宮妃になられた。そういう意味では弘徽殿大后と同じくらい、途中までは順調だった。東宮が亡くなられたあとは、桐壺帝から入内を薦められたりもした。けれどもそれはお断りした。東宮と結ばれて死なれて、帝をお断りして、そうしたらもう後がない、そう思えるじゃないですか。

ところが、帝に最も愛された息子で臣籍降下して既に正妻もいるという若造に口説かれたら、恋仲になって自分の方が夢中になっちゃったんですよ。

父帝がゲットできなかった女を粗末に扱うという図が、父帝を守っているのか見下そうとしているのか、あまり畏れ多いことは書けないでしょうが読み解きに悩むところです。いずれ光源氏たちがやりがちなホモソサエティ経由の恋です。

例え生霊を飛ばして世間の噂になったって、娘斎宮の潔斎のための野の宮にも貴族男子らが誘いあって通ってくる。御息所がいる場所は、それくらい風雅な非日常的なシチュエーションになりえます。御息所は源氏物語の中でも和歌が上手だと言ってるひとがいました。六条にせよ野の宮にせよ、田舎めいた場所柄が風雅と目されたのは彼女の和歌のマジックが添えられたからでしょうか。サイキックレディ・ロクジョウには、そんなパワーすらありそうです。

このひとは、東宮妃になったのに東宮に死なれる、という運命のままならなさを知っていました。順番はどうだったのか不明ながら、父大臣も死んでしまった。でもそれは他人の生命のこと。自ら恋をして心を掴めない、という挫折は初めてだったんじゃないですかねえ。こんなことはある筈がない、そう思ったら死霊までもを飛ばすほど離れがたいのかもしれません。

イマジナリーな領域で思うがままに振る舞うことのできるレディ・ロクジョウ。風雅で、和歌の名手。生霊も死霊も飛ばせる。父大臣と夫の東宮に死なれ、都を離れて伊勢へと下向。印象深い女性です。

◆◆朧月夜

弘徽殿大后と同じく左大臣家の娘。六の姫。東宮妃に、というプランは光源氏と恋仲になったことで破談に。この、自分の息子に自分の妹を、っていう発想、さすが平安時代。

葵上が死んだ後には、どうせ光源氏と恋愛関係なんだから朧月夜を光源氏の正妻にするのもアリ、と右大臣は思ったものの弘徽殿大后に反対され断念。普通に尚侍として仕事しながら、やがて帝の寵愛を得るように。キャリアウーマンしてたら社長に見初められたようなもんでしょうか。ここ、持ってるひとは持ってるんだ、とよく分かる展開です。このひとは、もっともワガママを許された姫じゃないですかね。

源典侍(げんのないしのすけ)っていう、光源氏と頭中将という当時の二大イケメンに愛されたひとのように、楽しい恋愛を、それよりずっと素敵に若いうちにしてるんです。

このひとは、帝に愛されて辛そうなことが少ないように見えるんですよね。朱雀帝に「光源氏は私ほどは貴女を愛してくれないよね」って言われたりするけど、まあ、それくらいのプレイを朱雀帝が仕掛けたって罪はないでしょうよ。

それで最後は、なりたくてもなれなかった登場人物が多かった尼に、スッとなるんですよ。

女の子の夢がギュッと詰まったような人生なんじゃないですかねえ。帝か東宮のキサキになるという最高のライフコースからは外れたものの、後の朱雀帝の東宮時代に入内を期待され、朱雀帝になってからも愛され、自分から誘ってナンバーワン・イケメンの光源氏とも逢瀬を楽しみ、最後は出家。

育ちのよさゆえの軽やさが魅力的な永遠の不良少女。心臓強い。

このひとだけ、何にも負けないし何にも執着してないように読めます。六の姫っていう位置も、家からのプレッシャーが少なくてお気楽だったのかしらねえ。

最後までおつきあいくださいまして、ありがとうございました。次回も賢木です。

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