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ウェイリー版・戻し訳を読んだら、源氏物語のイメージがフワッと広がった。ーー素人が読む源氏物語:花散里ーー

源氏物語って、「和」に縛られずに読むのもアリなんだ! 

これまで日本の文学のピンポイントだと思っていました。現代語訳で読破してみようと決めたものの、平安時代に対して持ってるイメージは十円硬貨のモチーフになった平等院鳳凰堂とか、十二単のお姫様くらいなのです。

そんな状態ですから、「平安」×「和」でイメージを膨らせるのは意外と難しかったんです。そんな偏見あるいは無縄自縛をほどいてくれそうな源氏物語と出会いました。『源氏物語 A・ウェイリー版』です。

この記事では左右社さんの『源氏物語 A・ウェイリー版 第1巻』のうち「花散里」を読んでいきます。源氏物語の「平安」×「和」にとどまらない魅力について書きます。

源氏物語。
1000年前。平安の都で紫式部が執筆。
100年前。イギリスのアーサー・ウェイリーが英訳。これをもとに複数の言語に二次翻訳が行われた。世界が源氏物語を知るきっかけとなった。
2017~2019年。ウェイリー版の戻し訳が左右社さんから発行された。

この全4巻の源氏物語の表紙にはクリムトの絵が使われています。時代もエリアも違いますが、素敵です。本棚に堂々と飾れます。誰かに見てほしいような本棚になります。

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紙の本は重たいとか場所を取るという方にはkindle版がオススメできます。電子書籍では紙版とは全然違うシンプルすぎる表紙が採用されているケースもあるのですが、この本はkindle版にも美麗な表紙がつくのです。上の画像はスマホのkindleアプリで見た表紙をスクショしたものです。

本を開くと、クリムトの絵の表紙に負けない、あらたなイメージが溢れるカラフルな世界が広がっていたのです。

今回は、花散里を読みながら、3つの魅力について書いていきます。

・カタカナの多い文面
・カタカナ用語と訳注で広がるイメージ
・圧倒的な読みやすさ


・カタカナの多い文面

カタカナが多いことが、どうして魅力的なのでしょうか? 

文章読本では、カタカナやテクニカルタームをなるべく使わないほうが読みやすいと言われる場合があります。

しかし、源氏物語においては役職や行事や人名などの漢字の言葉、複雑な敬語表現、古語独特の意味などこそが、レベルの高い専門用語のようなものです。古文をすらすら読めない人にとっては。現代語訳であっても、逐語訳的なものの場合、難易度はそれほど下がらないのです。

カタカナ表記がユーザーフレンドリーである具体例を、

1. 扉
2. カタカナのルビ

の順に見ていきます。

・・扉

古文の帖ごとに扉のページがあります。表紙が横書きであったように、扉もまた横書きです。文字だけのシンプルなページでありながら、期待を誘います。いまだかつて、題名だけでこんなにイメージが呼び起こされたことがあったでしょうか。どんなイメージかは後ほど書きます。


帖の題名のほかに

1.ふりがな、
2.英語タイトル(単にローマ字表記になるものあり、英語フレーズになるものあり)
3.英語タイトルの和訳

が書かれています。

帖の題名は1~3文字の漢字熟語とはいえ、日常で出会わないような言葉だから、あったほうがありがたいです。

英語タイトルは、花散里では "The Village of Falling Flowers" で、「オレンジの花散るヴィレッジ」との和訳がつきます。


花散里は女人の名前。由来はその巻で読まれた和歌にある。そう思って読むときには「そこに橘の花があるが木陰と香りが注目されている」という情報として処理していました。

「左近の桜・右近の橘」と関係があるのかな、薫る橘が花散里なら見事な桜は誰だろう、そもそも薫りと花とでは愛でられ方が段違いでは? などと頭の片隅に入れつつ読みすすめていました。疑問が疑問を呼び、頭の回りを飛んでいる蚊が羽音を立てるように疑問符が渦巻いて浮遊するのです。題名のなかの「散」の文字が、下降していく光源氏の境遇と重なるのも、どう読むべきでしょうか。それらは楽しい疑問ではありましたが、いつまでたってもスッキリできないのです。

平安という過去に遡りながら、物語の経過とともに時間をくだってくる。これまでの現代語訳を読むときには、時間のなかを上下に動いていました。着実に下へ下へと歩みをすすめることーー踏むべき石を慎重に探っていました。


けれども、オレンジの花散るヴィレッジ、として読むとき、空間的な広がりがイメージされてきたのです。

オレンジの花が甘く爽やかに漂ってきます。

古文の文脈では、それまでの和歌の歴史から、橘の薫りは昔を懐かしむものとして想起されるようです。現代の私にとっては、少し違います。

香りのお洒落に足を踏み入れたばかりのティーネイジャーが、照れずに怯えずに手をのばせるタイプの香り。そういう意味で、若々しさを懐かしみながら愛でたくなる、そんな香りです。自分は老いてしまったけれど、あの香りが似合うような青春の日々が確かにあったのだ、というような。体感のあるイメージになります。

また、都(ザ・キャピタル)に対するヴィレッジという対比がヴィヴィッドに立ち上がってきます。そして、花の散る季節だけでなく、循環する時間、螺旋状に流れてゆく年月の中の一瞬の訪れなのだということも感じられます。

源氏物語のなかでは、都(ザ・キャピタル)から離れた場所に住まう人々は、マレビトのプリンス・ゲンジを丁重にもてなす。 そんな身分の隔たりも連想させます。

扉に横書きされた少しの文字列だけで、こんなにも広がりを感じさせるのです。

・・カタカナのルビ

カタカナ表記のうち、ルビに関するものを見ていきます。

漢字にカタカナのルビのパターン、カタカナに漢字のパターンがあります。

現代の小説作品の場合、これまでの読み方では読めないものが描かれるときに、こういうルビが使われるのを何度か見たことがあります。確かに、平安時代は今を生きる私たちにとって異世界のようなものです。

漢字にカタカナのルビのパターンを見てみます。()内がルビです。

都(ザ・キャピタル)
五節(ゴセチ)
舞姫(ダンサー)
賀茂(カモ)
荒れ果てた(ワイルドな)

すべての漢字にルビがあるわけではありません。また、漢字にふられるルビすべてがカタカナというわけでもありません。五月雨には「さみだれ」とあります。使い分けがされています。

語の持つ、華やいだ雰囲気・異世界の持つ雰囲気は残っています。ベクトルは同じです。でも、カタカナのルビによって、音として読めてきます。

日本の古典文学だと思うときにつきまといがちな、「『はんなり×みやび』な雰囲気に読みたい、でも自分のなかに蓄積がなくて不可能」というジレンマが無くなるんです。楽です。


これとは逆に、カタカナの語に漢字のルビというパターンもあります。

エンペラー・キリツボ(桐壺)
レディ・レイケイデン(麗景殿)
ミドル・リヴァー(中川)
コレミツ(惟光)

固有名詞に用いられます。カタカナで書かれていても、漢字ルビがあることで、古文に出てきたあの固有名詞と等しいことが明確です。漢字だけのときは「壺」「殿」の格の違いなどが気になって読み進めなかったです。これなら音としてサクサク読めます。同時に漢字の名残がルビとしてあるので調べて理解を深めつつ読むこともできるでしょう。


・カタカナ用語と訳注で広がるイメージ

ルビはなく、単純にカタカナだけで出てくる語もあります。()内は対応しそうな箇所の古文表記です。

パレス(内裏、おほかたの世)
シターン(琴)
ローリエ(桂)
フェスティヴァル(祭)
ヒマワリ(古文「花散里」中に1:1で該当する語は無いが、葵)
カッコウ(ほとゝぎす)
アヴァンチュール(古文「花散里」中に1:1で該当する語は無い)
オレンジツリー(木 または 橘)

外来語も、カタカナ表記の日本語もあります。

「琴」が「シターン」に、「ほとゝぎす」が「カッコウ」になりました。弦をはじいて音を出す歴史のある弦楽器同士、夏の鳥で托卵するもの同士で、似かようところはあります。

広辞苑第六版によると、和歌では「ほととぎす」に「郭公」の漢字を当てたとのことです。

・・イメージの速度

カッコウは「カッコー」と鳴き、ほととぎすは「キョッキョッキョキョキョキョ(てっぺんかけたか)」と鳴きます。鳴き声をそれと意識しやすくイメージしやすいのはカッコウです。鳴き声がそのまま名前になっているのですから、もっとも音をイメージしやすい鳥です。

葵が「ヒマワリ」に、桂が「ローリエ」になりました。一年中イメージしやすいのは今となっては、葵よりもヒマワリ、桂よりもよりもローリエです。

葵と桂が涼しげな印象だとしたら、ヒマワリとローリエにはリゾート感があるでしょうか。それはそれで華やかな舞台設定が、身分高い人たちのドラマの背景に似つかわしいです。映えます。それもまた、アリです。

・・訳注

花散里の訳注で言及される人名を見てみます。

ジェフリー・チョーサー
(イギリスの詩人。英詩の父。1340頃~1400)

ウィリアム・ワーズワス
(イギリスの桂冠詩人。湖畔詩人の一人。1770~1850)

ゲーテ
(ドイツの詩人・作家・劇作家。1749~1832)

源氏物語の訳注に世界の文豪の名を見るとは! 

源氏物語に先行し影響を受けたであろう漢文や漢詩については、これまでも言及されてきました。そのことは、読みを厳密にしなければ、文学史的に正しく読まねば、というプレッシャーを感じさせもしました。それは少しシンドイことでした。

それが、製作当時よりも後の時代の、イギリスやドイツの作家が出てくるのです。このことは、時間的にも地理的にもイメージを広げさせます。琴がシターンになるくらいは微々たることのように思われてくるのです。

それくらい、広い範囲からイメージしても大丈夫なのかな、という気にさせてくれます。

・圧倒的な読みやすさ

最後に、戻し訳の読みやすさを、1ヶ所だけ、古文と比較しながら見ていきます。

(引用)
以前、ゲンジも彼女もパレス内に住んでいたころ、二人のあいだには束の間の情事がありました。

(古文)
内裏わたりにてはかなうほのめき給ひし……

順を追って読んでいけば、内裏わたりに2人がいたのは桐壺帝の頃で、そこで関わりを持ったと解ります。でも、今回の戻し訳のよう書かれていたら「好きな帖、気になった帖から読む」という自由度の高い読み方ができるんです。このように説明や補充が本文となめらかに融け合っていて読みやすいです。

・あとがき
ウェイリー版の逆輸入盤は、読みやすいし、面白い、楽しめる。そういうことを書きたくて、この記事を書きました。魅力が伝わっているとよいのですが。

この記事は、素人読者が知識ゼロから源氏物語を、現代語訳で読破するマガジンに入っています。フォロー、スキ、コメントなど、ウェルカムな感じです。

最後に、最後までお読みくださったかた、ありがとうございました。感謝です。

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