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『あをによし、それもよし』を読んだら、枕詞とかが知識としてではなく単にウケてた時代をイメージしてた。

自主的に続ける自粛ライフ。あーあ、この夏は旅したかったなあ。まーね、旅、したいのに、したいだけの日常なんて、今に始まったこっちゃない。バケーションが脳内なんて実際ド定番なんで。

旅は道連れ。駅ナカの書店で脳内旅行のパートナーに『あをによし、それもよし』をピックアップして、電車に乗り込む。そうだ、奈良、行きたかった。

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あ、この電車、クロスシートじゃん。るんっ♪ クロスシートーー二人掛けの座席って言ったほうがいいのかなーーには旅情がある。とんっ、と腰かける。ふい~。滑らかに電車は走り出して、窓のそとの風景が移り変わって、いつしか見慣れないものになる。ああ、なんにもないなあ。山が途切れると、陽射しと風に満たされた空間が広がっている。ホームの自販機で買ったときは冷えてた綾鷹のペットボトルは、もう結露もない。ぬるくなっても変わらない爽やかな苦味が喉を落ちる。やっぱり綾鷹が好き。

山から奈良盆地を見下ろす。ああ、「あをによし」だなあ。どの辺がどんなふうにそうなのか、ほんとはちゃんと分かってないけど、ここが奈良と思えば、そこかしこが如何にも「あをによし」して見えてくる。

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たぶん、実際に奈良に行ったら、やっぱ言うと思うんですよ。乾杯の挨拶とかにしてさ。合言葉でもいいな、「あを」「によし」で。

これは奈良時代にタイムスリップしてしまったミニマリスト系サラリーマン山上が奈良時代の人々と交流する漫画。異文化コミュニケーション。旅ですよ。

山上が、なんとなく「あをによし」って言っちゃうのも「さもありなん」です。

現代の知識を持つ山上がなんとなく口にした奈良時代っぽい枕詞や掛詞を和歌に読み込んでみた奈良時代の老(おゆ)は、テクニックがバカウケして出世する。

感極まったら木簡に和歌を書き付けるのなんかSNSみたいだし、ウケてる言葉を「流行語大賞」になぞらえたりとか「なんだか分からないけど使いたい言葉」「意味はわからないけど枕詞と受ける言葉が不思議に合う」みたいな感覚、そういう段階はあったんだろうなあ、と思える。

かける言葉なんて、今では親父ギャグとか駄洒落を思わせて、歴史的資料としての試験用知識としか思えないけど、「俺も、あの流行り言葉使って歌作るし」っていう青春のような段階あったのかも、と思うと何だか時代の流れを感じる。

実際どうだったか分からないけど、源氏物語の頃の和歌は教養とか知識量を前提として「色々込めてあるの、おわかりですよね?わたくしたち、貴族ですし」って感じだけど、そういうひとつひとつが知識やテクニックとして成り立つためには、そのようなものとして受け入れられ、バンバン使われる段階があるんじゃないかなあ。

そう考えると、引歌とかしてる世界って、まあ洗練はされてるんでしょう。平安、なるほど雅だなあ。

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