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人生は、リセットするには複雑すぎる

中学生の頃、私は今よりもっと醜くて愚かで無知な子どもだった。
ありのままで幸せになれると思っていたし、ありのままで幸せになれない人生が許せなかった。
だから劣等感の塊だったし、後悔もたくさんした。

当時、kemuさんの「人生リセットボタン」という楽曲が大ブームだった。
あの曲を聞いた時、私にも人生をリセットできるボタンがあればいいのにと思っていた。

色々妄想した。もしやり直せるなら、あの友達とは関わらないようにして、最初からあの子達と仲良くしようとか、部活ではこう動こうとか。
全部タラレバである。それでも毎日が辛かったので、そうやって現実逃避することで、どうにかこうにか耐えていた。

けれど、想像する度に、冷静にもなった。
もし、人生をやり直して、仮に妄想通りの完璧なプランを実行出来たとして、今の私が持っているものをその第二の人生へ持ち越すことは出来ないのだ、と。

毎日が苦しかったからたくさん泣いたし多くを恨んだ。
けれど、そうやって負の感情を選んでいたからこそ、得られたものや出会ったものも少なくなかった。
そして、もしもリセットボタンを押してしまったら、きっとそれらを失うことは避けられなかったと思う。

強くてニューゲームはそんなに強くない。
幾つもの分岐がある故に、やり直すには人生はあまりに複雑すぎる。
幼いながらもあの頃の私は理解していた。
そして、そのシンプルな気付きは、二十歳を越えて学生でもなくなった今でも、自分の中で強く根付いている。


先日、今更ながら「LaLaLAND」を見た。
ラストまで見終えて、一週間くらいぼんやり考えていた。
あの映画で伝えたいことってなんだったんだろう。

頭の中で、ラストに二人が再会するシーンをずっとリプレイし続けた。
あのシーンに大切なことが詰まっていると確信していた。

至った結論としては、先程述べたことが全てなのではないかと考えている。
再会したセブとミアは、自分達が別れなかったかもしれない「もしも」を想像した。そんな未来もあったかもしれないと考えて、それからお互い蓋をした。

セブとミアがあの時そのまま関係を続けていたとしても、二人の夢が叶っていた可能性は充分あったと思う。
けれど、あくまで可能性である。その後、二人が付き合い続け、結婚に至ったことが原因で、夢が頓挫する可能性も普通にある。

それに、子どもの存在。もし、二人がリセットを行ってしまった場合、ミアが心から愛したマイダーリンこと幼い子どもは産まれてこないし、はじめから存在しなくなってしまう。

一生愛し続けると誓って別れたことで、映画はあの結末を迎えるし、お互いの夢が確かに叶えられた。
別れなければ出会えなかった人や感情があった。別れたからこそ選べた選択肢があった。

そこが主軸ではないかもしれないけれど、私はそれをメインテーマとして受け取った。受け取って、心から共感した。
人生に選び直しはないし、失ったからこそ得られた経験があり、選んだからこそ取り零した運命もある。

人生って、本当に複雑。
完璧にコンティニューするなんて、きっとほとんど不可能だ。選びたかった未来を選んだら、本来の未来は焼却される。そればかりは本当に仕方ない。

毎日辛いし、悲しいこともたくさんあるけど、後悔してもリセットなんか出来ないし、リセットすることで「今大切なもの」が失われるのは、きっとすごく心が痛い。

だから、目の前の道を歩くしかないし、選んでいくしかないし、死にたくても死ねないなら生きていくしかない。
それがきっと生存戦略なのだと、私は思っている。

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