生きてるだけでも歳は食う

こんにちは世界

突然なんだけど、作文の課題、好きかい?

ほら、夏休みになると、決まって学校から言われるだろ?読書感想文書いてこいとか、作文コンクールに出すものを何かしら書いてこいって

正直に申し上げると、僕はあれが大の苦手だった。中学の時分だよ、高校でもそうだったかもしれない

むしむしと暑い自室で扇風機に煽られながら、「こんなの書けないよ」「わからないよ」「もう嫌だ嫌だ」と呻きながら、丸一日以上の時間を奪われた、嫌ぁな思い出があるんだ

やらぬことには終わらないのは勿論だけどさ、心底苦しい課題を、隣で仁王立ちしてる母にせっつかれながら取り組むのは、今思い出しても苦しくなるね

20を過ぎて半ばになったけど、今なら楽しく書けると思う。人の手を借りずとも、1万字は書かせろって気概でやると思うよ

思うんだ、中学生に作文はちと荷が重くないですかと

できる子はできるだろうとも。そういうのが好きな子はいるだろて

けど僕は嫌いだった、感想と言われて、何を書けば良いか、てんで思い浮かばない子供だった

「本読んだよ、〇〇って題名。うん、面白かった」

これ以上の感想を引き出せるほど、僕は自分の心に耳を傾けるのが上手じゃなかったし、仮に聞き出せても、お粗末な国語力が足引っ張って、どう書いたらいいか、わからなかったと思う

夏休みの終わりの方になって、母に作文の課題にまるで手をつけてないことがバレて、泣きべそかきながら取り組むけど、結局、見かねた母が7割ほど完成させた原稿を僕が清書してってのが、毎年の決まりだったっけ

小学校の頃の自由研究も、思えば毎年母上に手伝ってもらったなぁ。むしろ、僕は意欲的に何かをやりたい、何かに挑戦したいって主張するタイプじゃなかったから、母上が主体で工作したものを学校に出してやってた

ひどい時はだよ、僕が一切制作に関わらなかったものを自由研究として出してやったことさえある。ほんとの話

だから思うんだ、作文とか、自由研究とか、本当は大人がやりたいことを、やって楽しいことを子供にやらせてるんじゃないかって

じゃなかったら、母上は毎年のように作文やら自由研究を、半分代行みたいな形で手伝ったりなんかしないと思う

僕自身も、今中学生の弟がいるんだけどさ、課題に追われる彼を見ててさ、思うんだ

代われるもんなら代わりたいなぁって

課題でそんな楽しいことやれるの、良いなぁなんて思う

もどかしいんだね、こんな何でもやって良い課題で好き勝手しなくてどうするのって、側から見てて思うもの

少年期を抜けて、やっと遅い青年期がやって来たって、自分のこと認識してるんだけどさ、案外二十年以上生きてれば、色々身につくもんでさ。大人と子供って、やっぱりできることに差があるもんなんだなって、そう思った

不思議だね、心が停滞してても、案外色々身についてるもんなんだね

心の年齢が体に置いてかれてく、妙な気分だよ

前に体育講義の先生が言ってたな、25歳で脳はあらかた成長を終えるから、25歳のマインドのまま人間は歳を食うんだってさ

やだなぁ、75歳なって、草生えるとか言ってんのかなぁ。変な感じ

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