見出し画像

浮世博史『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート・古代~近世篇』「はじめに」公開

 2020年2月25日、幻戯書房は浮世博史著『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート・古代~近世篇』を刊行いたします。
 百田尚樹著『日本国紀』(幻冬舎、2018年11月10日第一刷発行)という本をご記憶でしょうか。いわゆる「日本史ブーム」の中、「日本通史の決定版!」をキャッチコピーに、発売時には圧倒的な話題性で出版界を席巻した一冊です。刊行後、同書へは様々な論評が出されました。
 浮世博史さんによる「こはにわ歴史堂のブログ」の連載「『日本国紀』読書ノート」(2018年12月~19年4月)もその一つ。日々教壇で中高生と接する浮世さんが、歴史教師としての視点で同書に見られる俗説や誤解を全体にわたりチェックした連載は昨年、大きな反響を呼びました。『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート』全2冊は、その連載を基にしたものです。
 もともと、書籍やウェブ上でありがちな日本史に対する「俗説(あるいはデマ)」に関心が深かったという浮世さん。『日本国紀』という本の注釈のかたちをとることで、そうした俗説を一網打尽に解説できる、ということが、今回の執筆の大きなきっかけになったと言います。
 あのベストセラーは何だったのか――今や耳にすることも少なくなってしまった『日本国紀』ですが、昨今の「歴史教育」「歴史言説」をめぐる複雑な状況の問題は、同書にとどまるものではありません。そのため、
「けっこうまともな内容だったと思うけど?」という方には、その「解答編」として
「結局、どのくらい誤りがあったの?」という方には、その「(おおよその)正誤表」として
「単なる便乗本じゃないの?」という方には、日本史をより好きになっていただくための「普通の通史」として
「非専門家の一般書に対して、重箱の隅をつつくのは無意味では?」という方には、手軽な日本史FAQとして
「『日本国紀』は未読だけれど、今の歴史教育ってどうなってるの?」という方には、現場からのレポートとして
 など、様々な角度から、この『もう一つ上の日本史』はお楽しみいただけることと思います。
 以下に公開するのは、著者による『古代~近世篇』「はじめに」全文と、目次です。真に「誇りをもつことのできる歴史観」とは何なのか、わが国の歴史教育はどこから来てどこへ行くのか――3月刊『近代~現代篇』とあわせ、よろしくお願いいたします。

初版第一刷の表記に関して、誤りがございました。お詫びして訂正いたします。正誤情報をリンク先に掲載しております

画像1

浮世博史「はじめに」

 2018年(平成30)11月、百田尚樹著『日本国紀』という本が刊行されました。
 同書は「当代一のストーリーテラーが、平成最後の年(原文ママ)に送り出す、日本通史の決定版」「教科書では教えない日本史」を謳い、小説家である著者が、日本の歴史を500頁の一冊にまとめあげた、とされる一冊です。発売から四か月の間に、計9刷65万部が発行されたといいます。

 同書がそれだけ人気を得た背景には、おそらく、
「日本史にはなじみがない。学び直したい」
「でも教科書はなんとなく信用できない」

 といった、既存の歴史教育に関する不満を持つ一般読者の方が、かなり多くいらっしゃったためではないかと思います。

 でもこの本、気になる部分が結構あるんです。

 私はこれまで、中学・高校生の歴史教師として35年間、教壇に立ってきました。その眼からすると、単純な誤解や誤りの他にも、今は学校ではこう教えています、そんな風には説明していないんです、というところが多いのです。
「あげ足とりじゃないか!」って怒られそうですけど、大きな通史だからこそ、そこをそう説明しちゃうと、あとの話がつながらない、せっかくの言いたいことが伝わらなくなる、ということがあります。誤解の上に話が積まれると、全体が違う方向に行っちゃいますからね。

 ひとくちに「日本史」といっても、実は、世間には様々な「見方」が混在しています。
 たとえば、日本では戦前、いわゆる「皇国史観」という非科学的な歴史教育がなされ、敗戦後は一転、それを全否定するような教育に変わりました。そして戦後の時間の流れとともに、「社会科学としての歴史学」の進展による見解の変化が、その時々に教科書へ反映されてゆきました。

 歴史は一方、小説やドラマといったフィクションの分野で根強い人気を持つ題材でもあります。フィクションの場合、もちろん必ずしも事実そのままでなくてもかまわないわけですが、時に、明らかな誤りまでもが、もっともらしく、広く、そして長く再生産されてしまうこともあります。
 二〇〇〇年代以降、インターネットが普及し、歴史に関しても、誰でも気軽に表現し公表できるようになりました。しかし先述のように、同じ「日本史」といっても、
「かなり古い日本史教育」
「ちょっと古い日本史教育」
「最近の日本史教育」
「最新の研究」
「歴史ロマンとしてのフィクション」

 では、それぞれ見方が異なります。ネット上の記述については、それらの異なる見方が区別のつきにくい状態で混じり合っている場合が多く、そのまま受け入れるのは注意が必要です。にもかかわらず、最近では書籍の世界にまで、そうした玉石混淆の説が(時には一人歩きして)増え、ますます見分けがつかない状況になってきました。

 本文中にも書きましたが、歴史に触れる際には批判的な見方が欠かせません。「これって本当かな?」というところから、その人にとっての本当の「歴史」が始まるのです。

 私は必ずしも、「歴史ロマンとしてのフィクション」を否定しません。それらは時に楽しく、心躍るものでもあります。しかし、それが検証に耐えうる事実かどうかは別です。『日本国紀』のような、「小説家による日本史」はこれまでにもありましたし、これからも出てくるでしょう。でもそれを、そのまま鵜呑みにするのは、ちょっと待ってほしい、と思うのです(それは「歴史教育」に関しても言えることですが)。

 これから記していくのはそうした、歴史教師としての立場から見た、『日本国紀』という本の読書ノートです。私はこの一冊に、「昨今のネット上にある玉石混淆の歴史記述」あるいは「戦後の歴史教育に対する、一般的な日本人の不満」が凝縮されているのではないかな? と感じます。
TVドラマ『相棒』の杉下右京さんじゃないですが、

「細かいことが気になる、ぼくの悪いクセ」

 という感じで、誹謗中傷にはならないように、できるだけ丁寧に説明していったつもりですが、結果的に、二冊合わせて元の本の二・五倍という膨大な量のノートになってしまいました。

 それでももちろん、日本史に関するすべてを語り尽くせたわけではありません。ぜひ、本書を通じて、「なるほど、このあたりが日本史の面白いところなんだな」とか、「この本だって、ここが変だぞ」などと、それぞれの読者の方にとっての「もう一つ上の日本史」を意識するきっかけとなれば幸いです。

【略歴】浮世博史(うきよ・ひろし)奈良県北葛城郡河合町の私立西大和学園中学校・高等学校社会科教諭。塾講師として20年近く中学受験・高校受験の指導にあたった後、大阪市天王寺区の私立四天王寺中学校・高等学校社会科主任をへて現職。2018年12月、自身のブログで「『日本国紀』読書ノート」を連載開始し、一日最大2万PVを超えるなど注目を集める。著書に『浮世博史のセンター一直線!世界史B問題集』『日本人の8割が知らなかったほんとうの日本史』『超軽っ!日本史』『宗教で読み解く日本史』。
【目次】
はじめに

序 章
通史にとって大切な五つのポイント
社会科学としての「歴史学」

「古代~大和政権誕生」の章
1  縄文時代にも農耕の萌芽はあった
2  新嘗祭は建国から現在まで連綿と行なわれている祭祀ではない
3  『魏志』「倭人伝」の記述は「些細なこと」として見過ごされていない
4  「諡号」から神話時代の天皇を考えすぎないほうがよい
5  一般的に思われている以上に、陵墓の研究は進んでおり、調査も認められている
6  八人十代の女性天皇は、「父親が全員、天皇」というわけではない

「飛鳥時代~平城京」の章
7  十七条憲法は現在のような「憲法」ではない
8  飛鳥文化・白鳳文化は、日本人らしく中国・朝鮮の文化を受け容れている
9  蘇我氏は滅亡していない
10  任那は日本の支配下にあったかもしれないが、百済はそうとは言えない
11  遣唐使以降の文化や技術の輸入に、朝鮮は深く関与していた
12  稗田阿礼は『旧辞』『帝紀』を暗記していたわけではない
13  『万葉集』に匹敵する文化は、遙か昔から世界各地に存在している
14  仁徳天皇の「民のかまど」の話を「創作する必要がない」とは言えない
15  長岡京・平安京遷都をめぐる権力争いは明らかになっている
16  「城壁がない」のは、島国や単一言語を持つ民族だからではない
17  日本でも民衆の虐殺はあった

「平安時代」の章
18  遣唐使の停止は「中国の文化を必要としない自信の表れ」ではない
19  紫式部以外にも、世界には書物を著す女性がいた
20  藤原を名乗れたのは不比等の子から
21  菅原道真の祟りの話は、藤原時平の死後にできた
22  刀伊の入寇で朝廷は、夷狄調伏の祈祷ばかりしていない
23  藤原氏による摂関政治の始まりの時期は、はっきりとわかっている
番外篇1 聖海上人の涙
24  武士集団は、現代で言うヤクザではない
25  院政は、上皇が天皇と同等の権力を有することを利用して始まったわけではない
26  保元の乱は「不倫」から始まっていない
27  平治の乱は、「男と女のドラマ」「人間の情愛」「欲望と怒り」では説明できない
番外篇2 戦による民の犠牲
28  平氏政権は前期と後期で性格が異なる

「鎌倉幕府~応仁の乱」の章
29  北条政子の名前は「政子」ではない
30  政治体制が変わったから社会変革がもたらされたわけではない
番外篇3 蒙古襲来と夷狄調伏
31  朝廷は、蒙古の国書への対処の仕方がわからずおろおろしていない
32  蒙古襲来は世界史の視点から見る必要がある
33  「元寇」は侮蔑的な意味だから使われなくなったのではない
34  「悪党」は、現在の意味での「悪党」ではない
35  鎌倉文化は、「貴族の文化」から「武士の文化」に移ったものではない
36  親鸞は、仏教界の偽善と欺瞞を打ち破るために妻帯肉食を宣言したのではない
37  北条高時は最後の執権ではない
38  倒幕運動は「楠木正成の活躍」だけでは説明できない
39  「建武の新政」は「恩賞が不十分だったから」失敗したのではない
40  室町幕府は脆弱だったが、政敵を倒すために天皇の後ろ盾が必要だったわけではない
41 足利義満の皇位簒奪計画は否定されている
42  「倭」に「侮蔑的な意味」はなかった
番外篇4 模試に出てきた倭寇の話
43  「籤引き」は将軍権力の弱さを示すものではない
番外篇5 ヒゲと象と足利義持
44  応仁の乱は、息子を将軍にしたい母の我儘で始まったのではない
45  「室町の文化」に「北山文化」がない
46  室町時代から教育はある程度始まっていた
47  「応仁の乱」によって、大和朝廷から脈々と続いてきた社会制度は崩れていない

「戦国時代」の章
48  北条早雲は関東一円を支配していない
49  「戦国大名」は戦乱を収めるために出現した
50  信長の軍事・経済政策は、過大に評価されている
51  秀吉は征夷大将軍になるために足利義昭の養子になろうと画策していない
52  宣教師は、一様に日本人と日本の文化の優秀さに感嘆してはいない
53  検地・刀狩・人掃令は、「兵農分離」を目指した政策である
54  スペインは、日本の武力を恐れて侵攻しなかったわけではない
55  秀吉が死ななくても、朝鮮出兵は失敗していた
56  朝鮮出兵は、秀吉の対東アジア政策の一つとして位置づけられている
57  戦国時代は、「男女の生々しいドラマ」では説明できない

「江戸時代」の章
58  「徳川の平和」にも凶悪犯罪や疫病の発生はあった
59  幕藩体制は日本独特の封建体制ではない 
60  「参勤交代」は、諸藩が力を蓄えられないようにするためのものではない
61  「鎖国」せず海外進出をしていれば、「徳川の平和」などなかった
62  「御三家」は、家康が徳川家を存続させるためにつくったものではない
番外篇6 『日本国紀』に書かれていない歴史
63  江戸時代の身分制度は、あまりフレキシブルではない
64  「五代綱吉」像は誇張と虚構で誤解されている
65  荻原重秀は、ケインズを二百年以上も先取りしていた、とはやっぱり言えない
番外篇7 財閥解体と間接統治
66  江戸時代の治安のよさはイメージにすぎない
67  江戸の外食産業の発達にはワケがある
68  江戸時代の農民は土地の「所有者」ではない
69  江戸時代の「百姓一揆」はひとくくりにできない
70 「正徳の治」の貨幣改鋳は二回あった
71 「目安箱」は戦国時代にもあった
72 吉宗の宗春に対する憎悪は凄まじくない
番外篇8 徳川宗春の経済政策
73  吉宗は「生きた経済」をわかっていた
74  現代と江戸時代の経済を同じように考えてはいけない
75  田沼意次の政策は評価されている
番外篇9 もとのにごりの田沼恋しき
76  「寛政の改革」は単なる「理想主義」ではない
77  定信の失脚後も二十五年間、「寛政の改革」は続いた
番外篇10 教科書から消えた「江戸の三大改革」
78  朝廷は江戸幕府に影響力を持っていた
79  日本は、列強に残された最後のターゲットではなかった
番外篇11 ナポレオン戦争とフェートン号事件
80  ゴローウニン事件は日露和親条約の締結を促した
番外篇12 ロシアと日本の関わり
81  「大津浜事件」と「宝島事件」は「異国船打払令」のきっかけではない
82  幕府の十九世紀前半の外交政策は「右往左往」していない
83  「蛮社の獄」は単純な蘭学弾圧事件ではない
84  伊能忠敬は「大日本沿海輿地全図」を完成させていない
85  「言霊主義」で社会科学的説明や実証的説明を省略してはいけない
86  ラナルド・マクドナルドは「Soinara」と記していない
87  ペリーの来航に幕府はちゃんと備えていた

「幕末~明治維新」の章
88 庶民が政道に意見できる例は、日本にも世界にも、いくらでもある
89 「不平等条約」はもともと、「不平等」と認識されていなかった
90 日露和親条約で「北方四島の帰属」が決まったのではない
91 「戊午の密勅」は「秘密の勅命」ではない
92 高杉晋作を「魔王」と評したのはオールコックではない
番外篇13 高杉晋作の虚像
93 鍋島直正が近代化を図ったきっかけは、フェートン号事件で味わった屈辱ではない
番外篇14 鍋島直正の「王国」
94 徳川慶喜は「一貫性がない」「勇気と決断力に欠ける」とは言えない
番外篇15 「三割引き」の勝海舟
95  水野忠徳の「小笠原領有をめぐる外交」は、「列強の間を渡り歩いた」わけではない
96  条約の勅許を得たとき、一橋慶喜は将軍後見職ではない
97 イギリスとフランスは幕末、対立せず共同歩調をとっていた
98  「四侯会議」は一回だけでなく、八回行なわれた
番外篇16 坂本龍馬の「再評価」
99 「大政奉還」の意向を諸藩が知ったのは「討幕の密勅」と同日
100  西郷隆盛の「短刀一つあれば済む」は俗説
101  旧幕府は、国際的に承認された政府の地位を「局外中立宣言」で失っていない
番外篇17 徳川慶喜の「逃亡」(1)(2)(3)
102  来日外国人は、民衆の正直さと誠実さに一様に感銘を受けたわけではない

   あとがき
   参考・引用文献
   『古代~近世篇』索引