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基礎的宗教教育

公立学校では、宗教教育はしてはならないという
基礎的な宗教も教えてはならないという

基本的な宗教教育をも教えてはダメだということは
それは、唯物論・無宗教という世界観を正当なものとして
唯心論・有神論を暗に否定していることになる

世界観には、大きく分けると二つある
唯物論・無神論と唯心論・有神論
その間に様々な認識が有るだろうが、大きく分けるとこの二つだ

しかし、無神論も一つの宗教であることを考えると、どうしても学校教育で一つの宗教に肩入れして応援しているようなことにならないだろうか

無神論であるということは「無宗教」である
有神論には大きく分けると「一神教」「多神教」「至高神」が有るだろう
宗教にはこの4つがある
細部に入れば様々な宗教が乱立しているけれど、宗教を扱わないということは、無宗教を支持していることを表明しているようなものだ

そのおかげだろう
死後の世界の有無を聞くと、半数以上の人が無いという
高学歴の人ほどその傾向性が強い

道徳という科目は復活したようだが、道徳の背景にある宗教を扱わないとすれば、とてもその道徳の内容は薄っぺらなものになるだろう
道徳を説明するためには基礎的な宗教が不可欠だからだ
例えば、なぜ、命が大切なのか、その説明がとても薄っぺらなものになる
とても納得させられるものではない

唯物論・無神論と唯心論・有神論、この二つの世界観の違いは、次の物、後の物に大きく影響する
想定問答を繰り替えせばその違いは歴然としてある

唯物論・無宗教で国家が運営されているのは中国共産党と北朝鮮
この国では、自分たちが主であり神である
日本は仏教のはずだったけれど、見ていると唯物論・無宗教の国のようだ
真理は理解できなくても信じる必要が有るということ

死んでも終わりでなく、必ず責任を取らなければならない世界が有るだろうこと
神仏なる存在が居て、目には見えないけれどいつも見守ってくれていること
隠し事は本当は出来ないこと
人間とは神仏の子であり、共に人生修行をしている仲間で有り、お互い尊い存在であること

せめて、昔から言われているような単純なことでも教えておかなければ、自己中心で利己的な人間を育ててしまう事になる

この基礎的な宗教教育が迷信などと言い包められてしまったために社会がおかしくなっている


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