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黄土高原史話<6>リヒトホーフェンの神話? by谷口義介

 西安を発って河西回廊を過ぎ敦煌に至ると、西域の香りが強くなります。乾燥した駱駝の糞の臭いも混じって(写真)。これより先、トルファン、ウルムチ、クチャ、カシュガル、そしてサマルカンドと、その名も魅惑的なシルクロード沿いの都市が続きます。


 この「シルクロード」の命名者が、他ならぬドイツの大地理学者リヒトホーフェン男爵。
 1869~72年の間、中国の各地を縦横に踏査、荒寥たるゴビ砂漠や黄土台地の奇観を目にし、帰国後、有名な黄土風成説を発表します。中央アジアの乾燥地帯から強い偏西風によって運ばれてきた微細な土砂が、ちょうどカーペットのように原地形上を覆って出来たものだ、と。他に氷河運搬説、水中堆積説もありますが、11月の敦煌と3月の大同に行った経験からいえば、まさしく黄塵万丈、風成説が実感できます。
 しかし、黄土という土壌自体が極めて栄養分に富み、水さえ供給すれば “自己肥培”の能力をもつ、というリヒトホーフェン以来の黄土肥沃説は、 果していかがなものか。黄土はもともと多量の石灰分とアルカリ分を含むから、というのですが。
 しかし、最近の中国土壌学は、以下のように考えています。
 もちろん、すべて黄土を母材としているわけですが、大略
(1)塿土:長年月にわたり人為的に施肥され続けてきたことによって形成された土壌で、最も肥沃。
(2)褐土:落葉樹林の腐植土が混じって出来た土壌で、(1)に次いで肥沃度が高い。
(3)黒壚土:森林草原環境のもとで生まれた土壌で、肥沃度は(2)より劣る。
(4)黄綿土:元来の黄土質母材の特徴を示し、有機質含有量が少なく、決して肥沃ではない。
と分類。本来の「黄土」そのものが即 「肥沃」とはいかないようです。
 もともと肥沃なうえ、粉みたいに細かく軟らかい。水分で固まりますが、 すぐ砕けます。だから石器や木器・貝器などプリミティブな道具で十分耕作できる黄土は、新石器時代から豊かな収穫を約束した、というのが従来の定説。しかし「肥沃な黄土」は、前提に森林と草原があってのゆえ。ちなみに施肥が一般化するのは、ずっと遅れて戦国時代になってからです。
(緑の地球84号(2002年3月発行)掲載分)

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