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「本は情報の彫刻」という考えにシビれた話

デザイナーの原研哉が、本は「情報の彫刻」であると言っていた。

「情報というのは、うまく作用すれば有効なものかもしれませんが、散らかっていたらゴミ同然。書籍には、文章や図像や写真を彫刻のように未来永劫留まるものとして紙に定着させてある。」
「特集 完全保存版 グラフィックの天才たち」 p31

ぼくはこの考え方に、とってもシビれた。

そう。情報は、彫刻し、定着できるのである。

なるほど。そうしたら、少し飛躍するかもしれないが、「個人が、自らの脳内に」情報を彫刻し、定着できる。という考え方はどうだろう。ぼくは、そう考えた。もしかすると原さんがどこかでそんなことを書いている可能性はあるけれど。

たとえば、ぼくらは日々、ネット上に散らばった情報をたくさん仕入れている。それを、上手な(情報の)彫刻家さんは、芸術的な、もしくは有用な形で彫刻し、脳内に飾っている。つまり、記憶している。

下手っぴな彫刻家さんは、うまく彫刻できぬまま、いざというときに有効活用できない残念な感じで、脳内に飾っている。

「情報が氾濫している現代」なんてもう言われ尽くして久しいが、そんな現代を生きるぼくらは全員、望んでも望まなくても「情報の彫刻家」なのである。

『考える人』みたいな芸術は作れなくても良いが、ある程度、彫刻刀でりんごを彫るぐらいの造形力は必要なのだ。

と思う。いやあ、「本は情報の彫刻である」か。一流の人は、思考も一流だなあといつも思う。

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