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煙緋の台詞から学ぶ成語

サムネイルの煙緋の画像は、公式Twitterの2022年投稿の誕生日イラストより引用。

 煙緋は博覧強記な法律家ゆえか、台詞の中に成語が結構でてきます。今回はそれらをピックアップし、文脈における意味合いなどを考えていきましょう。あとついでというかおまけとして、「炎食いの刑」「獬豸かいち」の話もします。


後生畏こうせいおそるべし

 『論語』にある孔子の言葉に、「後生畏るべし」というものがあります。「後生」とは字の通り、自分より後に生まれてきた人を指します。「先生」の対義語ですね。それを「畏れるべきだ」というのは、自分より若い人は可能性が無限大で、将来どんな大物になるか分からないのだから、畏敬いけいの念をもって接するべきであり、あなどってはならない、という意味です。

 煙緋はボイス「七七について」の中で、彼女をそう表現しています。

 煙緋の謙虚さがうかがえますね。ちなみにボイステキストでは「恐るべし」であり「畏るべし」ではありませんが、「おそれ多いと感じる」という意味での「おそれる」という場合、現代では「畏れる」という表記を使うことが一般的であり、『論語』の原文でも「後生可畏」であるため、見出しでは「畏」を使用しています(多くの辞書類でも「後生畏るべし」として立項されている)。

修古しゅうこを期せず、常行じょうこうのっとらず

 煙緋の突破ボイスに以下のものがあります。

 「修古を期せず、常行に法らず」というのは、『韓非子かんぴし』に見える言葉です。「修古」は古いしきたりに従うこと、「常行」は昔からの習慣です(原文では「常可じょうか」となっているが、同じ意味)。出典での前後の語句も含めると以下のようになります。

ここもって聖人は修古を期せず、常可に法らず。
世之事よのことを論じ、りてこれが備えをす。
(大意:聖人は古いしきたりに固執したりはしない。過去ではなく今現在のことを論じて、将来への備えとするのだ。)

 この後に有名な「守株しゅしゅ」の話が入ります。農夫が、ウサギがたまたま切り株にぶつかって首を折って死んでしまったのを見て、もう一回同じ事起きないかなと、その切り株をずっと見張ってウサギを得ようとした、という話ですね(日本の童謡「待ちぼうけ」の元ネタでもあります)。反面教師としての例です。

 法律の世界は判例に縛られがちですが、煙緋はそれに固執することなく、「現在」に柔軟に対応していこうという心構えなのでしょうか。あるいは別に法律に関連付ける必要もなく、もっと広い視点で言っているのかもしれません。

 また、『韓非子』の著者である韓非かんぴは、法律を重んじる「法家ほうか」の思想家として知られています。その言葉を煙緋が座右の銘としているのは、繋がりが感じられますね。

民は食を以て天と為す

 「民は食を以て天と為す」ということわざが璃月にはあるようです。これは中国の成語「民以食为天mín yǐ shí wéi tiān」からきており、民にとって食糧が最も大切なものである、という意味です。元をたどると『漢書かんじょ』に見える言葉のようです。

のり有らずして事為せず・心の欲する所に従えどものりえず

 煙緋の「神の目」のストーリーの最後あたりに、次のような文章があります。

HoYoWikiより

 真ん中くらいに「(煙緋は)矩有らずして事為せずを信望としているが、真に望むのは心の欲する所に従えども、矩を踰えずである。」とあります。二つ成語が出てきました。一つ目から見ていきましょう。

 「矩有らずして事為せず」というのは、一定の規準・決まりがなければ、物事をうまくなすことができないということです。

 もう少し深掘りすると、元は『孟子もうし』にある「不以規矩、不能成方員」からきており、直訳すれば「規矩きく(定規やコンパス)がなければ、方(四角形)や員(円のこと)を描くことはできない」、要するにどんなにその人自身に優れた能力があっても、規準となるものがなければ物事をうまく成し得ないということです。

 次の「心の欲する所に従えども、矩を踰えず」は、『論語』にある孔子の言葉ですが、漢文の授業で習うくらいには有名なので、覚えている方も多いかもしれません。「自分の心の欲するままに行動しても、規範かられることがなくなった」という意味です。

 これらを踏まえて先ほどの台詞を見てみると、何となく言わんとすることが見えてくる気がします。法律を絡めて解釈するならば、「法律という規範あってこそ、人は己の行動を見つめ倫理の道を歩むことができる。いつかは、自分の思うままに行動しても法から逸れることがなくなるくらいに、法に通暁つうぎょうした境地でありたい。」くらいの意味になるでしょうか。

 こうして見てみると、全体的に『論語』『孟子』『韓非子』というように、いわゆる諸子百家しょしひゃっかから取っているケースが多いと感じました。煙緋は古代の思想家たちが好きなようです。

おまけ

 冒頭で述べたように、以下はおまけと称して「炎食いの刑」と、煙緋のモチーフの一部であろう「獬豸かいち」の話をします。

炎食いの刑

 煙緋は元素爆発で「炎食いの刑!」という台詞を言いますが、これについて彼女はこう語っています。

 要するに鍾離の「岩食いの刑」のリスペクトです。ではまず、そもそも岩食いの刑とは何なのかという話をします。あれは約束をたがえた時の罰則でしたが、中国語で約束を違えることを「食言shí yán」と言います。岩食いの刑は原文では「食岩shí yán之罚」となっており、「食岩shí yán」は「食言shí yán」と同音です。要するに「食言」にかけたダジャレみたいなものとされています。

 そして炎食いの刑は原文では「食炎shí yán之罚」であり、「食炎shí yán」もまたあれらと同音です。つまり「食言」にかぶせにいった鍾離に更にかぶせにいったわけです。文字をそれぞれ自身にゆかりのある「岩」「炎」にしているだけで、実際は岩を食わせるわけでも炎を食わせるわけでもなく、ただの「約束を破った罰」という意味と見るべきでしょう。煙緋はキャラクターストーリーで、今の職がもし無くなったらラッパーになるかもと語っていますが、もう既にその片鱗を見せています。

 余談ですが、上掲の煙緋の台詞の最後に「璃月は古来より契約を重んじる城だったってことだよ!」とありますが、「城」に違和感を覚えた方もいるかもしれません。日本で城と言うと、シンデレラ城のような建物を思い浮かべる方が多いように思いますが、「城」という言葉は本来「城壁」「(城壁に囲まれた)都市」を指します。前者の意味で一番有名なのは恐らく「万里の長城」ではないでしょうか。「長城」とは、長く連なった城壁です。そして煙緋の台詞では後者の「都市」の意味で使われています。モンド城に「城」がついているのも同じ理屈です。

獬豸かいち

 まず「獬豸」とは何ぞやというと、伝説上の獣の名で、恐らく煙緋のモチーフではないかと言われているものです。挿し絵がある辞書を探してみました。

『辭源』第三版より

 上に書いてあることを要約すると、角が一本あり、争っている人を見かけると、正しくない側の人に寄っていって、(角で)その人に触れる、という性格を持つようです。正しくない方を決めるという習性から、法の執行者としての格を持つようになり、古代には、これを模した冠「獬豸冠かいちかん」を執法官が身に付けたり、清の時代の官吏かんりが服に獬豸を刺繍したりしたとされます。

 なぜこれが煙緋のモチーフだと言われているかというと、上述の性格もそうですが、何より煙緋のテーマの英語タイトルが「Marching of Xiezhi」だからです。

 「Xiezhi」は「獬豸」のピンイン表記(中国語の発音をローマ字で表記したもの)です。このことから、煙緋というキャラクターのモチーフ(少なくともモチーフの一つ)とされており、私もこれに賛同しています。角の数が異なるなど、一致しない部分もありますが(煙緋は2本、獬豸は1本)、運営がキャラクターを設計する際に意識したであろうことは間違いないように思います。

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