見出し画像

俺にとってのNo.11

【はじめに】
サッカーをしていたら誰にでも思い入れのある選手。こだわりの背番号、ポジション、ルーティンがあるのではないだろうか?
そんな今回は自分にとって大切な背番号11について語らせて欲しい。

【初めてのNo.11】
みなさんにとってまず最初に浮かぶ背番号11のサッカー選手は誰でしょ?
僕はもちろん。

そう三浦和良さんである。

僕がサッカーを始めたのが小学3年、まさに三浦和良さんがスーパースター。
当時のサッカー少年は誰もが憧れた背番号であり、みんなが11番をつけたがっていたのである。
そんな中、小学4年生の時。
監督より公式戦で使いたいからユニフォームを買うよう言われる。
そこで購入し、届いた番号はなんと【11】6年生、5年生もいる中で突如渡された番号。家族も(良かったじゃん!かっこいい)なんて声をかけてくれ、僕もまさかの状況に浮かれて喜んだ!この後に辛い出来事があるとも知らずに。

【歓喜から苦悩】
当然、すぐに周囲には僕が11番を受け取ったことは知られ、その後はリレーで負ければ【11番なのに遅】練習でミスすれば【11番下手じゃん】今言われたらうるせ〜よって一蹴できましたが、当時の僕はそういった小言の積み重ねにとにかく傷がついた…
そんな時、全国大会の東京予選が行われた。
4年の俺は当然控え。先輩から11番が補欠かよ。途中から出るだろ?エース頼むよ。
など言われる。そんな中試合は始まり試合は4-3だったかな?負けていた状況かつ拮抗した試合展開。監督から名前が呼ばれる。
試合前日、母が頑張って欲しいと新しいスパイクとスネ当てとソックスバンドを買ってくれた。準備は万全だった。しかし、様々なプレッシャーから耐えられず【スネ当てを忘れた】と言い張り出場を拒んだ。
母親があるよ!と言いながらカバンを開けようとするのを泣きながら全力で止め【入ってない】とゴネ続ける。
結局、その試合は負け。
出場もしない。初めての公式戦。試合にもでず、11番を着ることも無く俺はチームを辞めてサッカーなんか2度とやらない。
そう固く誓った。

【運命のイタズラ】
中学生になり、部活を選ぶ時期。
めんどくさいから帰宅部を熱望。
がしかし、1個上のスーパースター。サッカー部のエースであり、僕が小学校の時に入っていたチームのNo.10。そんな先輩から(三輪ちゃんサッカー部入るでしょ?)そんな俺に委ねられた返事はYES orはいの2択だ。当然俺は【ドゥへへ入ります】…。
お気づきだろうか?彼は部活のエースでもあり、スーパーヤンキーであった。
長いものには巻かれる!そうやって自分を守って生きてきた🫡

【悪夢再び】
もちろん一年生の時はパシリをやっていた訳で!ただ、3年生が引退し、新人戦前に俺に渡された背番号はなんと11…辞めてよー😭
素直にそう思った…。もちろん1年でレギュラー番号をつけているのは俺だけ…再びひかえに甘んじる先輩にいびられる日々が待っていた。

【一筋の光】
がしかし、小学生の頃と違い、俺はこの時、まあまあサッカーが上手くなっていた!
プレーに絶対的な自信がつき初めた俺は、練習、練習試合、もちろん公式戦で点を取りまくり、1個上の代でもFWの核となる。周りがなんと言おうがザコは黙れ!
そのくらい自分を強く保てるようになり始めていた。
まあ結果を出してる以上、もはや僕をからかう人間なんていなくなっていた。
そんな活躍を続けていると地元のブロック選抜に選出される。
そこでも11番を渡された。
その時、俺は【きっとサッカーを続ける限り11番に縁があるんだろうな】そんな風に思い、愛おしい背番号となる。
そんな中、自分が3年生になるとキャプテンに任命される。
うちの中学ではDF以外、キャプテンはNo.10を着る。みたいな伝統があったが俺はそれをシカトし11番をつけて戦った。

【11番と共に歩んだサッカー】
そんなこんなありながら高校じゃ泣かず飛ばず。それでも社会人になってからレベルはともかくサッカー、フットサルを続けた。

ご存知フットサル時代
いつかの都民大会
いつかの都民大会②
墨東五区優勝

わりと重要な試合では続けて11番をつけて戦った。

【最後に】
背番号11は俺にとって憧れの番号では無く、サッカーを通じて俺を人としても成長する機会。辛い経験。苦しい思い。喜びを教えてくれた大切な背番号。きっとこれからも可能な限り俺は11番を選びプレーをするよ。
だって男の子だからさ。

そう

今ならに自信を持って言える、背番号11は憧れた番号でもなく、俺が俺らしく誇りを持って戦える背番号。
そう…俺こそが

No.11

これからもずっと。   ↓↓


余裕で11番以外も着てるけどね〜笑笑


おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?