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書道について

最近、自分勝手な習字をしているので、素人として書道について雑然と思っていることを書いてみます。
様式の自動運動あるいは純粋芸術としての書道
 中国の書道の歴史を見てみると、甲骨文字から金文・篆書・隷書・楷書と発展してきて、その楷書を「真・行・草」とデフォルメするという流れのなかで、(必ずしも歴史的には楷書より前に、隷書を崩した草書が前漢の頃成立したらしいが、それはともかく)六朝時代に篆書・隷書・楷書・行書・草書の5書体が成立し、以降それぞれの書体が用途・文脈に応じて使い分けられていくことになる。
 流行する書体の変遷を見ていくと、王羲之の楷書が絶対的権威・クラシックとして確立し、それに対する反発から、崩し、大胆な強調、華美な装飾化から優美繊細に移行し、再び力強い古典(例えば蘇軾)が復古する流れを見ることができそうで、これはまさに「クラシック→マニエリズム→バロック→ロココ→クラシック」という美術史上の「芸術様式の自動運動」が、書道においても成立していることがわかるはずだ。(本来なら、書体変遷歴史の検証が必要だろうが、あくまで素人の暴論として聞き流してください。しかし唐代の書の歴史をちょっとみただけでも、王義之に反発した韓愈からはじまる運動は、たんなる書の様式にとどまらない、詩や文章全体の様式、さらには政治全体をも巻き込む文化芸術運動の反映であった。宋においてもしかり。文・書・絵画は一体となった総合芸術であり、そこには現代にも通じるような緻密な様式の分類と痛烈な批評があった。)
 通常、芸術様式の変遷モデルは、絵画や建築においては、材料・テーマ・写実/建築技術の変化・進化という外的条件によって、19世紀で、近代モダニズムによる歴史主義の乗り越えとして断絶してしまう。
 しかし、紙と筆と墨そして文字のみで成立する書道においては、純粋芸術として、様式の自動運動が永遠に輪廻していく、まさにユートピアだといえるのではないだろうか。しかし同時にそれを永遠に輪廻せざるを得ない地獄とみるひとたちもいるだろう。
現代書道批判
 現代書道はその地獄からの脱出を図って、ついに文字の可読性を放棄して、筆と墨のパフォーマンス芸術に「昇華」(私から言わせれば堕落)しようとしているとも言える。なぜ読めない字を書くのか。「文字」とその可読性こそ書道の最後・唯一・絶対の存立基盤でなければならない。
 
漢字という文字の持つ3000年の意味・歴史・呪術性を、現在の我々がそれなりに理解できるという奇跡に対する感謝なくしてなにが書道か。白川静を読んでください。(とはいえ、あまりに流麗な草書体を教養がないので読めないだけだろう、という批判は甘受します。)
 ちょっとおおげさになりすぎたけど、マーケティングな観点からいっても、書道を現代芸術に拡張して逆にそのジャンルのアイデンティティに悩むくらいなら、5・7・5を守る俳句や、扇子・手拭い・ひとり語りの落語のように、独自の制約やルールをもうけてジャンルを保持するほうが、賢いし、市場的に生き残れるのではないだろうか。最初から古いものは古臭くならない、それが古典の芸術・芸能の妙味なのだ。
 かつて上野で、中国・日本の全書道史を総覧する展覧会と現代書道展とが同じ会場で行われたのを見たが、現代書道家の人たちは恥ずかしくなかったのかなと思った。崩しまくって素人には読めない模様のような書を、みな揃いも揃って、黒ペンキのような墨でのたくっている。ところがちょっと歩くと、一休禅師のあの圧倒的な「諸悪莫作、衆善奉行」や、光明皇后の異常に丹念な「楽毅論臨書」が展示されているのだ。筆の動きを追うと、その人の腕の動き息づかい緊張が感じられて、まるでバーチャルで一休や光明皇后がその場で蘇ってくるようである。
書という奇跡
 一休禅師や光明皇后、聖徳太子から空海まで、歴史上の人物が、何百年も前のある一瞬の時間において、紙に向き合って息を凝らして集中した、舞踊のような身体運動の貴重な痕跡が、消えず残されて、現在の私たちが見ることができるという奇跡!これこそが書道なのだ。
 みもふたもないことを言ってしまうと、西郷隆盛や勝海舟のように能筆・多作でなくとも、やっぱり偉い人の書が尊くて素晴らしい。それは、うんとレベルが下がってスターの直筆のサインをありがたがる心情にも通じるけど。
書家・書道家とはなにか
 それでは専門の書家とか書道家とはいったいどういう存在か。
 まずは、書道を教える教師であろう。生け花や茶道のように、師匠・生徒の教育システムをつうじて書道芸術を継承していく役割は重要だ。今の偉い人たちも、しっかりと書道を学んで、良い書を後世に残してほしい。将棋の藤井八冠も揮毫することが多いので、いま習っているらしい。生け花や茶道のように、ピラミッド状の集金システムを持つ「流派」が書道にもあるかどうかは知らないが。
 さらに、字体を発明するロゴタイプデザイナーでもあるだろう。清酒の「日本盛」「真澄」、そして「新宿中村屋」のロゴタイプは偉大な書道家・洋画家・歴史家の中村不折による。(叙々苑のロゴは、インテリアデザインを担当した太田光の父親の作品であり、彼がずっと続けて残した書もなかなか素晴らしい、テレビでちらっとみただけだが。)かつては映画のタイトルや「男は黙ってサッポロビール」で使われた筆による書が印象的だった。

私の好きな書家

黄庭堅(1045-1105):北宋の書家・詩人:ほんとうはこういう字が書きたい。スピード感があり流麗でハンサムでスマート。
会津八一:黄庭堅に似ているが、少し品格が薄いような気がする。
中村不折(1866-1943):近代洋画のみならず近代書道の偉人。漱石の猫の初版の挿絵も担当。書道の研究に没頭し、長年にわたり収集した書道資料の保存展示のため書道博物館を創設する。顔真卿の唯一の真筆も収集。書道史を極めたひとがこんなに愛らしい書を残していることに感動する。


中村不折:こういう字が書ければ僕は満足です。
中村不折:「東京新宿中村屋」のロゴデザイン。こういう仕事での収入をすべて書道資料の収集に費やした。
北大路魯山人:書家としてスタートし、料理・絵画・陶芸・建築すべてをカバーするルネサンス的な総合芸術家だと私は思う。良寛の枯れた書を熱愛した。
魯山人:晩年は傲岸不遜で批判され字も大胆不敵になったが、これは素直で美しい。
魯山人:まだ「大観」と号していた若いころの扁額。掘跡の躍動感もすばらしい。

おまけ
 ほんとにこのブログは、未熟なさまを晒して恥ずかしいけど、まあほとんど誰も見ていないから、手元控えのメモ・スケッチ帖でいいのだと言い聞かせて、凄い書の後で自分の下手な字をのせる。

下手であってもスタイルがとにかく統一していればいいのだろうか。「下手」とはなにか。「味」とはなにか。標準的な美からの逸脱でありながら、なにか迫るものがあるとすればそれはなんなのか。アンリ・ルソーの絵は下手と一般から嘲笑されたが、ピカソやアポリネールらによって、革命的であると認められた。「ヘタウマ」について考えてみること。
篆書は右から左へ書くものらしい。白川静の字源によれば:「書」は聿(いつ)と者の組み合わせ。聿は筆のこと。者は祝詞が入っているものの上に都の枝を重ね土をかけたものを意味し、「書」はそこにおさめられた神聖な文字のことをさすようになった。「道」は首を持って歩くことで、異族のところをその首の呪力で邪霊を祓い清めて進んだことから、祓い清められたところを「道」という。篆書の文字はこのように漢字の起源がより明確にわかるのが素晴らしい。


 


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