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「カオスカオス、レンズ越しなり春の雨」ヒコロヒー論と俳句バラエティーについて

奇跡の伏線回収しまくり番組(ヒコロヒー、せいや、国崎)
 何気なく日曜の昼(5月1日14:00)日本テレビの「前人未笑」をみて、とんでもない奇跡の番組の誕生に立ち会ったという感動を覚えました。
 宝塚入試を失敗している女の子、鑑定団で家宝の小林一茶の掛け軸を贋作とされてしまったオペラ歌手、140年続いた文具店を閉める店主、それぞれに落ち込んでいるひとを、せいや、ヒコロヒー、国崎がなんとか笑わせようとするバラエティですが、その一般人のゲストが、なかなかに味のあるポテンシャル・キャラクターなのでした。
   (以下ネタバレしまくりです。)
 せいやが相手をした最初の引っ込み思案の女の子は、彼女の祖母が、じつは鉄腕アトムの声優を40年されていたとてもキュートな方で、ビデオで彼女を励ます。ヒコロヒーの相手の掛け軸の人(嶋田さん)は、祖父が有名な俳人で、しかも本人はカンツォーネを歌いだしたりする。
ヒコロヒーの心地よさ
 わがヒコロヒーの、そういうおじさんへのさりげない距離の詰め方は、なんどみてもうまい。さすがに赤坂のスナック10年の経験はだてではない。いまのテレビ業界で、ヒコロヒーのような顔立ちと立ち位置、キャラクターは、ありそうでいて実は珍しいのではないか。いわゆるいまふうの美人ではないかもしれないが、有吉さんがずばり「松竹の山口百恵」と評したように、なんか久しぶりに見る懐かしい顔なのである、目元は鋭くもありながらあくまでも涼しく、さっぱりとした薄化粧で、ちょっと鼻にかかった低い声はとても聴きやすい。ライバルとされるファーストサマーウイカはお化粧と声と性格がくどいし、3時のヒロイン福田・Aマッソ加納・ラランドサーヤの3人組はどれもまだ自分から笑いを取ろうとする。その点ヒコロヒーはあくまでも受け身で、しかもそのさばきが実に心地よいのです。
 さてヒコロヒーと嶋田さんは、近所にある小林一茶ゆかりの寺(炎天寺)を訪れて、ほんものの一茶の掛け軸と対面する。やはり贋作であったとが落胆する嶋田さんに、ヒコロヒーは即興の俳句を捧げてなんとか場を取り繕い、嶋田さんとその寺の住職さんにも俳句を詠んでもらうという流れになって、住職の一句が
  「カオスカオス、レンズ越しなり春の雨」
 なぜか「偶然にも」その日が住職さんの誕生日ということで、嶋田さんが、お寺には全く場違いなオペラふうバースデーソングを熱唱して、ヒコロヒーと住職は涙を流して笑い転げる。現場の偶然を活かしてドラマのシーンを即興的に作ってみせるのがドキュメンタリーの真骨頂であり、この番組のスタッフはやはり腕がある。
(ぼくはこのカオスの句は素晴らしいと思う。「やせ蛙負けるな一茶是にあり」が生まれたという炎天寺を預かっている住職であるからには、当然俳句の心得があるのではないでしょうか。と書いて調べたら、失礼いたしました。住職の吉野秀彦さんは一茶祭りなどの俳句コンクールを主催されるなど、しっかりと俳句に関わっておられました。)
 実はかつて武道館でのイベントを主催したこともあるこの住職の方といい、ヒコロヒーが「カンツォーネ嶋田」というモンスターを誕生させてしまったというほどの嶋田さんといい、さらに先ほどの鉄腕アトムの声優の方といい、これだけ濃い人材を発掘するその「引き」の強さというか事前調査の凄さを感じました。みなさんまたテレビでお目にかかりたいです。
国崎の男気
 さて最後は、閉店する文房具屋さんにランジャタイ国崎が向かって、最初は例によって周囲にツッコミを要求する疲れる不思議ボケを提出するが、すぐに撤回して、お店の53万円端渓の硯を自腹で購入するという男気を出して盛り上げ、フィナーレには、思い出の写真を屋外の雨の中、テントの壁面に映しながら、店主さんとそのお母さまの感動的なシーンを演出する。
感動の大円団と奇跡の伏線回収
 そしてなんと!最後にテントの後ろからバックコーラスが出てきて、かれらがじつは宝塚受験生の女の子とテノール歌手の嶋田さんなのでありました!このなんという伏線回収!
 まずこんな面白いバックグラウンドを持つ人たちを探してきて、それぞれ十分に各エピソードを成立させつつ、最後にまさかの全員集合という大団円! こんな構成をいったいどうすれば演出できたのでしょうか!しかも、雨のそぼ降る中で、国崎と宝塚受験生が踊り、嶋田さんがカンツォーネを絶唱するという文字通り「雨の中のカオス」のエンディングに、住職の一句:
  「カオスカオス、レンズ越しなり春の雨」
 この情景をそのまま「予言」したかのような句が再び降臨して、これ以上ないタイミングでまさにぴたりと着地を決めてみせたのでした。日常のささやかなドラマの瞬間を切り取って描写して固定してみせるという、俳句のアクチュアリティ芸術としての輝きを見せつつ、番組全体として、この俳句の誕生に立ち会えたという一回性のドキュメンタリーでもあったのです。
 何度でも言おう。これほど見事な構成が近年あったでしょうか。漫才やコントで使われて手垢がついた伏線回収という言葉も本当は使いたくないけど、この何重にもまたがったエピソード群の回収に、ひとはとてつもないカタルシスを覚えるのではないでしょうか。
俳句バラエティの提案
 何よりも、実は最後に俳句で締めるというスタイルは、「奥の細道」以来、日本人のDNAの琴線にふれる何かがあるに違いない。なんか途中ぐだぐだしていても、「そこで一句」とやると、オチがきまったというか、ぴたりと納まったような気がするのではないでしょうか。(若林さんのラベリングはどうでしょうか。)
 プレバトでの俳句ブームもあり、じつはSNSというメディアが、俳句や短歌の運動にきわめて親和性の高い有効なツールであることが、明らかになってきています。明治以降何度目かの大衆を巻き込んだ俳句ブームが起ころうとしているいまこそ、俳句を作りながらの旅番組とか「まちあるき」の企画はいかがでしょうか。(むしろ、俳句は旅の紀行で作られたように、実は俳句こそ旅番組にふさわしい。)最後に上手な俳句で締める「俳句探偵」シリーズがあってもいいし、芭蕉が幕府の密偵だったとすれば「俳句スパイ」シリーズもいいですね。そういえば、かつてバナナマンの番組で、真鍋かおりと大島麻衣が商店街を巡りながら色っぽい川柳を連発するという楽しい番組がありましたが、そういうのも再現してもらいたいです。
最後にやっぱりヒコロヒー
 この番組はたぶん、昨年末のせいやとヒコロヒーの「清純異性交遊」の第2弾で同じスタッフではないかと想像しますが(違っていたらすみません)、ネタの盛り込みすぎでやや消化不足のように見えた前回にくらべて、はるかにダイナミックな構成で、しかも偶然やハプニングをその場でどんどん生かしてつなげて例の伏線回収までもっていく力業は、若々しさに溢れながら底知れない可能性を感じます。
 この番組といい、ちょっと前に放送されたテレビ朝日の、藤井風さん・シソンヌとの最高にオシャレな音楽+コント番組といい、ヒコロヒーのまわりには、すばらしくクリエイティブなひとたちが集まっているような気がします。そんな彼らに求められているヒコロヒーのファンでいられることが、ぼくの最高の幸せであり、そして何より、そんなヒコロヒーを最初から応援してエッセイまで出版してくれたこの「note.com」にも感謝です。(なぜかヨイショ)
 締めの一句:
「ひな壇にひとり涼しきヒコロヒー」


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