急速にツイフェミ化してゆく反AI

つい先日、プリキュアの公式が生成AIで出力した画像を使ったんだ~ってな
疑惑で話が持ち切りでしたね。
まぁ私もあれは使ってんだろなーとは思いますが、
そんなことはどうでもいい。

最近言われていることは反AIがツイフェミ化してきている、ということです。
でも一言ツイフェミ化しといってもあんまり意味が通じませんよね。
それの言語化をしてみましょう。

1.お前何様なんだよ

裸を売りたくないAさん。裸を売っても構わないから売ってるBさん。裸を買うCさん。

ツイフェミがよくやるやつ

自分の裸を売る売らないの権利は自分にこそあるのですが、
なぜかツイフェミさんは他人の自由に口出しをしてきます。

反AIもこんな感じになってきた

反AIもこうなってきましたね。
自分が生成AI使わないのも、自分の作品が学習させないぞと息巻くのもまぁ自由です。
しかし、使って構わないよと言ってる人を辞めさせる権利なんてもんはありません。
漫画家、奥浩哉さんは「AI学習は気にしないけどエロ絵描かれるほうがよっぽど嫌だ。」というポストをしたところ、反AIから猛烈に叩かれてました。
今回のプリキュアもそうですね。版権元がプリキュアの絵学習することに誰が盾突けるというのか。
「こんなAI作品を買うくらいなら自分で作品作るほうが良くない!?」と言いだす反AIまで登場。
自分で楽しむ分にはいいけどさ、公開とかしたらそれもうただの海賊版だからな!?
とにかくなんで権利者に口出しできる立場だと思ってんのか。ということなんですよ。ツイフェミ化。
「許可出してるものなら良いと言っている」「クリーンなものなら良いと言っている」
「我々は頭ごなしにAIを否定しているのではなく、悪いものを悪いと言っているだけ」というような論を述べることがあります。
これには ※ただし許可を出すことは許さない の注釈がつきます。
権利者が許容してることに何で赤の他人であるお前の許しが必要なん?

2.賛否があるもの

これもよくありますね。
賛否があるようなものは使うべきではないとかなんとか。
これがありならなんでもありですよ。
9割賛成してても1割が否定してたら「賛否があるものなので使うな」
この言葉を使っていいのはものを決める立場の人であって、
否定してる側の人間が使うのってちゃんちゃら可笑しいです。
「私は否定する!私が否定してるから賛否あるものだ!
賛否あるものは使うな!」って常任理事国にでもなったつもりかよ。

この辺でわかるのは、彼らは物事の決定権は
自分たちにこそあるべきだと考えていることですね。
しかしなぜそんなに強い"力"があると思い込んでいるのでしょうか。

3.集団被害者ヒステリー
権利者が許可していることになぜ反AIは攻撃するのでしょうか。
言うには、「このように許可を出されることで、生成AIを増長させる」だったり
「他の作家が流れ弾的に被害を受ける」だったり、
こういった内容で「(当然に他の作家に含まれる)私は他人事ではなく、被害者としての権利があるから申している」という論を展開してきます。
当事者じゃないんですけどね。
この辺もツイフェミと同じですね。
脱ぐ脱がないは女の自由という話と、他の女が被害を受けるから脱ぐ女を許すなという話を平行して語りますね。
共通しているのはものすごい被害者意識の強さです。
本人は被害受けてないんですが、なんか他人の被害の話を聞いて自分も被害を受けた気になっちゃうんですね。
当事者じゃないのに当事者のような気になっちゃう。感性豊かなのは良いですが、自分と他人の区別が理解できないのは困りものです。
「被害者が出てるんだぞ!」という物言いをする割に、貴方が受けた被害は何ですかと問えば「私は受けてない」と返す。
被害者が出るんだと言うなら、その被害者さんを屏風から出しましょう。

こういうのにはデモサイバンニハヒヨウトテマガカカッテ…とやらない言い訳をしだすんですが、
そういえば憎い憎い生成AI利用者は度重なる誹謗中傷に耐えかねて訴えを起こしたそうですね。
やればできる。本当に被害を受けてるんだとしたらね。
彼らもね、自分が被害受けたわけじゃないから訴えようがないことはわかってるのです。
てか処罰感情も判決には加わりますから、手間かかるけど処罰してやりたいっていう気持ちが強いなら訴えるべきだし、訴えないならまぁその程度の感情なんだねって思われるだけですよ。
費用がかからないからやらないのではなく、そもそも被害受けてないから訴えようがないだけなのです。

その後に訴える主張は「被害を未然に防ぎたい」というものです。
やっぱ被害受けてねーんじゃねーか!

4.自分でも何言ってんのかわかんなくなってんだと思う

彼らに共通する主張は「被害を未然に防ぎたい」です。
被害を未然に防ぐというのはまぁ確かに綺麗な言葉だし社会全体としての理想でもありますが、あまりに現実的ではないですね。
ちょっと考えればこの考え方のとんでもなさがわかりますね。
どんだけ強面で人殺したことありそうな風貌の男でも、実際に殺してなきゃ罪に問えません。当たり前ですね。
「この人は犯罪しそうだから捕まえて!」なんてことは通ったらダメなわけですよ。
実際んとここんなんが通ったら人権侵害も良い所です。これを特定の属性を理由に行えば差別にもなります。
突然人に殴りかかるのは良くないことですね。
「殴りかかられたため、反対に殴り返した」だったら正当防衛になりますが、
「被害を受けるかもしれないと思ったから突然殴った」だったら誤想防衛としてただの暴力になりますね。
被害という言葉のパワーはとても強いものですが、大いなる力には大いなる責任が伴います。
"被害"の力に酔いしれて「被害を未然に防ぐ為にも先制で殴ることを認めるべき」ということを言い出せば、それただの暴力の肯定でしかないですね。
つまり、未然に防ぐということは、「他人の自由を侵害する自由が自分には認められるべきだ」というものです。
彼らに言わせれば「私は間違ってないし相手を侵害する目的ではやってるわけじゃない」になるのですが、
彼らに、彼ら自身が何かしら間違いを犯しうるという客観的視点はないのです。
自己評価が高すぎる。

5.責任転嫁

「私は攻撃したいと思ってるわけではない。ただ相手が攻撃させるようなことを言ってきたんだ。」
この理屈、ここ数年で沢山見てきました。反AIも当然にこの理屈に染まり出しました。
要約すると、私は悪くない。私の行いの原因は相手にあるのだから、
相手が私の言うことを飲めば加害もしない。
私の言うことを飲まない相手が悪い。ということになります。
しかしこれではまだ弱いですね。ただの言い逃れに聞こえます。
パンチの効いた被害者意識を隠し味として加えて焼けば出来上がり。

「私は加害させられた」

うーん完璧なテイストに仕上がりました。
私は被害者ですそうさせた相手が悪いんですという主張を
短い一文に綺麗にまとめていると思います。

6.自分は絶対的な被害者であるという妄想

彼らには絶対的な被害者は私であるという強い自負があります。
ことあるごとに、どこか自分が被害者の立場になれる場所はないかと探しています。
あらゆる物事に被害者の気になって口を出します。
結果、自分の行いは全て認められ、他人の行いは責められるという認識に陥ります。
他人の権利に許可出すのは自分だと認識してるのもそう。被害を受けてると錯覚してるから。
自分が行動を起こさないのもそう。行動を起こせなくなるよう弾圧を受けてると錯覚してるから。
同調しない人に誹謗中傷を浴びせるのもそう。被害を受けると錯覚してるから。
相手から否定されたり、拒否されたらムッとする気持ちから、私はハラスメント=被害を受けたとなっちゃうんですね。
今まで並べてきたもの全部こんな感じですが、
著作物の権利関係もこんな感じです。
「私の著作物が利用されても訴えないのは、コストの都合で"訴えたくても出来ない"から。」
しかし「他者の著作物を私が利用しても訴えられないのは、著作者も喜んでて"訴える気がない"から。」
すごいもんですよ。その自信は一体全体どっからくるのやら。
どうも、他者も「訴える手間に見合わないから訴えないだけでは?」と考えることができないようなんですね。

「私の表現は私が不快に思わないんだから問題ないし訴えられもしない」
「あの表現は私は不快に思うから問題があって訴えられるべき」
平然とダブルスタンダードを述べてきます。世の中の認識が自分の主観と感情に一任されてしまっているので、
ダブルスタンダードであることにも彼らは気づきません。
これは手描きに"愛"が宿るとする考えも同様です。
彼らは、自分には愛があるから問題があろうはずがないと考えています。
もし愛がないと捉えられる可能性は考えていません。
そんなのは、愛がないと捉える相手のほうがおかしい!のですから。

他人と自分が異なるもので、異なる感覚をして、好みや快不快も異なるという認識が彼らにはありません。
自分の主観は絶対的に正しいのだから、私が人を従わせようとするのも正しい。正しいのだから加害になるわけがない。
自分の主観に反するものは絶対的に間違っているのであり、正しい私に従わないのは不当なことで、私は不当に扱われている。
このようにして、「何も悪いことしてないのに色んな人から被害を受けている可哀想な私」が生まれます。

これを読んだ人は、「いつも私ばっかり損をしてて」「私ばっかり被害を受けてて」みたいなことを言ってる人とは距離をとることをオススメします。
そういう人は自分の加害に気づいてないだけのナチュラルモンスターなので。

おしまい

"ツイフェミ化"とは、
「権利者でもないのに、他人の自由に自分の許しが必要と考えだすこと」
ですね。

他の物事についても、
1.口出ししてるやつ、赤の他人じゃないか?
2.当事者じゃないのに「許せない」なんて言葉を使ってないか?
3.赤の他人の癖になぜか被害者意識で喋ってないか?
4.被害を未然に防ごうとしてないか?
あたりを気にしながら見てみると、
あぁ~こりゃツイフェミ化しだしてるなぁ~って判断する材料にできると思います。




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