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(染色7)羨ましいですって言われてビックリした私の女子美時代〜柚木先生のこと〜


あなたの学生時代の方がきっと素晴らしいだろうと思っていた人から、私の学生時代が羨ましいですとメッセージをいただき長文で返信するぐらいならと、noteでお返事兼ねて書いてみる

女子美って面白い学校でした


着物に漠然とした憧れを持っていたので、いわゆる有名美大の染織を学べる学部、学科を受験して一浪後に女子美に入学

染織なら女子美はイイよと聞いていたものの、女性だけの環境に馴染めるのか不安しかなかったけれど、合格できた唯一の大学で有難く入学

高円寺に通っていた時代で校舎は狭く、人間関係も密で狭く、アットホーム過ぎて戸惑った
通っていた地方の高校の方が、よっぽど広いし放任だったので、コレが大学なの??って
しかもその年の30人のクラスは現役合格生が多く馴染めないかもとやっぱり不安に

後から分かる、もったいない学生時代
もっと本気で勉強すれば良いのに、なんだかんだと言い訳して授業も休みがちで単位のために作品だけは遅れながら提出

ああー もったいない

だけど、先生も学生も、みんな優しくて
工房では協力して作業する必要があるから、なおさら、自分のことだけっていう雰囲気でもなく学生同士は何となく同級生の作品や私生活を見守っていたり意識したり

ってな感じの普通の学生時代
実は、羨ましいの理由は書き出してから理解した私の女子美時代に柚木沙弥郎先生と少ないながら接点があり、そこだった様子
なるほど

柚木沙弥郎先生のこと

柚木先生は、当時女子美の学長に就任されていたので、本当に時々工房にいらっしゃったらしい
私は休みがちというか、制作って何をするか決まるまで工房に居ないことも多く、実際にお目にかかったのは一度だけ

クラス全体での作品の講評時そっと後方で見守ってくださり、最後に柚木先生は話し出した
確か、自由に作りなさい的な話だったと思うのだが、覚えていない…
緊張して聞いた記憶はあるけれど、ぽーっとしていた

でも、鮮明な記憶があって…緊張する私たちを和ませるためだったのか?先生は突然踊り出した!
天才といわれる方は、浮世離れされているとよく聞くものの、場の空気を切り裂いた

ビックリが先で、何の踊りだったのか定かではないが、鶴の舞だったような…先生は飛んでいた

 みんな、みんな 羽ばたけ 
そんな感じだったような覚えがある

その後、私は工芸とは違う分野の天才に恋をした
柚木先生は雲の上の人だったけれど、恋をした彼も神様と言われていて、何だか似ていたというか私にとっては両者とも不思議な存在だった

神様といわれた彼は、ただただ普通の男として苦しんでいた時期があり、私は近くで見守ったことで自滅した苦い経験があるが
柚木先生にも、実は苦い思い出がある

女子美卒業後に国展に応募したことがあり落選したのだが、悪いところはなんでしょうって聞きに行かねばと出向いたら、柚木先生がいらっしゃった
私の布をどう講評するのか迷った方々が、柚木先生を講評の場に引き入れたら、先生は口には出さないものの
 汚ないものは見たくない
そんな感じで、講評どころではなくなった

当時、神様といわれた(って宗教要素はない)彼との出来事でメンタルが落ちていたこともあり、柚木先生にトドメを刺された
 見てももらえない…
とはいえ、自分で作品がボケていることは理解していた

それからしばらく染めはお休み
経済的な自立のためというより、メンタル安定を求めて建築現場に完全復帰
私は労働をすることでメンタルを維持できるらしい
作家さんって精神性として生きていくためにモノ作りをする人だと思うが、この頃の私にとっては、染めることは悲しいことと結びついているようで生みの苦しみではない苦しさだった

あれから、少しだけ染めたりはするものの、ずっと柚木先生から逃げていて、ここ15年ぐらい本当に染めも休んでいたのに、やっぱり染めたいって思う不思議な感情

100歳を超えて今なお作り続ける柚木先生は、今も昔も雲の上の方だけど、私は地べたでしぶとく染めていこう
ようやく自分のペースで染めを楽しめる時が来たみたい

こんな話でも、羨ましいって思ってるもらえるのだろうか…という心配はあるものの吐き出してみた





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