同人活動を履歴書に書けたらいいな

題名のとおりである。
書けたらいいな〜



※自分は二次創作をしたり、BLを読んだり描いたりしてきたオタクです。

※この記事にはなんの結論もアドバイスも出てきません。






あさりちゃんで覚えた言葉はたくさんある。ピザまんとか組長とか。
月刊誌の小学4年生、5年生、6年生を同時に買って、今月は◯年生が1番面白いなーなんて思っていた。てんとう虫コミックスを中心に、月に10冊以上買ってもらい、じゆう帳に描く絵はやぶうち優みたいな漫画っぽい顔に変わっていった。(少女少年がお気に入りの漫画だった)
ポケモンの漫画を読んだとき、イエロー(男装した女の子)と主人公のレッドの関係に ときめきともいえる不思議な気持ちを抱いたものだった。

すでに素質が見える。



自分のことを「本好き」かつ「漫画好き」だと認識したのは小学生3年生ごろ。
「ゲーム好き」だと認識したのは小学6年生のころ。
絵を描くのはずっと好きで得意だった。


その数年は、ちょうど世間が「オタク」に目を向け出した頃だったとおもう。良い意味でも悪い意味でも「オタク」という言葉にみんな(小学生)が反応するようになり、ゲーム好き、漫画好き、絵を描く、オリジナルの小説を書く、そんな私たちは「オタク」なのかそれとも「◯◯好き」なのか? そういう議論を友達と交わしながらランドセル背負って通学路を歩いたのを覚えている。あんたら立派なオタクだよ。って今は思うが、その頃のオタクっていう言葉は結構重い響きがあって、認めたくなかった。


事件が起こったのは小学校高学年のころ。



当時、アニメが始まったのもあって、シャーマンキングが大好きだった。
何巻でもいいからシャーマンキングの漫画を買ってきて と父親にたのんだら

「どれがいいか分からんかったわ。これでよかった?」

父親が渡してきた本は、知っている絵柄とちょっと違った。
あと普通の単行本よりサイズが大きかった。


父親、なんと同人アンソロジーを買ってきていたのである。


世界がなんか…もう…すごかった…

知ってるキャラクター同士がなんか恋人同士みたいになってイチャイチャしていた。
今ほどLGBTQ++に関する知識がなかったこともあり、男同士なのも不可解だった。このキャラって女だったっけ?そんな描写あったか?(もちろんない) と小学生私は大混乱。
幼い脳では処理しきれず、とんでもないものを見てしまった驚きとドキドキで、その同人アンソロジーを「絶対にバレない場所」にしまいこんで大事にとっておいた。

めっちゃくちゃエッチだった。そんなエッチな漫画を、親が知らずに買ってきた。
しかも、面白いとおもってしまった。
私、めちゃくちゃ後ろめたい。
でももっと読みたい。




こうなったらもう自分は「◯◯好き」とかじゃなくて普通に立派な「オタク」だとおもった。
しかもBLを読むオタクだ。ていうかもはや書こうとすらしてる。やばすぎる、絶対隠さんと。


自然(?)な流れでBLオタクになった。



今でこそオタク=一般的な属性かつ一種のステータスみたいな扱いでサラッと言えるのかもしれないが、昔ってそうじゃなかったし、
BLを初めて読んだときに「親」の要素が絡んでしまったことが余計に後ろめたさを感じる要因になった。ちなみに母親はオタクに理解はなかった。





だから、「自分ってオタクだな」と思いながら、


・どういう服装と振る舞いをしたらオタクっぽくないか
・『もしかしてオタク?』と勘付かれないレベルの知識ってどれくらいなのか

みたいなのを見極めるのに必死になった。

中学生、高校生、大学と
この隠れオタクマインドは育ち続けた。
好きなものを好きと公言できない状態がずっと続いた。
こういう人めっちゃいたと思う。


好きなことを好きだと公言できない状態がつづくとどうなるか、というと

「あなたが1番熱を入れているものはなんですか」と聞かれるたびに若干嘘を言うはめになるので建前は超うまくなる。
その反面、自分の好きなもの=言っちゃいけないもの という認識が歪んだ形でどんどん定着していくため
自分の「好きなもの」や「好きな人」、「今までやってきたこと」の話をしようとしたときに変な汗がでるようになる。
自己開示が下手になる。

(就活の面接の自己紹介で自分の「経歴」を説明するとき、途端にうまく喋れなくなることがあった。見ながら喋っててもどもる。自分の意見なんかはめちゃくちゃ言えていたので、おそらく「過去の自分のプレゼン」が出来ないってことなのかなと思う。今でもたまに起こる。)


思春期の抑圧ってマジでだいぶ尾を引くなあと感じました。



インターネットがなかったらどうなっていたか…。


ネットを通じて出来た友人、知り合いやフォロワーからは
受け入れられてるなーと感じることが多く、隠れオタクである自分にとっては大きな存在で、だいぶ助かった。
好きなものや、自分が生み出したものを
受け入れられてる、と感じることって多大である。



その後なんやかんやとあり、いろんなジャンル変遷を経て漫画っぽいものを描いたりするようになった自分は、20代後半にしてやっと、傍目で見ていただけの同人誌出版に本格的に手を出した。

本当に、インターネットがなかったらどうなっていたか…。


同人イベントに参加して「自分自身」として自分の描いたものと一緒にスペースにいる、という経験は、ある意味逃げ場がなくてとても良かった。
ネット上に存在するアイコンでしかない自分と、リアルな自分が交錯して1つになっている状態の、カルチャーショックに痺れた。


ここまで出来るようになるとさすがに「好きなもの言っても大丈夫なんだ」と実感を持って思えるようになってきていた。100%じゃなくても60%くらいは言える。
(この間はじめて長年のリアルな友人に「実は漫画描いてるんだよね」と打ち明けたら意外と好意的な反応がかえってきて驚いた。嬉しかった〜)


世間が多様性を重視するようになったり日本自体が海外に対してオタク文化を誇るようになったり、そういう時代の変化の影響はめちゃくちゃ大きいとは思うけど、

10〜20年を経て、自分自身のオタクな自我を「本当の自分」と「建前の自分」の両方に馴染ませることができたと感じれたのは本当に大きなことだった。


まとめ



「これだけ楽しんでオタクやってきました」という経歴を

本当に履歴書に書けるくらい(誰よりも自分自身が) 受け入れてあげることができたらいいのにな〜〜〜


というお話でした。


おわりです。

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