一人焼肉の技法

一人焼肉によく行く。

注文は毎度決まっているわけではないが、一定の型のようなものはある。

白菜キムチ。テールスープ。白米。塩タン。肩ロース。カルビ。肉寿司。玉ねぎ。トマトサラダ。あればイチボ。
飲み物はジンジャーエールと水、アルコールなら赤ワイン。ハイボールの場合もあり。

大方こんなものか。
キムチは辛いものがよい。これをおかずにご飯を一口二口食べ、下地をつくる。これが空きっ腹によく馴染む。白米は腹の空き具合によって大盛りにしたり小盛りにしたり。
テールスープは是非おすすめしたい。これは寿司屋のアラ汁や、“町中華”におけるチャーハンに付属するスープに相当する。テールスープにはお肉のうまみが凝縮されている。その上、スープの脂が胃を優しく包んでくれる感があり、胃もたれを防いでくれさえする。
肉は順不同でバンバン食べる。塩タンの前にステーキ肉も食べてよい。牛肉は少し焦げたものが好きだ。苦さは口に残らない。
ここに、気分によってハラミとか、ナムルとか、魚介とか、カクテキとか、店ごとのフェアメニューとか、デザートなどが加わる。デザートは甘さの強いものがよい。
チョコレートがギチギチに詰まった硬いガトー・ショコラとか、メリケン人の好みそうな、生クリームの効いたアイスクリームなど。杏仁豆腐もよい。酒はどうせたくさんは飲めないのでちびちびと。

肉の部位にさほどこだわりが無ければ、お肉の盛り合わせを注文してもよい。
お肉の盛り合わせは、第一に値段がおトクである。その道の達人がセレクトしているので、食べ合わせもよい。並タンにしようか上タンにしようか、カルビかロースかなどと悩む必要はない。さらに、それは得てして綺麗な大皿に盛られて出てくる。具合の良い店であれば、模様の入ったお高そうな皿でサーブされることすらある。
そんな大皿にきれいに盛られた美しい肉を、全部一人で頂く。焼き加減だって自由自在。文字通り肉を平らげるということ。間違いなく、目の前の肉は全部自分の取り分なのだ。
百獣の王にでもなったような気分で過ごす、このひとときが私は好きだ。

それに私のような食肉に疎いシロウトには、メニューを開いてあれこれと逡巡するより、さっさとお肉の盛り合わせを頼んでしまう方がよいのだろうと思う。だから私の一人焼肉において、盛り合わせは魅力的な選択肢の地位を占めている。

ところで最近、私の一人焼肉に新たなゲームチェンジャーが現れた。

冷麺である。

なぜ冷麺に関心を持ったか。

機会があって、80年代の東アジアの様子を特集した映像を見たからだ。私はその手の、昔の資料映像やドキュメンタリーを無意味に見るのが好きだ。

その映像では、朝鮮半島の伝統食として冷麺が紹介されていた。
朝鮮では色々な料理を食べたあとに冷麺を食べること、少し酢を入れると美味しいこと、平壌冷麺と咸興冷麺は違うこと。
当時の平壌には“苦難の行軍”以前の豊かさがあったのか、「ちょっと寒いベトナム」くらいのイメージの景色の中で人々が冷麺を楽しんでいた。あるおばあさんは、コース料理の最後に冷麺を啜っていた。それはなんとも美味しそうに。

私はこの映像にすっかりあてられ、直近4回の一人焼肉において、欠かさず最後に冷麺を注文している。冷たくてさっぱりしているのに、肉のうまみがこれでもかと詰め込まれたスープ。沢の水のように澄み渡ったあの色のどこに、あれほどの肉のうまみを隠すスペースがあるのだろう。炭火の熱気で火照った体に冷たさが心地よい。朝鮮には「冷麺は別の腹に入る」という慣用句があるとか。道理で焼肉をかっ食らった直後とは思えないほどに、麺がスルスルと入っていく。

冷麺はおいしいが、現状、胃袋との相談に難儀させられている。
私の一人焼肉の定石には既に白米が含まれている。ただでさえ炭水化物を収めたのに冷麺まで平らげようとするものだから、満腹になりすぎてしばらく動けなくなることもしばしば。
かといって、肉や米の量を減らしてみると、こんどは不完全燃焼になって、週に2回も焼肉屋に行く羽目になったりした。

結局私はまだ、焼肉後の冷麺なるものといかに向き合うべきか結論を出せていない。ひとつ分かっているのは、映像のおばあさんが革命的な健啖家だということだ。

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