Who are you?

今日、大学に提出するエッセイを見てもらった。
エッセイで問われるのは、自分自身の話。
でも、「私」って何だろうか、経験してきた過去は?今生きている現在は?これから来るであろう未来は?どれだって「本物」である確証は無い。エッセイに書いた過去の話、それが確固たる過去の経験であると言える?自身の中で作り上げた都合の良い空想かもしれない。成功体験という過去は自尊心を保つ空想、凄惨な過去は今を肯定する材料、誰だって否定できない。
じゃあ未来は?いくら高尚な未来を描いたところでそれはただの空想に過ぎない。誰がコロナを予想していた?わからない未来を語ることはできない。

それじゃあ、流れる時間に身を任せて世界の赴くままに生きるしかない?それとも空想だと割り切って好き勝手に生きる?

心理学の考え方にフロイトの構造論というものがある。人の心はイド・自我・超自我の三つで構成されていると。本能のままに欲望に従うイド、社会規範に則りイドを抑圧し理想にあろうとする超自我、普段自覚している「自分」の形でイドと超自我の調整役となる自我。

世界は二元的ではない。数字などで表せられるような世界に人は悩まない。日々社会の理想と欲望の現実を行き来しながら悩み、進み、生きていく。どのように社会の中にあって自分を創るか、それがエッセイで問われること。模範的な社会活動を入れることは重要ではない。超自我とイド、社会規範と無意識の狭間にある自分を写し鏡で何度も問いかけ、確かめる。その現在地を書けばいい。


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