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2003年奥・井上外交官殺害の真相



2003年6月、亡くなった奥外交官との記念撮影(イラク・バグダット宮殿:各国外交団・軍関係者等が事務所として使用)

2003年11月29日、イラク・バグダッドに派遣されていた奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官が殺害されて、今年で丸20年を迎えます。しかし未だに、殺害された原因は明らかになっていません。私は、今でも、米軍による誤射(Friendly Fire) だと確信しており、その時の記憶を呼び起こし、作成した報告書をこのブログで共有させていただきます。

私は、1993年に在米日本大使館一等書記官と派遣され、奥さんとは一緒に
仕事をした仲間でした。政府開発援助(ODA)のイロハから教えていただき、大変お世話になりました。その後、彼は在英大使館に派遣されたものの、イラク戦争が始まり、在イラク大使館に期限付きで派遣されました。一方、私は民主党参議院議員としてイラクに派遣され、そこで数年ぶりに再会しました。そして彼自身が襲撃された車(防弾仕様のトヨタ・ランドクルーザー)を運転して、バグダットのこの宮殿等を案内してもらいました。

あれから4か月後、彼らはティクリートに向かう幹線道路を走行中に襲撃され亡くなりました。私も当初は、テロリストの仕業に間違いないとメディア等からの情報を調べていたら、すべての状況証拠、事実関係が誤射であるとの結論に至りました。調べていくうちに、その誤射の結論に導かれた時には、正直言って、背筋が寒くなりました。

参議院の委員会で質問や、「質問主意書」から得られた情報を、このまま眠らせてはいけないと思い、このブログを立ち上げました。これから、少しずつ、「誤射」である理由を、当時を思い出しながら、説明させていただきます。「誤射」は、テロ行為とは全く違い、戦場ではよく起きることです。でも、その事実を隠してはいけません。



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