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1877 カイユボット パリの通り、雨 と ヨーロッパ橋

パリ サンラザール駅にまつわる絵のことを調べていて気が付きました。
カイユボットの代表作 パリの通り、雨 と ヨーロッパ橋 は同じ年1877年の制作。ちなみに英国ロンドンのナショナルギャラリーと米国シカゴのシカゴ美術館にあるモネのサンラザール駅も1877年の制作。
どうしてこれらは同じ年に制作されたのかなと思ったらカイユボット展の解説にヒントがありました。これらはこの1877年に開催された第3回印象派展に出展されたもののようです。

印象派展は、
・第8回まで開催された
・カイユボットは2回目からの参加だが、運営でもがんばった
・ドガは困った人で、みんなとイザコザがあった
・第8回にはスーラのグランドジャット島の休日が出展された
とかがなんとなくの印象でしたが、
結果論からいうと、第3回がいちばん成功した回のようです。そしてこれら4点はいずれもそのときに出展されたもの。

カイユボット  パリの通り、雨   Art Institute Chicago
パリの通り、雨 の舞台 Place de Dublin


カイユボット  ヨーロッパ橋  ブリヂストン美術館冊子


ヨーロッパ橋の視点はこの先で惜しかった写真

いずれもサンラザール駅やその周辺を題材にしたもの。カイユボットの自宅が近所だったり、画家たちの溜まり場だったカフェが近くの Place de Clichyにあったりといった土地柄と、鉄道ができて駅や立体交差がパリの最先端~
といった感があったのだと思います。

周辺地図@サンラザール駅

これまで画家と絵の舞台になった場所が興味キーワードでしたが、制作年をキーワードにしてみると、画家、舞台に加えて、時間軸やどんなことがあった時代だったの?と今はググって色々知ることができて面白いです。
ちなみに1877年は明治10年。西南戦争のあった年です。第3回印象派展が4月にパリで開催された頃、西南戦争は1月に勃発して、9月に鹿児島 城山で終結。その頃の画家たちはジャポニズムの影響を受けた人がいるのだから、日本という国が極東にある とは知っていただろうけど、当の日本はアツく内戦していたとはエポックだなぁ。

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