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食堂

大学の食堂が混んでいる話題になった。その例えで「自分の大学なんて、テルマエみたい」と言ってみた。

連想としては、「混んでいる→テルマエ」とシンプル。それ故、他にも「通勤ラッシュの山手線」「クリスマスのクリスマスマーケット」など色々な例えが考えられるだろう。ではなぜ、頭の中で瞬時に「テルマエ」が採用されたのだろうか。そして、そもそも「例え」で笑いが起こるのはなぜなのだろう。

テルマエが優勝した理由を分析する前に、まずは「例え」で笑いが起こる理屈を考えよう。他人の発言から自分の中で想像をめぐらせ、大爆笑した経験は誰にでもあるだろう。
もちろん、想像する内容自体が面白いから笑いが起こるという理解はできるのだが、果たしてそれだけだろうか。

「テルマエ」自体は古代ローマの人々が使っていたお風呂を指す言葉だ。しかし、某〜ロマエが「テルマエは常に人でごった返している」イメージを共通認識として定着させてくれたおかげで、「テルマエ」という語は、「人が混んでいる様」の想像を聞き手に誘発できたのだ。

語の持つ共通イメージを利用した「想像の誘発」が笑いにつながっていると推測できる。

しかし、これだけだと「通勤ラッシュの山手線」でもいい。「通勤ラッシュの山手線」と「テルマエ」の違いはなんだろうか。これがいわゆる「斜め上」かどうかであろう。テルマエの方が圧倒的に馴染みがない。では、どうしてより馴染みのない「斜め上」の方がウケるのだろうか。

実は、今回の場合「誰がテルマエで例えるねん」というツッコミが成立する。
つまり、「斜め上の例え」は「思いつきやすい例え方をあえてしない」ことで、ボケのようなズレを生んでいるのだ。ボケの本質は「ズレ」(あるいは「裏切り」と言ってもいい)である。これが言いたいがためにnoteを始めたと言っても過言ではない。

今回のまとめをすると「テルマエ」には

「食堂がテルマエのように混んでいる図を想像してしまうおかしさ」

「斜め上な例えが持つボケとしての側面」

があったのではないかと分析した。

では最後に、この分析を踏まえて、「通勤ラッシュの山手線」をより良いボケにしてみよう。

「錦市場」
「セレッソ後の長居」
「スパワールド」

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