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映画 「遠いところ」 大島渚賞 記念上映会

第5回大島渚賞記念上映会にて鑑賞。沖縄コザの街の風土と社会を背景として、幼児を抱えた少女アオイがどうしよもない波に流され落ちていく様を描く。

現実を映し出す映像と光と闇の表現が印象に残る。キャバクラの店内は輝き、クラブの色とりどりの閃光が少女たちの狂騒を照らし、移動する車のフロントガラスに電飾のライトが流れる。少女たちが生きる虚構の闇を人工的な光が照射する。ビルの屋上から夜の街を見つめる少女の後ろ姿に絶望を禁じ得ない。

少女たちは陽光の下海辺に戯れ、家の中庭で子供が日差しを受けて遊んでいる。しかし狭いアパートの闇に、アオイは金のことで夫から目を背けたくなる暴力を受ける。翌朝、血だらけのアオイの顔に訪れた少女は笑いかける。それが彼女たちの偽らざる日常であり、現実であることを映画は感情を排しありのままに辿る。

同日、大島渚の「少年」が上映された。旅を続ける家族の犯罪、同じようにどうしようもない現実を描きながら、事実は解体され映画として再構築される。方法論は異なるがどちらも残酷な現実を提示して、観客に目を逸らすことを許さず突きつける映画の力を備える。

実の父親に見放され、夫の暴力事件の示談金を迫られ、子供は養護施設に奪われてしまう。アオイは棺に横たわれる少女の顔に、あの朝と同じように笑いかけ泣き崩れる。なぜアオイは福祉の支援さえも拒み、流れ落ちていくのだろうか。金のため身体を売ることを選び、醜い性交のシーンが折り重なる。若く未熟な精神は貧しさを抗うことに能わず、壊れていく悲劇に過ぎないのだろうか。

深夜、アオイは施設の扉をよじ登り我が子を奪い返し、子供を抱きかかえ基地を抜け街灯の白光の下海辺の道を疾走する。子供を抱え朝陽が照らす海に浸かり、立ち尽くす少女を呼び留める者は誰もいない。遠い世界の作り話だと、目を背けていいのかと映画は私たちを揺さぶる。そこには何も救済は無いのだから。

#映画感想文 #大島渚賞 #遠いところ #少年

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