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【農業小説】第12話 指揮者|農家の食卓

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そろそろ僕たちは自分たちが毎日食べる食事について本気で考えなければいけない。キッチンに立って今晩の献立を何にしようか本気で考えるといったようなことではない。もちろんそれだって素晴らしいことには違いない。食べたものは明日の血肉となるのだから。
生き物は摂取した食べ物で身体ができているのだ。細胞の一つひとつに影響している。しかし、そこになぜか多くの人は無関心で、立派な肩書を持った人が「ケトンダイエットだよ」といえばみんなヒステリーになって従うのだ。
だから僕が考えた新しい料理の概念である「第四の皿」についてこれから紹介していきたい。これが広く受け入れられる提案ではないことは分かっている。
実行するなら決断するだけなんだけど、きっと迷うはずだ。ダイエットのためでもなく、健康的で環境と共生するための食事は少なからず食べる側に負担を強いる場面もあるだろう。


これを一汁三菜のうちの一品と捉えると出発点から違うので、迷子になることになる。これは作る側から見れば料理の作り方とかその組み合わせ、あるいはメニューの構成から食材の調達方法に至るまで、食べる側から見てもいつ食べるのか1日何食を食べるのかなど、どれ一つとっても関係がない部分などないのだ。
しかし「第四の皿」は、これまでやってきた方法を変えるというわけではない、料理を生み出す環境へ本当の配慮を意識しているのだ。農家の存在に始まって持続可能な農業への取り組みについては当然のこととして、食べる人を消費者とした場合の意識向上にも努めるが、それだけで終わるわけではない。
僕たちが料理として食べるものは、すべてが繋がっていて循環している。東京に走っている地下鉄のように複雑な路線の一部であり、ひとつの食材だけを見ていても全体は知ることは出来ないし目的地にもたどり着けない。
こうした現実に対して誰からも理解されるようになることも目標のひとつになるだろう。したがい最高の料理を創造するために不可欠な要素でありながら、これまで顧みられなかった穀物とか野菜にもちゃんとフォーカスを当てていきたいのだ。
こうすることで、すべての偉大な料理と同様に柔軟性を備えて自然から提供されるものが最高の形で料理に反映されるよう、常に進化を絶やしてはいけないと思う。
この料理の実現には、農家の存在はもとより各所各所にシェフの存在も関わっている。オーケストラの指揮者のように、シェフは調理場では指揮者なのだ。シェフを指揮者にたとえるのはメタファーとして使いやすい。
話はそれるが「のだめカンタービレ」というドラマにもなったマンガをご存じだろうか?

僕はファーストキャリアが音楽業界だったからすぐに興味を持ったけど、音楽に馴染みのなかった人をも虜にしてしまうほどの作品だ。
クラシックというとなんとなく敷居が高くて敬遠されがちな側面があるんだろうけど、このマンガのおかげであまり音楽に触れない人にもクラシックというものが身近なものになったのではないだろうか。
これに限らず、特定のジャンルを描いたマンガって、その分野を知ってる人はもちろん、知らない人がいかに楽しめるのかが重要なはずだ。
このマンガは専門性とかキャラクターの個性、あるいは話のテンポや会話のセンス、ほかにもギャグ要素においてもバランスが秀逸で、いつのまにか世界観に引き込まれている自分が居たんだ。
農業、あるいはシェフそうした仕事は魅力的だし誇りも持っている。だけど心が折れそうになることもあって、そんな時はこのマンガに救われている。
読むたびに原点に立ち帰れるのだ。
なんで自分が仕事をやっているのか…マンガを通してその答えを見出すことができるのだ。特に最後のあのセリフが僕に何度も勇気をくれる!
何度見てもグッとくるんだ。ありがとう、「のだめ」!

とにかく僕たちシェフはキッチンの正面に立つ。さながらオーケストラにキューを出して、共通点のない様々な要素から全体最適化させながら料理という作品を完成させていくのだ。
商品やレシピ、あるいはメニューとは表現しきれないのだ。指揮者の仕事は見かけ以上に奥が深くて面白いのだ。未来のシェフの役割を暗示しているとも言えるのではないだろうか。

指揮者の仕事は舞台の上だけではないのだ。楽曲の歴史に始まってその意味や背景について調査しておき、自分なりの考察をしておく。そして、おおよその雰囲気がつかんだうえで曲の構成は決定されるのだ。

つまり、指揮者の仕事は演奏を最適化だけではなく音楽全体のストーリーを本を綴じるように解釈する仕事だと言い換えてもいいかもしれない。

そして、指揮者にとっての楽譜がシェフにとってのレシピなのである。どちらも目の前の出来事を一体化させるのだ。つまりはコンサートも料理も創造していくための道すがら生まれるものであって、重要なのは出来上がった作品が人びとの記憶に織り込まれていくことなのである。

今日まで育まれてきた食文化は僕たちシェフに影響力を与えてくれた。当たり前のこととして好き勝手というわけにはいかない、しかし革新的な変化を引き起こす力も備わっているのだ。

なにしろシェフは料理の味の決定者だ。素晴らしい素材には調味料は余計なのだろうか?それは違うと断言する。シェフの影響力を存分に発揮すれば、新しい形の料理、すなわち「第四の皿」の誕生を演出していくこともできるだろう。

僕は自分で提案しておきながら「第四の皿」と言われても具体的にどんなレシピになるのか皆目見当がつかない。しかし、本能に逆らわなければ結果は必ずついてくるはずだ。

美味しい食事にはみんなアクセスできる、お腹いっぱいに食べることだって容易な世の中だ。しかし心から満足できる味に出会えているのだろうか? 昔ながらの素朴で豊かな味わいが「第四の皿」によって創造することができれば、自然界を覗くための強力な望遠鏡として役立つはずだ。

たとえば視覚は料理の出来栄えを決めるうえで大部分を担う。しかし微妙な領域まで立ち入ることができないのだ。ここから味覚の領域なのだ。

もしも狙い通りに「第四の皿」を実現することができたのならな、これまで作り上げてきた食システムや日々の食事を根底から見直すキッカケになるかもしれない。

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