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【農業小説】第13話 僕が農薬をやめた理由

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自分の圃場の畦はどんなに面積があっても除草剤は使わない。根まで枯らしてしまう除草剤を使うと畦が崩れてしまうからだ。

畝間の通路は作業用通路だから慣行農法を続けていた畑ではいつも除草剤を散布していたし、農薬も用途に応じて使用していた。

これらが生態系に与える影響についてはこの目で見ているからわかっているつもりだった。しかし行動に移していなかったのだ。自分の身体に変化が現れるまで。

2014年の初夏だった。昨年に襲われた水害で農薬散布ヘリが動かなくなっていた。僕の農地の管理面積は膨大だった。仕方がないから今年は人手でやることにしたんだけど、27ヘクタールもの圃場で噴霧器ひとつで農薬散布をするのは酷く骨が折れた。

何日も掛かってようやく作業が終わって空っぽになった噴霧器を片づけようとしたんだ。ところが持ち上がらない。噴霧器そのものは電動だから背負っているだけだ。腕が疲れたわけではない。

こんな不思議な経験は初めてだった。こいつは同じ型のを除草剤散布の時にも使っている。こうして何年間もずっと同じ方法で持ち上げてきたはずなのに、お笑い番組で芸人が空の箱をさも重そうにして持ち上げられない様子を見ているようでどこかおかしかった。

左手首から先に力が入らない。僕はこれを執筆中に当時のことを思い返す。今思えばワレンベルグ症候群が発症しはじめたのかもしれない。真実は医者にだって突き止める事はできないだろう。

医者も農家も理解しきれていないものを相手に日々挑んでいるんだ。医者も人体のすべてを理解しているわけではない。「ある説」が別の説に置き換わって定説となることも多い。

農学だって、たとえば土壌学は土のすべてを理解していないし、だからといって水耕栽培にしたとしても、すべて理解したうえで栽培していることにはならない。

とにかく僕たちは「わからない」なかで判断をしながら仕事をしている。そして「わからない」が積み重なっていくうちにとんでもないことが自分の身体に異変を起こし始めていることに気付いた。

周りの農家が同じ症状かって?そんな話はまったく聞いたことがない。ただ...みんな20アールからせいぜい50アールの管理農地での話だ。僕はその何倍もの面積を一日中散布して回ったのだ。

ひどいけいれんが、左半身ぜんぶを覆い始めていた。そして今まで感じたこともなかったような頭痛と吐き気にも襲われ始めたのだ。

こうなる要素はいくつも考えられる。

いつも昼からビールを飲んでいる。ただし500㎖1本と決めている。だけど僕は夜には飲まない。夜中にトイレで起こされるのが嫌だから、そんなに大量のアルコールは摂取していないはずだ。

むしろ大量の汗をかいて喉に流し込むビールほど癒しを与えてくれるものはない。最近ではアルコール離れやアルコールを嫌煙する向きがあるけども、僕はずっと愛し続けたい。僕にとっては百薬の長なのだ。

僕の会社では農薬も販売している。だからといって農薬の肩を持つ気もサラサラない。ただ利潤を生む商品でしかないのだ。だけど、取り扱うためには毒劇の知識をもっていなくてはならない。

この知識によって薬は毒を薄めたものだと分かる。つまり酒を飲み過ぎたら病気になるのだ。同じように人体や環境には安全だとされている希釈倍率を守った農薬も一日中、それを何日も続けて散布することは想定されていなかったのかもしれない。

証明はできないが、僕は農薬を疑った。

実は他にも要因は考えられた。2013年には台風の影響で川が氾濫して僕の圃場が流され、大雪でビニールハウスは潰され、2014年は大雨で再び川が氾濫した。今度は別の圃場が被害を受けたのだ。

とどめは今月に入って7月だというのに大粒の雹が圃場を襲った。定植して活着してようやく一番果をつけようかとしていた頃だ。

この雹のせいで今年の農産収入は激減するのは間違いない。このように頭の痛い問題をいくつも抱えていたことは疑いようのない事実だった。だけど、この頃になると、国からの調査事業やセミナー講師の仕事なんかが舞い込むようになってバランスシート上では雑収入の科目が潤っていた。

何より災害認定されて無利子で制度融資を受けられるメリットの方が嬉しかったかもしれない。この事態をポジティブに捉えて、ずっと考えていた新しい農業へのチャレンジを暗示していたように思えてならない。

他の事業会社も運営していたし、全体の収益という視点では問題はなかった。確かに本業の売上減という避けがたい現実には心を痛めていたが、かすり傷程度に思っていたんだ。

だけどそのかすり傷にばい菌が忍び込んで心を本当に痛めることになった。売り上げが落ちたことに対してどうするのか、何か対処しているのかと出資先はもちろんのこと取引先や銀行にも説明して回っていた。

だけど僕は肝心の仲間に説明していなかった。仲間と勝手に思って甘えていたのだ。社内の噂で僕の会社が倒産するか来月の給料も危ないぞって話が持ち上がったみたいだ。

その話が勝手に独り歩きをして彼らのなかの一部だけど会社のトラクターを売却して自分たちの給料にしようと行動に出た人間がいた。これは本当にきつかった。今から思えば窃盗だったり横領だ。

だけど身内を警察に突き出したくなんかない。そんな葛藤を抱えているうちに考えたのは僕が事業の成長を追っているうちに肝心なところに目が行き届かなくなって引き起こさせた事態なんだろうと考えたのだ。

この頃から少しづつ心はおかしくなっていた。野菜を運ぶドライバーが突然いなくなって代わりに荷物を運んだり眠る時間さえ確保するのが難しい時期もあった。今でもこの時の夢を見て叫びながら起きることもある。

だから、結局のところ農薬のせいなのか、忙しくなって心を亡くしたのか、もしかしたらその両方が重なっていたのかもしれない。

とにかく原因は不明だったんだけど、少なくとも農薬は使わないと判断すればやめる事ができる。

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