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彼女の思い出

マガジン「思い出ノート」を作った。
ここに書く機会が増えるのかなぁ?と思って第1話を書き始める。

明日、湯河原の幕山梅林に行くことにした。数年前の2月、湯河原に住む友達にメールをした。先延ばしにしていた湯河原の梅林に一緒に行こうと思って連絡した。「ここのところ旦那の体調が悪くて・・」帰りに寄りたいとの申し出も断られた。結局、梅林にも行かずじまい。翌月、友人の訃報が届いた。ご主人様でなく、本人の訃報だった。あまりの事に涙も出ない。何が起きたか理解しがたい。
中学一年生の時同じクラス、家が近かった。小学校は学区が違って別だった。そこからの長いお付き合い。高校まで同じ学校、大学は違うけど。私が結婚しても、彼女が結婚しても続いた。私は横浜へ。夫の定年が近くなったころ、彼女は湯河原の温泉宿に魅せられ東京を引き払って湯河原へ。面倒見の良い彼女。その後友達数人が年に1〜2度湯河原温泉に行くようになった。引越してしばらくして、湯河原にはステキな梅林があるのよと誘ってくれた。その時は用があり断ってしまった。じゃまた来年。いつでも行けると思っていた。月日が経って今年こそと思って連絡した時だった。時間は戻ってこない。彼女が逝ってから、しばらく考えていた。いつか一人で行こう。なんでもないことだ。ひとりで行けばいい。コロナ禍で出不精になった私。
ついに決心した。その日が来た。横浜駅から東海道線に乗ってこれを書いている。梅林に着いたら写真を撮ろ、香りを楽しもうと思う。

湯河原駅から臨時のバスがでていた。15分ほどで梅林の駐車場に着いた。ハイキングコースもあるので登山の人も多い。空が青い。山の中腹に白、ピンク、紅が重なって見える。

空が青い

近くに行くと梅の木が植っている山肌に散策路がある。結構な斜度、道ではないようなところもあるが少し登った。私を撮ってと顔を向ける花を撮った。空が青い。

なんて素敵なんでしょ
空が青い

彼女のことを考えた。2人だったら何を話したのか。私が悩んでいる時、彼女は「わっちゃん、考えても答えのでないことは考えない方がいいよ」と言ってくれた。そうだ、すぐに答えのでないことも答えがないこともある。
頭の中でぐるぐる回りしていてもダメだ。そう思ったら心が軽くなった。

彼女が湯河原に住んだ時、ここでみんなといろんな事をしたい。好きな方をお呼びして話を聞こう、みんなで美味しいものを作ろう・・・夢はどんどん膨らんだ。
彼女は湯河原にすぐに溶け込み、ずっと昔から住んでいるようだった。夏の花火大会によんでくれた。ホタル祭りに行った。近所の店でカレーを食べた。街の人しか知らないような共同の温泉に行った。桜の花びらが舞う湯河原の街を歩いた。彼女のガイドで観光もした。
私がリタイヤしたら軽井沢に住むから夏は来てね。冬は寒いから湯河原においでと言ってくれた。果たせなかった・・・一度だけ来てもらったけど・・

私は彼女の結婚式に出ていない。その時アメリカに住んでいたので出席できなかった。お相手の方は私も知っている方だ。後から写真を見せてもらったが、実感がない。
人間はセレモニーをすることで実感を持つのだろうか?
彼女が逝った後、葬式はなかった。本人とご主人の意向だ。
だから私にとって彼女は結婚もしていないし、死んでもいない。
おかしな話だがそうなんだ。

彼女の思い出は沢山、沢山ある。どこかに行くたびに、何かをするたびに、思い出すだろう。そしてここに書き込むだろう。

湯河原梅林

湯河原梅林の梅もそろそろ終わりです。湯河原には時々行きますが、梅の時期に行けるのはいつになるかわかりません。
また思い出したら出かけよう。

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