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ショート 坂を登る人

20年ぶりに、故郷の峠に来ている。8月、お盆の帰省だ。お世話になった叔母さんが亡くなって今年で3年目になった。叔母はいつも誰かのために、何かしている様な人だった。私は、来年からは帰省しない。そして、最後の確認に、この峠にやって来ました。峠の一番高い所に作られた小さな神社は、今でこそ、夏の日差しと高い樹木で、蝉時雨と、美風が心地良い場所ですが、20年前は昼でも暗い寒い場所だったのです。子供は入っちゃダメな領域でした。

当時私は3歳だった。

パパとママが喧嘩して、ママが怪我をして入院して、私はママのベットの横でずーっと泣いていた。だって私、分かっていたの、この病室を出たら、もうママに会えなくなることを。ママが死んじゃうとか、そんなことじゃなくて、ママは私を捨てることを、前から決めていたの。それを知っていた。だから幸子おばさん(パパのお姉さん)が迎えに来た時、お別れの時が来たと思った。部屋を出る時に、バイバイ、さよならママ、って言ったら、ママはびっくりしていたけど、何も言わなかった。

幸子おばさんの家は大きなお寺で、6人の子供がいた。おばさんは結婚していなくて、子供は全部養子で、3歳の私は末っ子になった。おばさんの家では本当に幸せに過ごさせていただいた。どんな悪戯をしても許してもらえた。生みの母親との縁が薄かった私達は、心配してもらえる事が嬉しくて、危ない!〜ダメ!と言われることを、敢えてやってしまう部分があった。勿論ナイショでやるのだ。誰も幸子叔母さんを悲しませたくは無いのだから、上の兄姉はみんな小学生なので、学校へ行ってしまうと、私は1人で赤い三輪車に乗って、秘密の場所へ向かうのだ。お寺の人に絶対入っちゃいけないと言われた、小さな岩の洞窟、あたりに大人がいないのを確認すると、私は大急ぎで三輪車を漕ぐ、キコキコキコと数分で向かい側の光が見えると、たちまち山頂に到着する。私だけが分かった秘密のトンネルだ。辺りは、薄暗く寒い、そして、やっぱりあの人がいる。あと百メートルで山頂という、急な斜面を登っている。一生懸命登っているのに、一向に前進している様には見えない、それなのに、ずーっと登り続けている。その顔は疲れすぎて、般若の様になっていて、手足も、ボロボロになってるのに、まだ続けるの? 三輪車を降りて、ポケットから食べずに残していたビスコを取り出し、走って行って、目の前にズイッと突きつけ「お願いだから、これ食べて少し休んでください」と叫んだ。すると、その人は涙を流し、顔は般若から悲しい顔になり、苦しそうに(休むことも、食べることも出来ない、どうしても、あそこに行かなければならない)と言って、山頂を指差すのだ。「それなら、引っ張ってあげるよ!」と、手を掴もうとするのに。全く掴む事ができない、あんなに苦しそうなのに、何もさせてくれない、ママと同じだった。怒ったり、泣いたり苦しそうなのに、何も言ってくれなくて、何もさせてくれなかった。いつも切なくてワンワン泣きながら戻っていた。明日から夏休みという夜のことだ。6人の兄姉達に、坂道を登れない人のことを話した。早速翌日みんなは一緒に来てくれた。一番上の兄(小学4年生)が「ええっ!こんな小さな岩穴入れるの?」と聞いて来たが、「大丈夫よ!ついて来て」私は赤い三輪車に乗ってキコキコと先頭を行く、すると不思議なことに6人ゾロゾロと付いて来ることが出来た。だってこれは私が見つけた秘密のとんねるだものと思っていた。すぐに暗い山頂に出た。わー涼しい! いや違う、寒いわ! みんな半袖であったので、ブルブルと震えてしまった。「あれよ!あの人なの、とっても苦しそうでしょ」と指さすと、6人全員が目視出来たのだ。辛そうだねえ、進んでいる様なのに、全然前進出来てないじゃないか、4年生の男子が、「よし! 俺に捕まれ!」と伸ばした腕は、空を切るばかりだ。そして、またその人は泣き出してしまった。あまりに悲しそうな、絶望的なその表情は、7人全員に、何もできない悲しさを思い出させた。私達はまだ子供だけど、その短い過去に、それぞれが争うことの出来ない理不尽に遭遇し、その理不尽を背負ったまま、今に至っていた。何も出来ない虚しさに、肩を落として帰った。その夜遅く、3年生の姉が言った。「私たちにできる事を、考えた」と、全員が固唾を飲む中「応援」と言う、彼女曰く、運動会で走れない人にも、一生懸命応援したら、みんなゴール出来るじゃん! これに、全員が納得した。翌日それぞれが自分なりの応援グッズを手に、寒くて暗いその場所に集まっていた。その人は1人で登り続けている。山頂に紙のテープでゴールを作った。各々が、笛、ハモニカ、太鼓、カスタネット、私はタンバリン、ガンバレーの声を合図に、ドンガンドンガン、ガンバレあと少しだぞ、ガンバレ ピー プー ドンガンと大騒ぎだ。これを7日間繰り返した。8日目の朝、登る人は随分テープの近くにいた。顔がこちらを向いている。怒っても泣いてもいない、少し笑っている様にも見えた。もう少しだから、ガンバレ、ドンガン、その人の指がコールテープにかかる寸前、一瞬で応援が変化していた。ママぁー! おかあさーん! かあちゃーん!それは悲鳴になっていった。

プッとテープは切られた。たちまち、ドドドドドっと大勢の人が、目の前を通り過ぎて行き、7人の子供達には、夏の日差しが突き刺さり、蝉時雨が降り注いできた。

あの人は、ゴールする寸前に、7人の子供達それぞれの母の顔で微笑んだ、私にはママが懐かしい笑顔で、ごめんねと言ったのが聞こえた。

私達は相談して、ここでの出来事を、幸子さんには言わないことにした。だって私たちの今のママは、幸子さんなのだからね、私の秘密のトンネルは消えてしまったけど、4年生の兄が三輪車を担ぎ、3年生の姉に私がおぶさって、歌いながら帰った。

今日私が、ここで確認したかった事は、あの人が戻っていないか? という事です。もし、あの人が戻って来ていて、また1人で坂道を登っていたら、今度は怒鳴ってやろうと思っていました。誰もいない静かな場所になっていました。路肩に咲いた彼岸花がとても綺麗でした。

おしまい

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