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健太と塚の幽霊

ある初冬の日曜日、村は薄っすらと雪化粧をした。健太は母親と一緒にやって来た。どうやら奥村の婆様の親戚らしい。奥村の家は、村で唯一の商店街で雑貨を扱っている。他には郵便局と電気屋兼自転車屋と自動販売機。あとは小さな駅しか無い、奥村の店は、食品も農薬も石油に市販薬等々、何でも一応の生活用品は揃っていた。そんな奥村の店は、今では85歳のお婆さんが1人でやっている。村自体が限界村と呼ばれても仕方がない状況で、この店が無かったら、50人に満たない村民の生活は成り立たないのだ。そんな時期に奥村の曽孫(ひまご)娘が幼児を連れて移住して来たのだ。若い母親は康子(やすこ)という名前で、子供は健太と言うヤンチャ坊主だ。この辺では、若手と言っても60代でした。何でこんな所へ?と聞く人も無く、あららららー!おぉおぉ!こりゃこりゃ!言葉にならない歓迎の手から手へ、移動する陽だまりの様に、健太は転げ回った。「お名前は?」「オクダケンタ!」おぉおぉえらいなぁ、「いくつかな?」「ヨンサイー!」そーかそーかえらいなぁ、どうでも偉いらしい、奥田の婆さんが、「さあさあ、みなさん入ってくださいな、外は寒いから」ゾロゾロと10人ほどの人が店内で、暖かいストーブを二重に取り囲み、配られたほうじ茶を啜り、健太は輪の中心で温かいミルクをフーフーしている。やがて婆さんは「さあ、康子話してごらん、ここに居る人達は大丈夫だよ」と言うと、康子は話し始めた。

お婆ちゃんどうもありがとう、ではお話しさせて頂きます。康子は一息吸って話し始めた。

健太は、私にとって掛替えのない、可愛い息子です。全員ウンウンと頷く、「健太は、説明が難しいのですが、何か色々見えたり、分かったりするらしいのです。本人にとっては当たり前のことなので、喋れる様になってからは、そのままストレートに伝えて来ます。初めて気付かされた時は3歳になるチョット前、道路でお出かけ準備中に、庭の手入れをするお向かいの奥様のところへ、トコトコ行ってしまい、「ドーンするからね、こっちこっち」と手を引いてくるのです。奥様はニコニコして「あらあら」なんて言いながら手を引かれて此方へ来た。直後に、なぜか小型トラックがお向かいに突っ込んだのです。丁度奥様のいた所がグシャクシャに!この頃はまだカタコトであったので良かったのです。

幼稚園に入るとお喋りも達者になり、健太が普通に言った事が、特に人の命に関わる事が、当たってしまうと、徐々に気味悪がられてしまい、親御さん達も子供を健太と遊ばせない様な状態になり、ついに決定的な出来事が起こってしまいました。

主人のお姉さんが、13歳の里美さんという娘と一緒に里帰りをされた時、健太がその娘さんに、理恵ちゃんに御免なさいしないといけないと何度も言うのです。里美ちゃんは、なんで健くんがそんなこと知ってるのよ?と泣いてしまった。義理の姉夫婦は里美ちゃんの不登校による転校の相談に帰って来ていて、イジメにあって不登校になってしまったと聞いていたが、健太が「理恵ちゃんの足を痛くしたのは、里美ちゃんでしょう?御免なさいしなさい」と言い張るのです。大人達は大体のことは分かっていたのですが、里美ちゃんが健太を怖がって、怯える様になってしまい、私達は義実家と同居でしたが、私が出る事になりました。主人までも健太と距離を置く様になってしまい、結局離婚して逃げて来てしまいました。私 健太は1ミリも悪くないと、今でも思っています。

お年寄り達は、ウンウンと頷いて、口々に「そんなことなら、幾らでも此処に居たら良いじゃないか」の様なことを言うのです。おまけに健太に注意をする必要も全く無い!と言ってくれたのです。

健太はいつの間にか、初めて会ったお爺さんに抱っこされてスヤスヤと眠っていた。その夜は、康子も大婆チャンの家に落ち着いて、久しぶりにゆっくりと眠ったのです。

翌日から奥田商店は、康子が後を継ぐ方向で動き出し、冬に向かい、灯油・融雪剤・等々で忙しく働き出した。

暖冬でその年の冬は雪も少なく暖かかった。正月も過ぎた頃、大婆は、幼馴染の92歳のお爺さんが危篤で、今夜が峠との知らせに、もう医者も到着しているし、今日は何時に帰るか分からないから、あとは頼んだよと、出かける支度をしていた。そんな時、いつも聞き分けの良い健太が、一緒に行くと言い出した。大婆も母親も(これは何かある)と思い、健太と大婆は一緒に出掛けて行った。その家に着くと、お爺さんが苦しそうに呻きながら寝ていて、親戚が5人ほど見守っている。大婆さんは床に近付くと「健二君」と手を取って話しかけた。それを見ていた。すると健太が急に立ち上がり。「痛いの痛いの飛んで行けー」と3度声を上げた。すると。寝ていた爺さんが「おぉおぉ元気だなあ 偉いぞ」と言ったのだ。大婆さんが、健二さん苦しく無いの?と言うと、とっても楽だよ、皆んな来てくれてありがとう、疲れたからチョット眠るよ、と言って深く息を吐いた。控えていた医者が診て「ご臨終です」と言った。偶然かもしれない、奇跡かもしれない、でも最後の正月が出来て良かったと、皆口々に言い合ったのだ。健太を連れて来て良かったと大婆は思った。

春になると村人は、規模の大小はあっても皆さん農家なので忙しい、健太は、お年玉代わりに父親が送ってくれた、補助輪付き自転車に夢中だ。野良で働く人から人へ、カタカタカタカタともう補助輪も邪魔なほど飛ばしていた。「おお健太上手になったね!偉い偉い」「遠くに行くなよー」「ジュースあるぞー」と声をかけられ、はーい!と元気に返事しながら飛び回る。行動範囲はどんどん広がり、いつしか森の入り口へ、大婆が言っていた。(7人塚は入っちゃダメだよ)それはよく覚えていた。大きな看板は見たけど、健太は7しか読めない!上り坂を春の陽気に汗かきながら、塚に到着!薄暗く物音ひとつしない静かな森の中、7つの墓跡の前に7人の武者の幽霊が立っている。雄太はトコトコと寄って行くと、一番大きい武者を見上げた。武者が此方を見てくれないので、指をキュッと掴んだ。たちまち見下ろした鎧武者の精悍な眉が。エッ!と八の字になった。健太は「血出てるよ」と言った。そして「痛いの?」と聞いた。大きな武者は頷いた。すると雄太は「ウッソー!嘘ついちゃだめだよ、本当はもうとっくに痛く無いんでしょ!そうでしょ!」武者はエッアッ本当だと呟いた。後ろに控えた6人もザワザワし出した。健太が「これ凄いでしょ」と自転車に跨ると「来いよー」と走り出す。振り向くと誰も付いて来ない、立ったままだ「どうしたの?」動けない!と聞こえたので健太は「そんなわけないでしょ!」と引き返そうとして補助輪を引っ掛けて大転倒!痛くないぞ!泣くもんかあ!と、顔を上げると7人が駆けつけてくれていた。健太は「ありがとー!俺は大丈夫!あれ?鎧、脱いだんだね!」と言うと、7人が揃ってアレッ!って顔になっていた。健太が言う、「これ外したいの」と補助輪をガチャガチャする。手伝ってもらって10分ぐらいガチャガチャすると、アッ外れた!「どう? 凄いでしょ?」健太は塚の上をグルグル乗り回す。穏やかに眺める7人に春の夕日が柔らかに差し込み鳥の囀りさえ聞こえている。外した補助輪を前カゴに入れ、大婆ちゃんがオヤツ持たせてくれた特製三色団子の串を出した。一本しかなかったけど、一番大きい武者に「これやる!お礼だよ」と渡した。オオと彼が受け取ると、あっという間に団子は増えて、7人全員が同じ串団子を頬張る。やっぱり大婆ちゃんは凄いなあと感心した。健太が「俺帰るけと、うちに来る?」と言うと、「俺たちも帰るから」じゃあねと自転車を飛ばし、少し行って振り向くと、塚に夕日が当たって輝いていて、手を振っているのが見えた。健太も大きく手を振って帰った。家に着くと大婆ちゃんが「アレ補助輪外せたの!健太は偉いねえ」と言った。母親も「もう補助輪要らないの?健太は本当に偉いねえ」と言った。

今日も、そしてきっと明日も、健太は偉いのだろう。

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